秋の七草は、
萩、
尾花、
葛、
撫子(なでしこ)、
女郎花、
藤袴(ふじばかま)、
桔梗(ききょう)、
のとされるが、山上憶良の歌では、
萩の花尾花(をばな)葛花(くずはな)なでしこの花をみなへしまた藤袴(ふぢはかま)朝顔の花、
と、桔梗ではなく、朝顔を入れている。この朝顔が何であるかについては、
桔梗説、
牽牛子(けんごし)説、
木槿(ムクゲ)説、
等々諸説がある(https://tankanokoto.com/2019/10/aki-nanakusa.html)。「牽牛子」は、「あさがお」の種の生薬の名である。
今日、「あさがほ(あさがお)」は、
朝顔、
と当てる。「朝顔」は、
朝、起き出たままの顔、
つまり、
寝起きの顔、
の意である。枕草子には、
殿おはしませば、ねくたれの朝顔も、時ならずや御覧ぜむ、と引き入る、
とある。大言海は、「朝顔」を、六項目に分ける。
「朝顔」の第一は、
朝、寝起きの顔、
の意で、
朝容(アサガタチ)、
と当てる。この意は、
麩焼(ふやき)の異名(後水尾院年中行事)、
ともある。
焼きたる面の、清らかならぬを、女の朝顔の、つくろはぬに喩えて云ふ、
とある。つまり、ということは、「朝顔」は、「女性の寝起きの顔」の意である。その意の転化として、
「朝顔」の第二は、
朝の容花(かほばな)の意、
つまり、
朝に美しく咲く花、
の意を持つ。「容花」は、
貌花、
とも当て(大言海)、
かほがはな、
ともいう(岩波古語辞典)が、
カホとは、容姿(すがた)の義、すがたの美しき花の儀、容(かほ)が花とも云ふ(容好花(かほよばな)とも云ふ)、美麗なる人を、容人(カタチビト)と云ふが如し、容鳥(かほどり)、かほよどりと云ふも同じ、
とある(大言海)。「容花」は、広く、
朝に美しく咲く花、
の意だが、
ひるがほ、
をいう(岩波古語辞典)とあるが、他に、
あさがほ、かきつばた、ムクゲ、オモダカ、
等々も指した(仝上)。
「朝顔」の第三項は、
朝の美しき花、
が一つに絞られていく。
朝に咲くが美しいもの、
として、「あさがほ」は、
ききょう、
むくげ、
にも当てられたが、
木槿も牽牛子(漢方、朝顔の種)も後の外来ものなれば、万葉集に詠まるべきなし、
とし、
桔梗、
の意であった、とする(大言海)。
今日の「あさがお」は、
奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされる。アサガオの種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では「牽牛子(けにごし、けんごし)と呼ばれ、奈良時代、平安時代には薬用植物として扱われていた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%82%AA)が、
遣唐使が初めてその種を持ち帰ったのは、奈良時代末期ではなく、平安時代であるとする説もあるが、このため、古く万葉集などで「朝顔」と呼ばれているものは、本種でなく、キキョウあるいはムクゲを指しているとされる、
としている(仝上)。平安初期の新撰字鏡も、
桔梗、阿佐加保(あさがほ)、
とし、岩波古語辞典も、「朝顔」が、万葉集で歌われているのは、
桔梗、
の意で、輸入された、
ムクゲが美しかったので、それ以前にキキョウにつけられていた「あさがほ」という名を奪った、
ととする。名義抄(11世紀末から12世紀頃)には、
蕣、キバチス、アサガホ、
とある。その後、平安時代に中国から渡来した、その実を薬用にした牽牛子(けにごし)が、ムクゲよりも美しかったので、「あさがほ」の名を奪った、
と(岩波古語辞典)ある。名義抄には、既に、
牽牛子 アサガホ、
とある。
「ムクゲ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/455243777.html)で触れたことだが、
ムクゲは古代の中国では舜(しゅん)とよばれた。朝開き、夕しぼむ花の短さから、瞬時の花としてとらえられたのである。『時経』には、女性の顔を「舜華」と例えた記述がある。白楽天も一日花を「槿花(きんか)一日自為栄」と歌った。(中略)日本では平安時代から記録が残り、「和名抄」は木槿の和名として木波知春(きはちす)をあげている。これは「木の蓮(はちす)」の意味である。『万葉集』の山上憶良の秋の7種に出る朝顔をムクゲとする見解は江戸時代からあるが、『野に咲きたる花を詠める』と憶良は断っているので、栽培植物のムクゲは当てはめにくい、
としていた(日本大百科全書)ので、やはり、万葉集の歌にある「朝顔」は、
桔梗、
のようである。
そして、「朝顔」の第四項目は、「桔梗」から「あさがお」の名を奪った「ムクゲ」である。
此灌木、字音にて、木槿(むくげ)と呼べば、漢種の移植のものなり、されば野生になし、其花、朝に咲きて、暮れに落つれば、朝顔と云ふ、色種々にして、殊に美麗なれば、桔梗の名を奪へるなり、然れども、又、牽牛子(あさがほ)に、其名を奪はれて、字音の方にて、呼ばれるやうになれり、
とある(大言海)。確かに、「槿」について、『漢字源』には、
「花は朝開いて、夕方にはしぼむので、移り変わりのはやいことや、はかないことのたとえにひかれる」
とあり、「舜(しゅん)とよばれた」というだけの謂れはある。日本で、古く、「あさがお(朝顔)の名があったのもそのゆゑである。
「朝顔」の第五項目は、今日の「あさがお」である。
平安朝の初期に、實を薬用とするために、漢種を渡しし草にて、野生になし、即ち、字音にて、牽牛子(ケニゴシ)と云ひき、實の名なるが如し、朝に花咲きて、其碧色の美麗なること木槿(あさがほ)に超ゆれば、その名を奪ひ、ケニゴシ(牽牛子)の名は行われず、終にアサガホの名を専らにして、いまの世に到れり、
とある(大言海)。平安中期の和名抄には、
牽牛子 阿佐加保、
とある。
花の色は、渡来時は、
碧色、
白色、
の二種であったらしい(仝上)。それが江戸時代に、
文化・文政期(1804年-1830年)、嘉永・安政期(1848年-1860年)、
とブームがあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%82%AA)、色だけではなく、八重咲きや花弁が細かく切れたり、反り返ったりして本来の花型から様々に変化したものが生まれた(仝上)という。
(嘉永7年(1854年)発行の「朝顔三十六花選」 https://intojapanwaraku.com/culture/2485/より)
牽牛子(けにごし)、
が、
あさがお、
と呼ばれるようになったのは十世紀初め頃であり、「朝顔」という表記が定着したのは幕末頃と考えられている。
ついでに、「朝顔」という名をもつものがある。これが「朝顔の第六項目。
蜉蝣、
である。爾雅、釋註「蜉蝣」に、
朝生暮死、
とある(大言海)。
因みに、「牽牛子」を、
けにごし、
と訓むは、
けぬごしの転、ゴは牛(ギュウ)の呉音、證類本草「此薬始出田野人、牽牛易薬、故以名之、
である(大言海)。牽牛子は『名医別録』に、
「味苦寒、有毒。気を下し、脚満、水腫を療治し、風毒を除き、小便を利す。」
載る、とある(https://www.uchidawakanyaku.co.jp/tamatebako/shoyaku_s.html?page=107)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95