「六道の辻」は、
六道の巷(ちまた)、
とも言う。
六道へ行くという辻、
の意である。「辻」は、
道路が十文字に交叉しているところ、
つまり、
四辻、
の意であるが、また、
道筋、
道端、
巷、
の意でもある。「ちまた」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464423994.html)は、
「道 (ち) 股 (また) 」の意、
であり、
道の分かれるところ、
分れ道、
の意である。
「六道」(ろくどう、りくどう)とは、梵語で、
ṣaḍ-gati、
の、
gatiは、
「行くこと」「道」
が原意で、「道」「趣」と漢訳される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93)、とある。
仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する六種の世界(あるいは境涯)のこと、
であり、
六趣、
六界、
ともいう(仝上)。「六道」は、
天道(てんどう、天上道、天界道とも) 天人が住まう世界である。
人間道(にんげんどう) 人間が住む世界である。唯一自力で仏教に出会え、解脱し仏になりうる世界、
修羅道(しゅらどう) 阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる、
畜生道(ちくしょうどう) 畜生の世界である。自力で仏の教えを得ることの出来ない、救いの少ない世界、
餓鬼道(がきどう) 餓鬼の世界である。食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる、
地獄道(じごくどう) 罪を償わせるための世界である、
であり、このうち、
天道、人間道、修羅道を三善趣(三善道)、
といい、
畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣(三悪道)、
という(仝上)らしい。この六つの世界のいずれかに、
死後その人の生前の業(ごふ)に従って赴き住まねばならない、
のである(岩波古語辞典)。つまり「六道の辻」とは、
死者が六道へ別れゆく分岐点、
なのである。また、
死後の世界を六道とするところから、墓地を六道原というところがあり、京都東山の鳥辺野葬場の入口も、
六道の辻、
という(世界大百科事典)。六道原の入口や六道の辻には地蔵菩薩または六地蔵がまつられているが、これは地蔵を六道能化(のうけ)といって、六道全部の救済者とするからである。「六道能化」とは、
六道の辻で死者を能く教化する、
意で、特に、地蔵菩薩を指す、
地蔵菩薩の異称、
でもある(岩波古語辞典)。
通称「六道さん」と呼ばれる、
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)、
の付近が「六道の辻」であるとされるのは、この寺の所在地付近が、
平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境、
にあたると考えられるからである。
(六道珍皇寺門前、六道の辻の碑 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93%E7%8F%8D%E7%9A%87%E5%AF%BAより)
ところで、「辻」の字は、国字である。
辻は達の省、或は云ふ、十字街の十に之繞(シンネウ)せるとなり、
とある(大言海)。作字である。
和語「つじ」は、
つむじ、
ともいう(広辞苑)。つまり、
旋毛(つむじ)と通ず、
なのである(大言海)。
ツムジの転、
ともある(岩波古語辞典)。逆に、「旋毛(つむじ)」も、
つじ、
と訓む。「つむじ」は、
ツムはくるくる廻るサマ、ジは風。アラシ、ハヤチ、コチのシ・チと同じ、
とある(仝上)。「し」は、
風・息、
と当て、
あらし(嵐)・つむじ(旋風)・しまき(風巻)、
と複合語になった形でのみ使われ、
風の古名、
とあり(大言海)、転じて、
方角、
の意となり、
西風(にし)、
と使われる(岩波古語辞典)。「ち(風)」は、
し(風)の転、
とあり(大言海)、やはり
東風(こち)・速風(はやて)・疾風(はやて)、
と、複合語としてのみ使われる(仝上)。こうみると、
ツムジ→ツジ、
と転訛したとみていいが、
「下総本和名抄」に「俗用辻字〈都无之〉未詳」とあり、「斯道文庫本願経四分律平安初期点」に「巷陌の四衢道の頭(ツムシ)」とあるように、「つむじ」の変化したものとされる。その「つむじ」は頭髪のつむじ(旋毛)と関係するとみられるが、十字路ははやくから「つじ」が一般的となっていたと思われる、
とある(日本語源大辞典)。「都无之(つむじ)」は、「独楽」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474857902.html)で触れた、倭名抄箋注本にある、
都无求里(つむくり)、
とつながる。「つじ」の古名「つむじ」の「つむ」は、「つぶ」に通じるのである。
「つぶ」は、「かたつむり」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/460441943.html)で触れたように、
粒・丸、
と当て、
「つぶし(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根」
とあり、「ツブリ(頭)」は、
「ツブ(粒)と同根」
とある。「ツビ」(粒)ともいい、「つぶ(螺)」は、
ツビ、
とも言い、「つぶら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464485052.html)で触れたように、「つぶら」の「ツブ」は、
粒、
と関わり、「ツブ」は、
ツブラ(円)、
と関わる。「粒」は、
円いもの、
と重なり、「粒」「丸」「円」「螺」は、ほぼ同じと見なしたらしいのである。
しかし、「かたつむり」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/460441943.html)でみたように、「つぶり」の「つぶ」を「粒」ではなく、「つむり」の「つむ」を、「おつむ」「つむり」の「つむ」(頭)ともみられ、
かたつむり→かたつぶり、
と転訛したとも言えるし、あるいは、「つぶ」を「つぶ(螺)」とみれば、粒と同じく、
かたつぶり→かたつむり、
となるのである。カタツムリを、別名マイマイなどという。マイマイとは、渦巻きのこと、ツブ、ツブロはニシ(螺)だから、巻貝のこと、と考えていくと、
「つじ」の古名「つむじ」の「つむ」は、
頭、
の意でもあるが、やはり、
つむじ(旋毛)、
とも
つむじ(旋風)、
ともつながり、
渦巻く、
と関わると思われる。そういえば、四つ辻は、よく、
旋風風、
が起きる。「旋風風」は、
辻風(つじかぜ)、
と呼ばれるのである。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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