「鞆(とも)」は、
弓を射る時、左の肘にまきつける丸い皮製の具。弦のあたるのを防ぎ、真建が立って、高い音を出すようにしたもの、
とある(岩波古語辞典)。古語では、
ほむた、
ほむだ、
といい、「鞆」を当てるが、「鞆」という字は国字である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%86)。
(鞆 精選版日本国語大辞典より)
万葉集に、
ますらをの鞆の音すなりもののふの大臣楯(おほまへつきみたて)立つらしも(元明天皇)
の歌もある。大言海には、
形圓く、革にて作り、巴の字の象を書き、革緒にて約す、
とあり、
音を以っ威す、
とし、音は、
鳴鏑(ナリカブラ)の如きものなり、
と、ある。「鳴鏑」は、
矢の先端につける発音用具。木,鹿角,牛角,青銅などで蕪(かぶら)の形につくり,中空にして周囲に数個の小孔をうがったもの。矢につけて発射すると,気孔から風がはいって鳴る。鳴鏑のみを矢につけて用いることもあるが,鏃の根もとに,その茎(なかご)を貫通してつけることが多い、
とある(世界大百科事典)。和名抄には、「鞆」は、
止毛(とも)、在臂避弦具也、
とある。臂だけでなく、
訓(くしろ)、
という、
古代の日本の装飾品で腕輪の一種、
をしており、それにあたるのをもさけた、ともある(仝上)。「くしろ」は、
吾妹子(わぎもこ)は 釧(くしろ)にあらなむ左手の我が奥の手にまきて去(い)なまし、
と、歌にあるように(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A7)、左手首に巻くのが一般的だったと考えられている。
(鞆を着用した射手。『年中行事絵巻』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%86より)
ただ、「鞆」は、遺物や記録にはあるが、中世以降使われないため、その使用法に諸説が生まれた、とある(図説日本甲冑武具事典)。
記紀に、持統天皇七年(693)に、官人も武器・武具を用意すべき旨の詔にも、「鞆」を必ず一枚供える規定があり、さらに、和銅九年(708)にも、上記の元明天皇の歌、
丈夫之鞆乃音為奈利物部乃大臣楯立良思母(ますらおのとものおとすなりもののふのおほまえつきみたてたつらしも)、
にも「鞆」があり、翌年の蝦夷征伐の演練に際し鞆を用いていたことを示す、とある(図説日本合戦武具事典)。しかし、古代日本では用いられていたが、中世ごろには実用では用いられなくなっており、武官の儀礼用となった、とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%86)。
年中行事絵巻(原本は保元2~治承3 (1157~79)年頃成立)には、射手が左手外側に「鞆」をしている。ために、
弓返りして弦が当たるのを防ぐ、
という説が生まれた。ただ、弓返りしただけでは、
「鞆の音すなり」という程の音は出ない、
とする(図説日本合戦武具事典)。また、
矢を放したとき弦が腕を擦るのを防ぐ、
ために内側につけるという説がある。
(鞆 図説日本合戦武具事典より)
しかし、そのためには、
弓の握り方が拳の入り過ぎの場合に腕の内側をする、いわゆる「拙射の一癖」の折にこそ必要で、大きく膨らんだ「鞆」では射るのに不便となる(仝上)。
貞丈雑記(江戸時代後期の有職故実書)には、
鞆に二品あり、武用の鞆と、伊勢神宝の鞆と二品なり、武用の鞆は熊の皮にて作り(毛は裏の方にあるなり)腕を通す所は牛の革にて手を付て、紫の組紐を付くるなり、又神宝の鞆は鹿の皮にて縫ひて胡粉をぬりて墨を以て絵を書くなり、委細は延喜式と云ふ書に見えたり、
とあり、
実用の鞆は熊の皮を牛の革紐で腕に巻き、
神宝の鞆は鹿の皮を縫う、
ということで、実践のものは、皮を腕に膜だけで、神宝の鞆は誇張された形になっている、ということになる(仝上)。しかし、次第に実践では、
籠手、
をつけ、
鞢(ゆがけ)、
を付けるようになって、「鞆」は不要になった、ということのようである。「籠手」(小手、甲手、篭手)は、
戦闘時に上腕部から手の甲までを守るための防具、
であり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%A0%E6%89%8B)、
(籠手(当世具足の篠籠手) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%A0%E6%89%8Bより)
鞢(ゆがけ/ゆみかけ 弓懸・弽・韘)は、
弓を射るときに、手指が痛まないように用いる革製の手袋。左右一対になっているものを諸(もろ)ゆがけ、右手にだけ着けるものを的ゆがけ、右手の拇指(おやゆび)以下三指だけに着けるものを四掛(よつかけ)、
という(精選版日本国語大辞典)。
(ゆがけ 精選版日本国語大辞典より)
さて、「とも」の語原であるが、大言海は、
手面(たおも)の約、
あるいは、
音物(おともの)の約略、
あるいは、
止弦(とめを)の約、
と三説挙げる。使用方法すらはっきりしないので、語原の由来は定めがたいが、
大伴氏の祖が造ったためか(和訓栞)、
弓弦の鳴る音ポムから(言元梯)、
は検証の仕様がない。個人的には、
動詞タム(矯・鞣)の未然形タメの轉(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
が気になる。「たむ」は、「ためる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/469021652.html)で触れたように、岩波古語辞典は、
タム(廻)と同根,
とある。大言海は,
撓む,
意とし,
くねり廻る,
とする。この「たむ」は,
廻む,
訛む,
とも当てる。
ぐるっとまわる,
意の他に,
歪んだ発音をする,
つまり,
訛る,
意もある。「たむ」は,漢字で当て分けているが,結局,
無理にもとの形を変える,
意である。「鞆」は、弓を引いて撓めて矢を放つ、その時の必需品だったのではないか、と。また、「鞆」の古名、
ほむた、
ほむだ、
については、日本書紀に、
上古の時の俗、鞆を号(い)ひて褒武多と謂ふ、
とあるのみで、語源についてはわからないが、似た音で、
ほむき(穂向き)、
ほむけ(穂向け)、
という、
穂を一方になびかせること、
という意の言葉かある(岩波古語辞典)。関連があるかどうかはわからないが。なお、弓と矢については、
「弓矢」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/450350603.html)、
で触れた。
参考文献;
笠間良彦『図説日本合戦武具事典』(柏書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:鞆
今回、巴紋のことについて調べていまして、“鞆”にも由来があるという説を見て、
こちらの頁にたどり着きました。
よくお調べになっていて、造詣の深さに驚かされました。
個人的には“とも”の語源についてのお考えが興味深かったです。
勉強になりました。ありがとうございました。