2020年08月10日

海の民


田中健夫『倭寇―海の歴史』を読む。

田中健夫『倭寇―海の歴史』.jpg


著者は、本書の狙いを、

「本書では、倭寇の功罪を論ずるよりも、倭寇の活動をなるべく高い観点から考察して、その実像を東アジアの国際社会という背景のなかに立体的に浮き彫りにしてみたいとおもった。これまでの歴史叙述では陸地中心の歴史観が主流をなしていたが、倭寇の問題はその範疇ではとらえきれない。より広い視野からの、国境にとらわれない海を中心とした歴史観の導入が必要である。それは単なる海面の歴史ではなく、陸の歴史をも包摂するものであり、日本の歴史ばかりではなく、琉球の歴史も、朝鮮半島の歴史も、中国大陸の歴史も、世界全体の歴史をもつつみこむ歴史叙述でなければならぬとおもう。私は本書を『海の歴史』の序章のつもりで書いた」

と記す。そのことは、「倭寇」という文字が、

中国や朝鮮の文献に見える文字、

で、

日本の文献には見られない、ということにも象徴的に表れる。「倭寇」という以上、

本来は日本人の寇賊あるいはその行動である、

はずだが、「倭寇」という言葉自体が、

時と場所のちがいによってさまざまに用いられ、「倭寇」という文字であらわされるものの実体、

は、一筋縄ではいかない。「倭寇」は、

十四~十五世紀の倭寇、
と、
十六世紀の倭寇、

があり、「倭寇」というものが、

「東アジアの沿岸諸海域を舞台とした海民集団の一大運動であるが、構成員は日本人だけではなく、朝鮮人・中国人・ヨーロッパ人を含んでいる。日本史上の問題というよりも、アジア史あるいは世界史の問題といった方がふさわしい。倭寇の活動は東アジア諸国の国内事情を母体とし、国際関係の歪みを引き金として発生し、大きな影響、大きな爪あとを中国大陸・朝鮮半島・日本列島・琉球列島・台湾・フィリピン・南方諸地域の諸国人民に残し、これらの地域の歴史を変革しながら消滅していった」

という大きな歴史的背景抜きには捉えきれないものだからである。

「倭寇」発生時期は、

中国では蒙古民族の元から、漢民族の明へ、さらに満州族の清へ、
朝鮮半島では、四百年続く高麗から李氏朝鮮へ、
日本では、南北朝から、室町時代の武家社会へ、

と、それぞれ大きな変革期にあり、「倭寇」は、

東アジアの激動の時代に発生し国際社会を左右した、

動きであった。

前期(十四~十五世紀)と後期(十六世紀)の倭寇に根本的な相違があるわけではない、

という考え方(本書解説、村井章介)もあるが、本著者は、両時期の構成員の差から両者を分けて考えているように見える。その違いを、

いつ、
どこで、
だれが、
どんな理由で、
なにをして、
それがどうなったのか、
その歴史的意味は何か、

の視点から整理している。「いつ」は、

十四~十五世紀の倭寇と十六世紀の倭寇は、同性格、同内容のものではなく、連続性をみとめることは難しい、

上、両者の活動領域も、前者が朝鮮半島中心なのに対して、後者は、中国大陸全域、台湾、フィリピンにまで広がっている。

十四~十五世紀の倭寇は、多く日本人だが、それでも、その構成員は、

倭人は一、二割で、朝鮮人が倭服をかりに着て徒党して乱をなした、

いわれる程である。十六世紀の倭寇になっても、明史や明の文献自体が、

大てい真倭は十の三、倭にしたがうものは十の七、戦うものはそこで掠めた人を軍の先鋒にする、

と書き、更には、

中国人が一、二の真倭を勾引して酋主とし、みずから髪を剃って、これにしたがう、

とか、

各賊ついに二千余の徒を糾集し、そのうち二百余人が髪を剃って、いつわって倭人をよそおっている、

とか、

三割しかいないという真倭も実は中国人が雇募したもの、

とあり、こうなると、

偽装の中国人集団、

であり、倭寇の主体が中国人ということになる。当目として有名な王直などは、平戸を本拠にし、

部下二千余人を擁し三百余人を載せる大船を浮かべていた、

という。さらに、中国では、海禁政策との関係で、

東アジアに進出したポルトガル人、イスパニア人をも合わせて倭寇と呼んだ、

というか、「倭寇」として処理してしまっていることもあり、「倭寇」と呼んでいた言葉は、かなりあいまいである。しかし、

倭寇の観念が中国人の思想の中に定着したのは、実に豊臣秀吉の朝鮮出兵の時であった。日本史でいう文禄・慶長の役は、中国にとっては最大の倭寇だったのである、

というのが、中国の中にある倭寇のイメージだということは忘れてはならない。

また「倭寇」の理由をみると、

十四~十五世紀の倭寇は、行動目標が、

米穀などの生活必需品に置かれていたこと、

が注目されるのに対して、十六世紀の倭寇は、

掠奪、

ではなく、

私貿易、
密貿易、

であった。

倭寇の活動が低下していくのは、豊臣秀吉の国内統一、特に、天正十六年(1588)の海賊禁止令であるところを見ると、倭寇という寇賊行為が、日本側から見ると、南北朝、室町時代と、少なくとも日本国内の乱れが起因となっていることは確かである。

参考文献;
田中健夫『倭寇―海の歴史』(講談社学術文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:56| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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