2020年09月26日

直観


和辻哲郎『日本精神史研究』を読む。

日本精神史研究.jpg


通読して、僕には、

精神史、

というのは疑問に感じられたた。解説の加藤周一氏は、内田義彦氏の、

作品としての社会科学、

を例に、

対象とする世界のできるかぎり客観的な分析と叙述が、同時に著者の内面的な世界を反映する、

という意味で、これを、

著者の内部、その希望や悲しみ、感受性や価値観、つまるところ人格の全体を滲みださせる。そこで認識と表現とが重なる、

とし、本書を、

作品、

と位置づけるのは納得できる。しかし、これが精神史であるとした理由、

第一に、その精神が時代を超越するのではなく、それぞれの時代に固有の精神、すなわち「時代精神」があるということ、

第二に、「時代精神」は、もちろんその時代の経済的要因、殊に生産形態とその直接の社会的表現によって、条件づけられるが、それのみによって決定されるのではなく、「精神」の自己展開として成り立つということ、

第三に、「時代精神」の表現が、文化の各領域にわたること、

には、納得しがたい。たしかに、本書の収める、

飛鳥寧楽時代の政治理想、
推古時代における仏教受容の仕方について、
仏像の相好について、
推古天平美術の様式、
白鳳天平の彫刻と万葉の短歌、
万葉集の歌と古今集の歌の相違、
お伽噺としての竹取物語
枕草紙について
源氏物語について
もののあはれについて、
沙門道元、
歌舞伎について、

等々は、

造形芸術の様式、文学作品の評価基準、宗教的感情の形態などは、すべて時代精神の具体的な表現、

とみなすことはできる。しかし、

個別の領域を一時代の文化へ統合するための方法であると同時に、各時代の文化を単に偶然的な継起としてではなく、一定の方向をもつ発展として理解する方法、

に徹していたとは、僭越ながら、とても思えない。まして、

時代の流れのなかで前後する事象を相互に関連づけ、歴史を、相互に関係しない過去の事実の単なる記録から、区別する、

という視点で、全体を俯瞰している記述はない、と思う。本書で通底しているのは、

和辻哲郎の直観(あるいは直感)の冴え、

である。各テーマは、僕には、

先ず結論ありき、

で始まっている。と思える。事実を積み上げ、論証した結果の結論ではなく、和辻の直観を正当化、ないし、脈絡づけるための記述であるように見えてならなかった。

その意味では、「古寺巡礼」http://ppnetwork.seesaa.net/article/435304988.htmlで、聖林寺十一面観音について、

「このような偉大な芸術の作家が日本人であったかどうかは記録されてはいない。しかし唐の融合文化のうちに生まれた人も、養われた人も、黄海を越えてわが風光明媚な内海にはいって来た時に、何らか心情の変移するのを感じないであろうか。漠々たる黄土の大陸と十六の少女のように可憐な大和の山水と、その相違は何らか気分の転換を惹起しないであろうか。そこに変化を認めるならば、作家の心眼に映ずる幻像にもそこばくの変化を認めずばなるまい。たとえば顔面の表情が、大陸らしいボーッとしたところを失って、こまやかに、幾分鋭くなっているごときは、その証拠と見るわけに行かないだろうか。われわれは聖林寺十一面観音の前に立つとき、この像がわれわれの国土にあって幻視せられたものであることを直接に感ずる。その幻視は作者の気禀と離し難いが、われわれはその気禀にもある秘めやかな親しみを感じないではいられない。」

という記述や、『鎖国―日本の悲劇』にあった,敗北によって,情けない姿をさらけ出した日本民族の,

科学的精神の欠如,

への反省のなかで,再三出てきた「世界的視圏」,特に「視圏」という言葉を持ち出した、和辻の、直観的に世界を捉える力量にこそ、本書の特徴があるのではないか、と思う。

本書でも、それは再三にうかがえる。それを拾い上げていくと、その直観が、すべてを言い尽くしている気がしてならない。

『大宝令』を制定した政治家はある意味で社会主義的と呼ばれ得るような理想を抱いていたのである。(中略)彼ら政治家を動かしていたのは純粋に道徳的な理想である。「和」を説き「仏教」を説き聖賢の政治を説く十七条憲法の精神に動かされ、断乎として民衆の間の不和や困苦を根絶せんと欲したのである。(中略)実行の点で何があったとしても、この種の制度を確立した政治家の理想そのものには十分意義を認めざるを得ぬ。(「飛鳥寧楽時代の政治的理想」)

彼ら自身の自然人らしい憧憬の心を、仏像に投射して経験したのである。彼らの持たざるものを新しく仏教から得たのではない。が、この経験は、彼らのすでに持てるものを、力強く開展させた。漠然たる予感として存した完全への憧憬は、この経験のゆえに、より高い内容を獲得した。たとえば、彼らが祓いの儀礼の内に頼るべき力を感じている間は、その力によって示唆される永遠者は非人間的なある者である。しかるに彼らが、ほのかに微笑める彌勒あるいは観音の像に頼るべき力を感じる際には、そこに人間的な愛の表情が永遠なるものの担い手として感ぜられているのである。(中略)これらの人間的な美しさが完全なる世界の片影であることを学んだ。……この契機によって彼らは、理念としての「法」の世界へ第一歩を踏み出すのである。(「推古時代における仏教受容の仕方について」)

この相好が仏菩薩に必要である……が、それは何ゆえであるか。何ゆえにこの相好が仏像として美しいのであるか。この疑問については、それがインド及びシナ伝来の様式であるという以外には、久しい間何の答えをも自分は見いだすことができなかった。しかるにこの疑問は、ついに嬰児によって自分に解かれたのである。最初自分は、生まれて間もない嬰児の寝顔を見まもっていた時、思わず「ああ仏様のようだ」と言おうとした。が、(中略)仏像や菩薩像の作家がこの最も清浄な人体の美しさを捕らえたのに相違ないことを、―すなわちこの美しさを成長させる人体に生かせることによって彼らの「仏」や「菩薩」を創作し得たのに相違ないことを、確信するに至ったのである。(中略)
ところで我々は、仏像や菩薩像において嬰児の再現を見るのではない。作家が捕らえたのは嬰児そのものの美しさではなくして、嬰児に現われた人体の美しさである。それによって彼は、「嬰児」ではなくして「仏」や「菩薩」を表現する。(「仏像の相好についての一考察」)

天平の彫刻家は、現実の人の姿の内に「理想の姿」を直視するのではない。彼らにとっては理想は決して姿とはなり得ないものである。姿は総じて象徴にほかならない。従ってこの象徴としての姿は、具体的な一つの現実の姿からではなく多くの現実の姿から、理想の標準のもと拓び出され構成されたものにほかならぬ。この事実を証示する著しい例は、天平の仏菩薩像の体が嬰児の肉体から作りだされていることである。嬰児の肉体をモデルとしてしかも堂々たる偉大性を作り出すということは、全然他に例をみない。作者は一つの嬰児の姿において仏の姿を直視したのではない。嬰児の体の細部はただ手段として用いられ、本質的には嬰児と縁なき象徴的な姿が構成しいだされたのである。(「推古天平美術の様式」)

『古今』の歌人は、……『万葉』の歌人と異なった感情を歌おうとする。たとえばこまかい情調の陰影のごとき。そうしてそのためには『万葉』の率直な表現法は間に合わぬのである。「現(うつつ)にはさもこそあらめ」という表出の如き、『万葉』の歌人には到底見られない。彼らは人目をはばかる恋を一つの鋭い瞬間において表現することはできるが、その恋全体を背景としてそこににじみ出る心の影を軽く現わすというごとき技巧は知らぬのである。また彼らは「夢」をいうことはできても、「夢てふものは」と言うことはできぬ。名残り惜しい夜明けを詠嘆することはできても、「事ぞともなく明けぬるものを」と嘆くことはできぬ。(中略)ここに言葉の使用法における新しい境地が開ける。『万葉』の歌人において単に具象的な、限定された意味をのみ持っていた言葉が、ここでは連想によって、広い、さまざまの意味と情緒とを指示する言葉に押しひろげられる。(「『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について」)

(天からの迎えの来る)段に『竹取物語』全体の重心がある。(中略)羽衣を身に着けるとともに地上的な物思いが、現世の煩悩が、立ちどころに消え失せるというような考えは、奈良朝の神仙譚にはなかった。しかし仏菩薩もなくてただ天人のみなる月の都、老いもせず、思うこともなく、しかも「父母」というもののある常世の国、それは仏教的な空想ではない。恋があり夫婦があり親子があった海神(わたつみ)の国が、地上的な不完全さを漸次払い落とし、煩悩なき浄光の土の観念を漸次取りいれつつ、ついに海底の国より天上の世界に発展してきたのである。(「お伽噺としての『竹取物語』」)

元来「ものの哀れ」なるものは、永遠なるイデアへの思慕であって、単なる感傷的な哀感ではない。それは無限性の感情となって内より湧き、あらゆる過ぎ行くものの姿に底知れぬ悲哀を感ぜしめる。しかし、この底知れぬ深みに沈潜する意力を欠くものは、安易な満足、あるいは軽易な涙によって、底の深さを遮断する。そこに感傷性が生まれて生活を浅薄化するのである。清少納言は時人とともに軽易な涙に沈溺することを欲しなかった。それをするには彼女はあまりに強かった。しかしその強さは、無限なるものに突き進む力とはならなかった。彼女もまた官能的享楽人として時代の子である。ただ彼女は、過ぎ行く享楽の内に永遠を欲していたずらに感傷するよりは、享楽が過ぎ行くものなることを諦観するところの道に立ったのである。この点で彼女は、紫式部が情熱的であるのに対して、むしろ確固たる冷徹を持する。そうして彼女の全注意を、感覚的なるものに現われた永遠の美の捕捉の方に向ける。彼女の周到にして静かな観察には、右の意味で主観的情熱からの超越がある。(「『枕草紙』について」)

『源氏物語』の芸術的価値については、自分は久しく焦点を定め惑うていた。……もし現在のままの『源氏物語』を一つの全体として鑑賞せよと言われるならば、自分はこれを傑作と呼ぶに躊躇する。それは単調である、繰り返しが多い。従って部分的に美しい場面も、全体の鈍い単調さの内に溺らされてしまう。古来この作が人々の心を捕らえたのは、ここに取り扱われる「題材」が深い人性に関与するものなるがゆえであり、また所々に美しい場面があるからであって、必ずしもその描写全体が傑れているゆえではなかろう。我々はこの物語を読み行く際に、絶えず転換して現われてくる場面の多くが、描写において不十分であることを感ずる。(「『源氏物語』について」)

宣長は「もの」という言葉を単に「ひろく言ふ時に添ふる語」とのみ解したが、しかしこの語は「ひろく言ふ」ものではあっても「添ふる語」ではない。「物いう」とは何らかの意味を言葉に現わすことである。「物見」とは何物かを見ることである。さらにまた「美しきもの」、「悲しきもの」などの用法においては、「もの」は物象であると心的状態であるとを問わず、常に「或るもの」である。美しきものとはこの一般的な「もの」が美しきという限定を受けているにほかならない。かくのごとく「もの」は意味と物とのすべてを含んだ一般的な、限定せられざる「もの」である。限定せられた何ものでもないとともに、又限定せられたもののすべてである。……「もののあわれ」とは、かくのごとき「もの」が持つところの「あはれ」―「もの」が限定された個々のものに現われるとともにその本来の限定せられざる「もの」に帰り行かんとする休むところなき動き―にほかならぬであろう。(中略)「もののあはれ」とは畢竟この永遠の根源への思慕でなくてはならぬ。(中略)「物のあはれ」という言葉が、……必ずしも「物のあはれ」という言葉にふさわしい形にのみ現われるとは限らぬ。愛の自覚、思慕の自覚の程度により、あるいは愛の対象、思慕の対象の深さいかんにより、ある時は「物のあはれ」という言葉が、率直で情熱的な思慕の情の直接さを覆うおそれがあり、またある時は、強烈に身をもって追い求めようとする思慕のこころの実行的な能動性を看過せしめるおそれがある。「物のあはれ」という言葉が、その伴なえる倍音のことごとくをもって、最も適切に表現するところは、畢竟平安朝文芸に見らるる永遠の思慕であろう。(「もののあはれ」について)

彼にとっては、衆生の悩みをいかなる程度に「助け遂げる」かよりも、衆生救済の仏意をいかなる程度に「自己の内に」体現し得るかが問題なのである。ここにおいて親鸞の慈悲と道元の慈悲との対照が明らかになる。慈悲を目的とする親鸞の教えは、その目的を達するために、一時人間の愛から目をそむけて、ただ専心に仏を念ずることを力説し、真理を目的とする道元の教えは、その目的を達するために、人間の没我の愛を力説するのである。前者は仏の慈悲を説き、後者は人間の慈悲を説く。前者は慈悲の力に重きを置き、後者は慈悲の心情に重きを置く。前者は無限に高められた慈母の愛であり、後者は鍛錬によって得られる求道者の愛である。(「沙門道元」)

我々はこの劇において、その戯曲的要素への注意を遮断し去った時に、一つの美しい夢幻境へ誘い入れられるのである。我々はもはや劇中の人物の「人格的行為」を見るを要しない。永い伝統を負った舞台装置や役者の衣装の装飾的絵画的効果、同じく永い伝統によって訓練された役者の体の彫刻的及び舞踊的効果、及びその微妙なせりふ回しの音楽的効果。それらによってわれわれはここに純粋の劇と区別すべき別種の劇を見いだすのである。この劇においては戯曲はただ絵画的彫刻的舞踊的及び音楽的効果に都合よき輪郭でありさえすればよい。ここに作りだされる美はただ形と線と色との交錯、その動きの微妙なリズム、それに伴なう旋律的な声音などに直接に基づくのであって、これらの動作に現わされる倫理的意味に基づくのではない。(中略)従ってこの美は戯曲的要素の少ないものにおいてほど一層純粋に現われる。『暫』とか『狐忠信』とか『車引』とかのごとく、絵画的舞踊的効果のために写実的な要求や戯曲の制約を全然放擲して顧みないもの、あるいはさらに『関兵衛』『田舎源氏』『鷺娘』のごとく、純粋に舞踊であるもの……。(歌舞伎劇についての一考察)

確かに本書の、どの「テーマ」も、時代の申し子である。それを掘り下げていけば、その時代の精神を反映しているかもしれない。しかしだからと言って、それが時代精神として連続するためには、もう一つ俯瞰する視点が要る。でなければ、各時代精神を覗き見ただけなのではないか。本書の各テーマに、時代精神の反映はあっても、それをつなぐ問題意識が、全体を貫いているとは見えなかった。だから、

「考察をすすめるに従って仏教思想がいかに根深くこれらの時代の日本人の精神生活の根柢となっているかを見いだし、仏教思想の大体の理解なくしては考察を進め得ざるに至った。そこで自分はシナ仏教の理解によって、それがいかに日本人に受容され、いかなる意味で鎌倉時代の新運動となったかを理解せんと志したのであったが、シナ仏教の理解はインド仏教の理解なくしては不可能であり、結局原始仏教以来の史的開展を理解することによってのみシナ日本における仏教思想の特殊性が理解せられ得るものであることを悟るに至った。(中略)しかしこれを理解せずには考察を進め得ないと悟った以上、まわり道であっても仕方がない。のみならず学問としては日本精神史を明らかにするのも仏教思想を明らかにするのもその間に軽重の差があるとは思えない。」

とし、「日本精神史の叙述から横道にそれ」た、としていることからも、明らかであると思う。結果として、通貫するものに気づいたのではあるまいか。

参考文献;
和辻哲郎『日本精神史研究』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:38| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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