2020年10月13日
うたた
「うたた」は、
転た、
漸た、
と当てる(岩波古語辞典・広辞苑)。「うたたね」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/428026929.html)で触れたことだが、「うたた」は、
うたてと同根、
とある(広辞苑)が、大言海は、
ウタテの転、
とし、岩波古語辞典は、「うたて」を、
ウタタの転、
とし、
平安時代には多くは「うたてあり」の形で使われ、事態のひどい進行を諦めの気持で眺めている意、
とし、広辞苑も、
ウタタの転。物事が移り進んでいよいよ甚だしくなってゆくさま。それに対していやだと思いながら、諦めて眺めている意を含む、
としている。「うたた」と「うたて」は、
うたた→うたて、
か
うたて→うたた、
かは、両説あることになる。
「うたた」は、
ウタウタの約。ウタは、ウタ(歌)・ウタガヒ(疑)のウタと同根。自分の気持をまっすぐに表現する意。副詞としては事態がまっすぐに進み、度合いが甚だしいさま。「うたたあり」の形でも使い、のちに「うたて」と転じる、
とあり(岩波古語辞典)、「うたた」の「うた」は、
轉、
と当て、
ウタタ(轉)・ウタガヒ(疑)・ウタ(歌)のウタと同根、
とあり、
無性に(古事記「この御酒(みき)の御酒のあやにうた楽し、ささ」)、
の意味である(仝上)。なお「うた」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448852051.html?1600908507)は触れた。
「うたた」の意味は、
(事態が甚だしくてどうにもできず)不愉快である(古今集「花とみて折らんとすれど女郎花うたたあるさまの名にこそありけれ」)、
いよいよ、ますます(和漢朗詠集「飛泉うたた声を倍(ま)す」)、
(岩波古語辞典)という意だが、広辞苑は、
ある状態がずんずん進行して一層はなはだしくなるさま、いよいよ、ますます(「飛泉うたた声を倍(ま)す」)、
程度がはなはだしく進んで、常と違うさま、甚だしく、異常に、「うたたあり」の形では、いやだ、気に染まないの意になることが多い(「花とみて折らんとすれど女郎花うたたあるさまの名にこそありけれ」)、
程度が進んで変わりやすいさま、また何となく心動くさま、そぞろに(日葡辞書「ウタタゴコロ」)、
と三意を載せる。三者の意味が微妙に違う。その違いは、副詞としての意味、
いよいよ、
甚だしい、
そぞろに、
の三者に現れている。しかし、「うたて」は、
ウタタの転。物事が移り進んでいよいよ甚だしくなってゆくさま、それに対して嫌だと思いながら、諦めて眺めている意、
とあり(岩波古語辞典)、
度合いがとどめようもないさま、ますます、いよいよ激しく(万葉集「いつはなも戀ひずりありとはあらねどもうたてこころ戀ししげしも」)、
普通でなく、異様に(古事記「うたて物云ふ王子(みこ)ぞ。故(かれ)慎み給ふべし」)、
(こちらの気持にかまわずにどんどん進行していく事態に出会って)いたたまれないさま、なんともしょうがないさま(土佐日記「このあるじの、またあるじのよきを見るに、うたて思ほゆ」)、
いやで気に染まないさま、なじめず不快に(枕草子「鷺はいとみめも見苦し。まなこゐなどもうたてよろづになつかしからねど」)、
嘆かわしく、なさけなく(平家物語「あれ程不覚なる者共を合戦の庭に指しつかはす事うたてありや、うたてありやと言って」)、
(「あな~」「~やな」の形で軽く詠嘆的に)いやだ(宇津保「あなうたて、さる心やは見えし」)、
とあり(岩波古語辞典)、
片腹痛く、笑止、
の意味すらもつ(大言海)。ある意味、意に染まぬ進行に、
不愉快、
いたたまれない、
嫌で気に染まない、
なげかわしい、
といった気持を言外に表している。不快感から、嫌悪感、そして蔑み、へと意味が変わっていく感じである。
どんどん、
とか、
甚だしい、
という副詞的な背後にも、
どうにもならない、
という気持ちがある。「うたた」よりは、「うたて」の意味の外延の方が、広く大きい。これは、
うたた→うたて、
の転訛なのではないか、と思わせるが、大言海が、「片腹痛い」意味としたのは、古事記の、
うたて物云ふ王子(みこ)ぞ。故(かれ)慎み給ふべし、
なので、
うたた→うたて、
か
うたて→うたた、
の転訛は、結構古く、両用されてきたことを思わせる。
「うたた」「うたて」の語源であるが、
平安初期、「転」「転々」を、うたた・ウタウタと訓じるが、「観智院本名義抄」などは「転」をイヨイヨとも訓んでいる、
とある(日本語源大辞典)。「うた」(轉)で、
無性に、
の意味で使われていたことを思えば、
何となく、むしょうにの意のウタの畳語(時代別国語大辞典-上代編)、
もあるし、
ウタウタの約。ウタは、ウタ(歌)・ウタガヒ(疑)のウタと同根。自分の気持をまっすぐに表現する意。副詞としては事態がまっすぐに進み、度合いが甚だしいさま(岩波古語辞典)、
ウタ(自分の気持をまっすぐに表現する)のくりかえし、ウタウタの約(日本語源広辞典)、
という説なのではないか。「うたがふ」の「うた」は、
ウタは、ウタ(歌)・ウタタ(轉)などと同根。自分の気持をまっすぐに表現する意。カフは「交ふ」の意。従ったウタガフは、事態に対して自部の思う所をまげずにさしはさむ意」
という説(岩波古語辞典)もあり、気持ちの表出という意味で重なるような気がする。
ウツラ(移)ウツラの約(名語記・国語溯原=大矢徹)、
ウツリ・ウツシ(語幹)ウツから転じたウタの畳語。移の義から転々むの意を生じた(名語記・日本古語大辞典=松岡静雄・国語の語根とその分類=大島正健)、
は、「転」や「転々」を当て、意味が転じた後の、あと解釈に思える。
どうやら、「うたた」は、自分ではどうにもならない事態の進行を、不安と、諦めと、しかし不快感を持って見守る、ちょっと複雑な心象表現の言葉に思える。語源はともかくとして、その意味では、「転(轉)」の字が、
丸く回転する、
という意味で、「うたた」にこの字を当てた言外のニュアンスがよく伝わる気がする。その意味で、僕には、「うたたね」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/428026929.html)に、
転寝
と、「転」をあてたのも意味があり、「うたた」のもつ、
(眠気が)どうにも止まらない諦め、
という含意があり、語源として、言葉の奥行を感じる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください