「とんでもはっぷん」は、
とんでもハップン、
とも表記されるが、
相手のことばを強く否定する意をこめて発することば、
意味である(精選版日本国語大辞典)。
ハップンはhappen、思いがけなく生じる意を「とんでもない」に結びつけて作った語、
とされる(仝上)が、「ハップン」については、
トンデモナイという強調のことばと、英語の「ネバーハップン(Never happen)」(決して起こらない)ということばが1つに合体したものである、
とある(https://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20161207/dms1612070830001-n1.htm)。また別に、
「とんでもない」と、英語の「What happened?」(何が起こったんだ?どうしたんだ?)がくっついたもので「とんでもハップン」と「カタカナ書き」します、
との説もある(https://www.ytv.co.jp/michiura/time/2011/06/post-790.html)。日本語源広辞典は、前者を採り、
トンデモナイと英語Never happenとを結びつけた学生語、
としている。いずれにしろ、
Happen、
を加えて、語呂を合わせた語ではある。今日、ほとんど死語である。
もともとは、
第二次世界大戦後、学生の間で使われていたことばであるらしいが、獅子文六の小説『自由学校』で、「飛んでも、ハップン! いけませんよ、ユリーにチャージさせるなんて」と使われてから流行語となった、
とある(精選版日本国語大辞典)。獅子文六の新聞連載小説『自由学校』では、
女「ハマ(=横浜)へ遊びにいく意志なんか、全然、ありもしないのに、そんなこといってサ。あんた、今日ピンチなんでしょう。ピンチならピンチと、正直に仰有(おっしゃ)いな。あたしは、持ってるのよ。ハマで中華料理ぐらい食べたって、平チャラなのよ」
男「飛んでも、ハップン!いけませんよ、ユリーにチャージさせるなんて・・・」
女「それが、きらい!そんなヘンな形式主義、ネバー・好きッ!」
等々というやり取りがあるらしい(明治・大正・昭和の新語・流行語辞典)が、「ネバー・好き」(「大嫌い」の意)が使われているところを見ると、「飛んでも、ハップン」の「ハップン」も、「ネバーハップン」からきているのかもしれない、という気がしないでもない。
さて、「とんでもハップン」の、
とんでも、
については、二つの考え方があり得る。ひとつは、
とんだ、
からきたというもの、いまひとつは、
とんでもない、
からきているというもの、である。「とんだ」は、
「とんだ孫右衛門」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/418161213.html)、
「とんだ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/452166903.html)、
で触れたが、多く、
飛んだ、
飛び離れた、
と当て、
飛び離れている、
意から(広辞苑・岩波古語辞典)、あるいは、
順を追わず飛んだの意、
から(江戸語大辞典)、
普通と違った、
思いがけなく重大だ、思いもよらない、
の意で使われる。獅子文六の文中では、
飛んでも、ハップン!
と使われているので、「とんだ」から、
思いもよらないこと、
という意味で使われている可能性はある。
他方、「とんでもない」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/452135728.html?1501012456)の「とんでも」については、
「途(と)でもない」の転、
とあり(広辞苑)、さらに、
上方語「とでもない」を移入後、撥音化したものか。一説に「飛んだ」の強調形とするには従い難い。「つがもない」「そでない」と同義、
ともある(江戸語大辞典)。
とても考えられない、思いがけない、途方もない、
(相手のことばを強く否定して)そんなことはない、
と意味である(仝上)。後者はともかく、
とても考えられない、
思いがけない、
途方もない、
は、同じ意味ではない。「途(と)でもない」の、
途、
は、
みち、
道筋、
という意味である。
帰国の途につく、
途中、
前途、
という使い方をする。この「途」は、漢字「途(漢音ト、呉音ド)」から来ている。意味は、
みち、
である。
「辶(行く)+音符余(おしのばす)」
で、長く延びる意を含む、とある。とすると、
道でもない、
という原意から、上記の意味の外延を、
とても考えられない→思いがけない→途方もない→そんなことはない、
と、広げていく、ということになる、と推測される。
しかし、「とんだ」も「とんでもない」の「とんでも」も、日本語の語源によれば、
「トホウ(途方)は、『すじみち。条理』とか『手段。方法』という意である。『どうしてよいか手段・方法が分からないで、困りきる』ことを『途方に暮れる』という。
『途方もない』は『情理にはずれている。めちゃくちゃである。とんでもない』という意味である。上方語ではトーモナイ、トームナイとか、トーナイに転音して『トーナイえらいめにおうた』という。あるいはトヒョーモナイという。
『途方もない』を漢語化してムトホウ(無途方)といった。撥音を強化するときムテッポー(無鉄砲)になった。『無法。むこうみず』の意である。
語頭を落としたテッポーはデンポー(伝法)になった。『悪ずれがして荒っぽいこと。無法なことをする人。勇みはだ』『仁侠をまねる女。勇みはだの女』のことをいい、『浮世風呂』『浮世床』に用例が多い。(中略)
トテツ(途轍)は『すじみち。道理』という意味の言葉で『途方』と同類語である。トテツモナイ(途轍も無い)は『いじみちがない。途方もない。とんでもない』という意味の言葉である。『ツ』を落としてトデモナイ(菅原伝授)といい、撥音を添加してトンデモナイ(浄・職人鑑)になった。
さらに、下部を省略してトンダになったが原義を温存していて〈トンダめにあいの山〉(膝栗毛)という。」
と転訛の流れを解説して見せる。これによれば、
トテツモナイ→トデモナイ→トンデモナイ→トンダ、
と、「とんでもない」も、「途轍もない」の転訛で、「とんだ」は、「とんでもない」の下略、ということになる。つまり、
とんでもハップン、
の「とんでも」は、「途轍もない」の転訛ということになる。意味は変わらないが。
参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:とんでもはっぷん