「追分」は、
道の左右に分かれるところ、
分岐点、
の意で、各地に地名としてたくさん残る。たとえば、
新宿追分、
は、
甲州街道から青梅街道の分岐。内藤新宿の西端、
に当たる。
信濃追分、
は、
中山道と北国街道(北国脇往還)の分岐、
そこに設けられた宿場が、
追分宿、
である。
草津追分、
は、
東海道と中山道の分岐、
であり、そこに設けられたのが、
草津宿、
といった具合で、道の分岐点ごとにある。
(広重画『東海道五十三次之内(行書東海道)かけ川 秋葉道追分之圖』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%AC%A1_(%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5より)
「六道の辻」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/475321240.html?1590604257)で触れたように、「辻」は、
道路が十字形に交叉しているところ、
であるが、
六道の辻、
というが、
かの六道の追分にて(御伽草子・強盗鬼神)
六道の追分、
という言い方もするらしい(岩波古語辞典)。しかし、国字「辻」は、
辻は達の省、或は云ふ、十字街の十に之繞(シンネウ)せるとなり、
とあるように、あくまで、
十字路、
である。「辶」(しんにゅう)は、
「しにょう(しんねう)」の転、
であるが、
足の動作、
を意味する(漢字源)。基本は、「辻」は、分岐点でも、十字路を意味し、「追分」は、
二岐、
の意であるようである。正確には、単なる二岐ではなく、
幹線街道(本街道)から支線街道(枝線街道)への分岐点、
をいい(日本大百科全書)、そこに宿場町が発達することになる。
「追分」の語源は、
もとは牛馬を追い、分ける場所を意味したが、そこから街道の分岐点も意味するようになった、
という説がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%BD%E5%88%86)。大言海も、
駄馬、駄牛を、左右に追分くる意かと、
とする。日本語源広辞典も、
追い+分け、
とし、
街道の分かれ道で牛馬を追い分れた所、
とある。この対が、道が合流する点という意味の、
落合、
出合、
である。この地名も多い(仝上)。
(広重画『東海道五十三次之内(行書東海道)四日市 参宮道追分之図』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%AC%A1_(%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5)より)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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