2020年09月24日

アジア観


松浦玲『明治の海舟とアジア』を読む。

明治の海舟とアジア.jpg


明治維新の時数え四十六歳の海舟は、七十七歳まで生きた。その海舟は、

明治人と際立って違っていたところ、

は、

日清戦争に反対だったこと、
と、
西郷隆盛は征韓論者ではないと主張し続けたこと、

の二つだと、著者は述べる。これが本書を貫く、通奏低音である。

「日清戦争に反対するのも、西郷隆盛が征韓論者で無いと言うのも、共にアジア問題である。明治の海舟は、アジア問題について、同時代の日本人とは異なる考え方を持っており、福沢諭吉の『脱亜入欧』論と対比させていえば、海舟は、アジアに踏み止まるという意見だった。ヨーロッパ的な国家になる必要はないと思っていた。」

これは、どこか、

「儒教的な政治的=道徳的君主の思想を本気で日本に適用しようと試みて、幕末の政局中に短期間ながら特異な位置境地を切り開いた」

横井小楠に似ている。海舟は終生、「横井小楠と西郷隆盛の二人に最大級の敬意を払い続ける」のである。横井小楠http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163207.htmlhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/388163208.htmlについては触れた。

幕末の頃から、海舟は、

日清韓三国同盟による西欧列強に対抗する、

という構想を持っていた。幕末に神戸の海軍操練所を創った時、海舟は、

「この操練所を日本、朝鮮、清国三国同盟の足掛かりにしようという遠大な構想を持っていたのだが、幕府主流から危険視され、潰されてしまった」

のである。日清戦争に反対した海舟は、

隣国交兵日
其軍更無名
可憐鶏林肉
割以与魯英

という詩を書き、終始一貫、日清戦争にも朝鮮介入にも、反対し続ける。反対に当たって、

「日本が『文明』で中国が『野蛮』だという伊藤や陸奥(それに福沢)の図式を拒否した」

のである。

「この戦争に名分が無いこと、とりわけ開戦にもちこむ手順が無理無体であることは、政権担当者にもよくわかっている。海舟がそれを非難していることに気付きながら、しかしあの戦争は有益だったと論じたのは、陸奥宗光外相の下で外務次官を務めた林菫である。(中略)その林も、『無名の師』だという海舟の論は理解できた。外交の中枢に居て、開戦が無理無体であったことを、誰よりもよく知っているからである。しかし、林は、有形無形の利益が莫大であったことを対置して、道義の問題を切り捨てる。(中略)第一に、……第二次伊藤内閣は開戦によって条約改正を遂行することが出来た。(中略)戦争が議会の条約改定反対を押さえる手段に使えると読み、同時にイギリスとの調印を以って、これからやろうとする日清戦争の後盾としたのである。(中略)日本は挙国一致で戦争にのめりこみ、天皇の下に団結するという国民感情も、このときできあがった。清国や中国人に対して持っていた畏怖の念は放棄され、侮蔑感がとって代わる。
 条約改正の後楯効果も大きかった。日本は日清戦争を『文明』に助けられてやった。(中略)欧米的国際法規さえ守っていれば、欧米から突然の武力介入を心配する必要はなく、『文明』国の一員として安んじて『野蛮なる支那』を討つことができる。つまり帝国主義的侵略を行っている列強と対等に、帝国主義の許容範囲めいっぱいの戦争が出来るわけである。……列強を怒らせないかぎり、日本は朝鮮や中国に対し、侵略の先例を開くことができるようになったのである。(中略)
 海舟はそういうことすべてに反対だった。
 彼は、幕末以来の筋の通ったアジア同盟論者である。東アジア三国の団結で欧米の侵略をはねかえせという原則的立場を維持し続けている。(中略)
 海舟にいわせれば、朝鮮や中国を叩いたり馬鹿にしたりすることが近代国家なのであれば、日本は近代国家にならない方が良いのである。」

「海舟にとっては大久保から伊藤に引き継がれた薩長藩閥政権の主流と、自由民権とは、西欧型近代を目指す点で基本的に同じ方向を向いている。そうして、それと『西郷』が対立しているのだ」

海舟が西郷の復権に尽力する一方で、彼が征韓論ではない、と主張し始めるのには、

「西郷隆盛崇拝者の中には西郷が征韓論者だと信じて、それ故に彼を頌え、西郷隆盛の遺志を継ぐなどと称している手合いが多数いる。それでは西郷隆盛復権が、朝鮮戦略アジア侵略につながってしまう」

のである。

「海舟がそうするのは、海舟自身のアジア問題であり、日清戦争の問題である。日本政府批判であり、戦争に熱狂した日本人批判である。『朝鮮を征伐して、西郷の志を継ぐなどと云ふことが、何処にあるエ』なのである」

だが、残念ながら、

「この時も、現在も、日本近代国家―日清戦争を既定のこととしてものごとを考えている人には、海舟が何を言っているのか見当もつかないのではあるまいか」

という著者の呟きは、重い。著者はこう書く。

「日清戦争がアジアを犯した病毒の猛烈さを改めて痛感せざるを得ない。日清戦争が不義の戦争であるにも拘らず、日本が勝ったことの衝撃が中国人を動かす。その毒は、康(有為)や梁(啓超)ら改革派だけでなく、孫文ら革命派をも犯していたのではないか。
 日清戦争の毒が梁啓超や孫文を犯すという言い方は、二十年前には理解されなかったに違いない。今でも誤解や反発を招く恐れは充分にある。中国人による中国の改革や革命は、たとえそれが悪しき日本の影響に起因するものであっても肯定的にとらえるのが当然とされており、それをも批判しようとする私の発想は、保守反動の謗りを免れないからである。だが、そこを肯定すれば、結局は日本の『先進性』を認めざるをえなくなる。価値の方向がそうなるのだ。それを疑ってみる勇気を与えられたことが、明治の海舟につきあってきた私の収穫である」

と、そして、こう本書を締めくくるのである。

「地域としての『アジア』において。日本が突出した資本主義的近代国家となり近代帝国主義国家となり、敗戦を経て現在でも資本主義的突出は改めて世界的な影響力を持ちながら『アジア』を引きずる。日本人の自尊心、愛国的ナショナリズムは、それにくすぐられている。中国の『現代化』スローガンも日本人の愛国的ナショナリズムをくすぐっていると、残念ながら言い添えておかなければなるまい。こうして我々は、いろいろ難癖をつけながらも結局は日本近代の総体を是認する歴史観を保持し、日本の近代化が何故かくも成功したかという分析に力を注いでしまうのである。転換は難しい。アジアを、日清戦争のときに海舟が考えていたところまで立ち戻って考えてみるのは、転換を模索するための一つの方法となるだろう」

少なくとも、三十年余前のこの述懐は、世界第二の経済大国となり、米中対立をしている今の中国の台頭を前に、別の感慨が浮かぶ。しかし、今の中国に、かつて膨張した大日本帝国を彷彿とさせる夜郎自大さは、逆に、アジアの近代化の出発点は、何であったを考える、別の視点からのパースペクティブが開けるのかもしれない。

なお、海舟の生涯については「行蔵は我ニ存す」http://ppnetwork.seesaa.net/article/476090186.htmlで触れた。

参考文献;
松浦玲『明治の海舟とアジア』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:33| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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