「かきもち」には、
欠餅、
と
掻餅、
の二種ある(たべもの語源辞典)、とある。欠餅は、
正月の鏡餅を砕き欠いてつくる干菓子のこと。公家では「かきがちん」、女房詞(ことば)では「おかき」と称した。『本朝食鑑』は「鏡餅は八咫鏡(やたのかがみ)に擬した餅か」と述べ、「武家は甲冑にこの餅を供えたところから具足餅と称した。これは八幡神に供えたものである」と説明している。欠餅は正月20日の鏡開きにつくられた。刃柄(はつか)を祝うの意だが、1651年(慶安4)4月20日に徳川3代将軍家光が死亡して以来、20日を遠慮して正月11日に改められた。鏡開きには「切られる」を忌み、刃物を使わずに手で欠き割ったのでこの名がある。包丁で切ったものは片餅(へぎもち)というが、いまはどちらもかき餅という。また餅をなまこ形につくり、小口から薄く輪切りにして干したものもかき餅とよぶ。鏡餅を砕いたかき餅は、汁粉に入れるか、干して油で揚げるが、なまこ形につくるかき餅には、黒ごまや大豆、青のりなどを搗(つ)き込んで風味をつけることもある、
であり(日本大百科全書)、掻餅は、
牡丹餅、
と
そばがき、
の二種がある(たべもの語源辞典)。つまり、掻餅は、
「掻(か)い練り餅飯(もちい)」の意で、かい餅、かき餅という。掻餅にも、ぼた餅、おはぎをさす場合と、そば掻き(そば餅)をさす場合がある。『宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)』に「僧たちよひのつれづれに、いざ掻餅せむといひけるを」とあるのや、『徒然草(つれづれぐさ)』の「一献にうちあわび、二献にえび、三献にかいもちひにてやみぬ」などは、そば掻きのほうとみられる、
とある(日本大百科全書)。
欠餅は、「かがみびらき」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473083486.html)で触れたように、
「正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事である。神仏に感謝し、無病息災などを祈って、供えられた餅を頂き、汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などで食される。」
ものである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E9%96%8B%E3%81%8D)が、鏡餅は割って祝う。
「武士は斬(きる)という言葉を忌み、刃を入れずに引掻くので、これをかき餅とよんだ。」
とある(たべもの語源辞典)。江戸時代、
「新年の吉日に商家では蔵開きの行事をしたが、武家において新年の11日(もと20日)に行われる行事で鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮などにして食し『刃柄(はつか)』を祝うとした行事。また、女性が鏡台に供えた鏡餅を開くことを「初顔」を祝うといった。この武家社会の風習が一般化したものである。江戸城では、重箱に詰めた餅と餡が大奥にも贈られ、汁粉などにして食べた」
この武家社会の風習が一般化した(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E9%96%8B%E3%81%8D)。
庖丁で切ることを嫌い鏡餅を引き欠いた、
ので、
欠き餅、
といったのであるが、いまは
片餅(へぎもち)、
のことも、
かきもち、
といっている(たべもの語源辞典)。「へぎもち」というのは、
鏡餅を刃物でヘギ切りにしたものである。近世になって、ナマコ形に餅をつくって、それを小口から薄く切って干したもの、
で(仝上)、因みに、「へぎ」は、和食の調理用語で、
「剥ぎ」と表記し、薄く表面を剥ぎ取るようにする、
といった意味になり(https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/9991_K/01.html)、皮剥のごとく表面だけを薄くすき切る包丁のことを「へぎ切り」と言う、とある。
(へぎ餅 日本大百科全書より)
「かきもち」の語源を、
カハキモチ(乾餅)の約、
とする(菊池俗語考)のは、「へぎもち」の由来を指しているのではあるまいか。
鏡餅は、
「武家では正月に鎧や兜の前に鏡餅を供えたことから、…具足餅と呼ばれた。女子は鏡台の前に供えた」
からである(語源由来辞典)。
「掻餅」は、
かきもち、
とも、
かちもち、
とも呼ぶが、幕末の『守貞謾稿』には、
かい餅(もちひ)は牡丹餅、
とある。
掻練の餅、
だから、とする(たべもの語源辞典)。
「ぼたもち」とは、
よく搗かぬ餅、
つまり、
掻き練った餅、
だから、という意味である(たべもの語源辞典)。「ぼたもち(牡丹餅)」とは、
もち米とうるち米を混ぜたもの(または単にもち米)を、蒸すあるいは炊き、米粒が残る程度に軽く搗いて丸めたものに、餡をまぶした食べ物である。米を半分潰すことから「はんごろし」と呼ばれることもある、
もので(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BC%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%A1)、昔は「ぼたもち」のことを、
かいもちひ(かいもち、掻餅)、
と呼んでいた(仝上)故であるが、安永八年(1778)の『屠竜工随筆』に、
萩のことを「ぼた」というから、「ぼたもち」とは「はぎもち」ということだ、
とある。萩餅は、おはぎで、ぼたもちである(たべもの語源辞典)。
しかし、『徒然草』に、最明寺入道が足利左馬入道のところで御馳走になる献立に、
一献にうちあわび、二献にえび、三献にかいもちひにてやみぬ、
とある「三献にかいもちひ」というのは、
そばがき、
とする説が強い(たべもの語源辞典)、という(「三献」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474358804.html)については触れた)。
民間伝承に、南駒ケ岳山麓の村では、蕎麦粉で製した「かき餅」「かい餅」「けえ餅」などとよぶ蕎麦餅をつくり、とくに一月一三日の夜は、このけえ餅を食べる習慣があり、「かんがえ餅」とよんでいる。寒に入って食べるかい餅という意味だろう、
とある(仝上)。
「蕎麦がき(そばがき、蕎麦掻き)」は、
蕎麦粉を熱湯でこねて餅状にした食べ物、
で、
蕎麦切り(蕎麦)のように細長い麺とはせず、塊状で食する、
ものである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%8E%E9%BA%A6%E3%81%8C%E3%81%8D)。17世紀の農村事情に詳しい武士の書いた『百姓伝記』には、
「そば切りは田夫のこしらへ喰うものならず」
とあるように、そば切りを禁止されている農村が少なからずあった。そのような地域では蕎麦がき、そば餅が食べられた(仝上)、とある。
「蕎麦がき」は、
鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られる。江戸時代半ばまではこの蕎麦がきとして蕎麦料理を食べられていた、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%8E%E9%BA%A6%E3%81%8C%E3%81%8D)、これを、「かきもち」というのは、
そばを掻いてそばがきにした餅、
だから、である(たべもの語源辞典)。
つまり、同じく「かきもち」とは言うものの、
餅を欠いて食べたから、「かきもち」(欠餅)、
であり、
蕎麦を掻いて「そばがき」にした餅だから、そばがきもち(蕎麦掻餅)、略して、かきもち、
であり、
よく搗かぬ餅である「ぼたもち」、つまりかき錬った餅だから、かきもち、
なのである(仝上)。
ただ、「かきもち」と呼ぶものに、もうひとつ、
覚えた通り祝ふかきもち、
という句がある(昼網)ように、
氷餅(こおりもち)の異称、
のあるものがある(岩波古語辞典)。これは、
餅を水に浸して凍らせたものを寒風に晒して乾燥させた保存食、
であり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E9%A4%85)、別名、
干し餅(ほしもち)、
凍み餅(しみもち)、
凍み氷(しみごおり)、
とある(仝上)。今日、
かきもち(欠餅)、
と呼ぶものに、もうひとつ、「煎餅」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/468559673.html)でも触れたが、
おかき(御欠)、
とよぶ、
餅米を原料とした菓子。なまこ餅などの餅を小さく加工し(欠き)、乾燥させたものを表面がきつね色になるまで炙った米菓、
がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%81%8D)。これは、
鏡餅など神様に供えた餅を槌で細かくして作られるもので、そのような餅に刃を入れるのは縁起が悪いとして槌が用いられた、
とあり(仝上)、本来の「欠餅」から由来している。ちなみに、「あられ」との違いは、
原料の餅を細かくするために包丁を使ったものを「あられ」、槌を使ったものを「おかき」と呼んだ、
とある(仝上)。刃を使うのを忌んだからであり、これも、鏡餅を欠くことに由来する。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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