2020年08月01日

隠元豆


「インゲンマメ」は、

隠元豆、

の他、

眉児豆、
菜豆、

とも当てるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%A1。漢名は、

雲豆、
花雲豆、

で(たべもの語源辞典)、

別名、

サイトウ(菜豆)、
サンドマメ(三度豆)、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%A1か、

インゲンササゲ、
ゴガツササゲ、

とか(広辞苑)呼ばれるが、別に、

フジマメの別称、

ともされ(広辞苑)、フジマメ(藤豆)は、別名、

センゴクマメ(千石豆)、
アジマメ(藊豆)、

のことを、西日本、関西、では「インゲンマメ」と呼び(広辞苑)、

両種は混同されやすいとあるが、別種である、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%A1

当然、「隠元豆」と当てる以上、

隠元が明から伝えた豆、

とされている(日本語源広辞典)が、

隠元禅師が中国から帰化するとき持ってきた豆がどれであったかわからない、

という(たべもの語源辞典)。

隠元が日本に伝えたのはフジマメともいわれるが、フジマメは平安初期から「アヂマメ」という名で存在している、

とある(語源由来辞典)。牧野富太郎博士は、フジマメがインゲンマメと力説したらしいが、和名抄に、

アヂマメ、

として載っており、平安初期には日本に渡来していたと思われる。

インゲンマメ.jpg


また、別に、「インゲンマメ」の別名は、「五月ささげ」「三度豆」であるが、

隠元禅師は二種類の豆をもってきて、関東には五月ささげを、関西には藤豆を広めた、

とする説(由来・語源辞典)もある。要は、隠元禅師に何かかかわりがあるらしい、ということしかはっきりしない。

インゲンマメは、

アステカ帝国では乾燥させたインゲンを税の物納品目として徴収していた。ヨーロッパにはコロンブスの二度目の航海の後に持ち込まれ、16世紀には育てやすく食べやすい作物として栽培されるようになった。。特にギリシャなど地中海沿岸地域では、ソラマメ中毒にならない健康に良い豆として受け入れられた16世紀末にヨーロッパを経由して中国に伝わり、17世紀に日本に伝わった、

のに対してhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%A1、フジマメは、

熱帯アジアからアフリカ原産で、エジプトで「ラブラブ」という豆である。フジマメは千石豆とも言われるのは、収穫が多いからだし、味豆といわれるのは、味が良いからである、

とあり(たべもの語源辞典)、別系統の豆である。「フジマメ」は、漢名、

藊豆、

とされる(仝上)。

今日一般に「隠元豆」とされるものは、明治時代に日本に輸入された、

トウロク豆、

という品種である。これが、

ゴガツササゲ、

である。「ささげ」は、捧げるという意味で、豆果が上を向くものにつけられた、

とある(たべもの語源辞典)。ゴガツササゲの漢名は、

竜爪豆、
雲藊豆、

である(仝上)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:隠元豆
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posted by Toshi at 04:03| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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