2020年06月26日

安倍川餅


「安倍川餅」は、

安倍川のほとりの名物、

とあり、

搗きたての餅に黄粉や餡をまぶしたもの、また、焼餅を湯・密などにつけ、黄粉と砂糖でまぶしたもの、

とある(広辞苑)。たんに、

あべかわ、

とも言う(仝上)。転じて、

黄粉餅、

とも言い、さらに、

唐茄子のあべ川を食ふ上戸(文化十年・浮世風呂)、

というように、

茹でて黄粉まぶしたもの、

をも言うようになる(江戸語大辞典)。個人的な経験では、

焼餅を湯につけて、黄粉をまぶしたもの、

が、「安倍川餅」であった。確かに、

黄粉餅、

とも呼んだ。

歌川広重『東海道五十三次之内 府中 あへ川遠景』.jpg

(歌川広重『東海道五十三次之内 府中 あへ川遠景』 https://ippin.gnavi.co.jp/article-9574/より)

浮世絵にもあるように、安倍川付近で、東海道を上り下りする旅人に供した掛茶屋の名物だが、評判になったのは、天明年間(1781~89)から、らしい(たべもの語源辞典)。それは、

当時珍しかった砂糖を用いたから、

であるらしい(仝上)。たべもの語源辞典には、

搗きたての餅を臼の中から小さくちぎり、砂糖蜜を塗り、砂糖を等分に加えてつくったきな粉に少量の塩を加える。まぶして皿に盛り、その上から白砂糖を振りかけて出した、

とある。後に、

土産物に小豆の漉し餡でくるんだものができ、黒と黄の二色の安倍川餅になった、

とある(仝上)。東海道中膝栗毛(十返舎一九)にも、

ここは名にあふあへ川餅の名物にて両側の茶屋いずれも奇麗にはなやかなり、

とあり、

「五文どり」(五文採とは安倍川餅の別名)、

としてhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%B7%9D%E3%82%82%E3%81%A1、登場する。

茶屋女が名物餅を、

「あがりゃアレ」

と旅人に呼び掛けたため、旅人の話題になった(たべもの語源辞典)、とある

由来については、いくつかある。ひとつは、

慶安年間(1648~52)、東海道府中(静岡)、堤添川越町の弥勒院の仏弟子のひとりが、師僧の勘当をうけて還俗し、名を源右衛門と改め、河原で茶を出し餅を売り始めたのが起こり、

といい(仝上)、また別に、

慶安年間(1648~52)、徳川家康が井川笹山金山を御用金山として採掘させたころ、家康が巡検に赴いたとき、餅をつくって献上したものがあり、家康は大いに喜び、その餅の名を尋ねると、「金の粉が安倍川に流れますのをすくい上げまぶしてつくるので、金なこ餅と申します」と答えた。家康が気に入って、「安倍川餅」の名を貰った、

という(仝上)。東海道をたびたび往来したことのある八代将軍徳川吉宗はよく知っており,当時の御賄頭(おまかないがしら)の古郡孫太夫が駿河からもち米を取りよせて調進したところ大いに嘉賞されたと,江戸南町奉行でもあった根岸鎮衛(やすもり)がその著『耳囊(みみぶくろ)』に書いている(世界大百科事典)。

なお、お盆に安倍川餅を仏前に供え食べる風習のある山梨県などでは黄な粉と黒蜜をかけるらしいが、餅の形も基本的に角餅である。同じく安倍川餅と呼んでも、言っても静岡市内のものとは違う。この風習から派生した土産菓子が信玄餅であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%B7%9D%E3%82%82%E3%81%A1、という。

安倍川もち.jpg


参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:安倍川餅 黄粉餅
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posted by Toshi at 03:25| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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