2020年08月18日

語るに落ちる


「語るに落ちる」は、

話しているうちに、うっかり本当のことを言ってしまう、

意で(広辞苑)、

問うに落ちず語るに落つ、

あるいは、

問うに落ちず語るに落ちる、

の略とされる。つまり、

人にとわれた時には、用心して胸の中の秘密を言わないが、何気なく話す時は、かえって真実の事を漏らしてしまうものだ、

という意である。

とふにおちぬはかたるにおつる、

とも言う(故事ことわざの辞典)。

しかし、この対は、ちょっと違う気がする。

問われているという状態の時は、十分緊張し、慎重に答えるが、何気なく、普通の話をしている時は、何かの拍子に、ふと漏れてしまう、

というので、二つのシチュエーションは全く違う。むしろ、

問われて緊張している状態、
と、
くつろいで油断している状態、

との対ではないか。

問わず語り、

という言い方もある。たしか、「ものがたり」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163498.htmlで触れたが、人は皆自分の物語を持っており、それを語りたがっている、という。だから、心が緊張から解け、自分のことを話している時は、つい、言わでものことを言ってしまう、ということはある。

それに、しゃべる時は、意識の流れの中から、言語化して口に出すが、意識は言語のスビートの20~30倍のスピードで流れていく。何かをしゃべろうとして、その言語化に気が向いている時は、何かの中身に無頓着になることがある。しゃべってしまった瞬間、自分の言葉を耳で情報として聞いて、ハッとするということはある。

しかし、一方、質問というのは、

人は問われたことの答えを自分の中で探そうとする、

という効用があるとされる。で、問題は、

どう問うか、

でその答が変わる、ということだ。例えば、

何があったんだ(何が起きたんだ)?

と問えば、何があったか、という事柄を語るだろう。しかし、

何したんだ(何やったんだ)?

と問えば、何をしたか、自分の行動を語るだろう。そして、

何考えてんだ?

と問えば、自分の言い訳を言うだろう。

やったこと、

考えたこと、

は、言い訳で包めることが出来る。しかし、

起こったこと、

は、聞き手が観察力さえあれば、突っ込みどころが見えてくるはずだ。なぜなら、起こったことを語る時は、とりあえず、俯瞰的に、時系列に従って、起こったことを語るしかないからだ。その事実経過の中で、相手が、どこで何をしようとし、結果何が起きたかは、後から当てはめて行けばいい。

結局、何が起こったかを語ることで、何をしたかは、おのずと見えてくるのではないか。

問うに落ちず語るに落つ、

の語りは、確かに油断した状態で、思わず語るということもあるが、

ただ自分の物語を語らせる、

のではなく、

自分を含めた状態の変化を語らせる、

ことで、結果として、

語るに落ちる、

ことになるのではないか、という気がする。

「言葉の構造と情報の構造」http://ppnetwork.c.ooco.jp/prod0924.htm#%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0%E3%81%A8%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0で触れたが、時枝誠記氏は、日本語の表現形式を、話し手が対象の客観(客体)的な表現である「詞」を、主観(主体)的な表現である「辞」が包む、「入子型構造」と呼んだ。

詞と辞.gif

つまり、「事実」は語られるとき、「辞」という主体的表現によって、偏っている。だから、主体の行動や考えの言い訳を聞く限り、事実は見えてこない。だから、できる限り、「辞」に包まれている「詞」を再現し、何が起きているかを浮き上がらせることの方が、正確に起きたことを見極める近道になる。犯罪捜査で、目撃情報だけに頼ると、誤認逮捕になるのは、その事実は主観的な事実に過ぎないからだ。その意味では、多くの目撃情報を集め、その中から、何が起きたかを再現しようとすることの大事さがわかる。

語るに落ちる、

は、

語るに任す、

のではなく、

語らせる、

ことだ、ということになる。そのための問いが鍵になる。

「かたる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/448623452.htmlで触れたように、「かたる」は、「はなす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/448588987.html?1490905148とは違う。「はなす」は、

放す(心の中を放出する)

である(大言海)。「かたる」との差は、

筋のある、
事柄や考えを言葉で順序立て、

というところになる。だから、「かたる」は、

語る、

と、

騙(衒)る、

と漢字で当て別けないかぎり、そのいずれなのかは、

かたる、

だけでは区別されない。いずれも、


「タカ(型、形、順序づけ)+る」で、順序づけて話す、

である(大言海)。そこで語られる、

順序付けた事柄、

こそが、突っ込みどころ満載の、「語るに落ちる」鍵になる。そのとき、

どの位置にいて、
どう関わったのか、

は、それを語るパースペクティブ(視界)に、おのずと事実が顕れる。なぜなら、パースペクティブは、主体からの物事の見え方を示しているからだ。

参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:語るに落ちる
posted by Toshi at 03:52| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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