2020年10月14日

うたがう


「うたた(転た)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/477890130.html?1602531323で触れたように、「うたた」は、

ウタウタの約。ウタは、ウタ(歌)・ウタガヒ(疑)のウタと同根。自分の気持をまっすぐに表現する意。副詞としては事態がまっすぐに進み、度合いが甚だしいさま。「うたたあり」の形でも使い、のちに「うたて」と転じる、

とあり(岩波古語辞典)、「うたた」の「うた」は、

轉、

と当て、

ウタタ(轉)・ウタガヒ(疑)・ウタ(歌)のウタと同根、

とあり、

無性に、

の意味であり(仝上)、古事記に、

この御酒(みき)の御酒のあやにうた楽し、ささ、

という用例がある。で、「うたがふ」は、

ウタは、ウタ(歌)・ウタタ(転)などと同根。自分の気持をまっすぐに表現する意。カふは「交ふ」の意。従って、ウタガフは、事態に対して自分の思うところをまげずにさしはさむ意、

とし、

相手・対象に虚偽や誤りがあるのではないかと思い込む理由を持っていて、信じない(源氏物語「大将の御心を疑ひ侍らざりつる」)
対象の中に自分の見込むような事実があるのではないか、などと悪い方に推量する(源氏「怪し、なほいと欺くのみはあらじかしと疑ひはるるに」)、
もしやとおもいめぐらす(方丈記「山鳥のほろほろとなくを聞きても、父か母かと疑ひ」)、

等々の意味を見ると、「うたた」の、

自分の思いとは別のところで事態がひどく進むのを諦めがちに眺めている、

という心情と、「うふがふ」の、

事態の動きに対して内心は信じていない、

という心情と、映し合う気がする。なお「うた」http://ppnetwork.seesaa.net/article/448852051.html?1600908507で触れたが、「うた(歌)」は、

ウタフ(歌)の語幹。ウタフは手拍子をとって歌謡することから、打チ合フを語源とする(国語の語根とその分類=大島正健・国語学叢録=新村出)、
ウタフ(訴)の語根。これからウタフを経過して、ウタヒとウタヘとに分化した(万葉集講義=折口信夫・民俗学と日本文学研究史=高崎正秀)、
心情を声にあげ、言にのべてウタヘ(訴)出ること(日本語源=賀茂百樹)、
ウタガヒ(疑)・ウタタ(転)のウタと同根(岩波古語辞典)、

等々あるが、打ち合う、とともに、文脈から語源と想定できるのは、

ウタフ(訴)の語根、
心情を声にあげ、言にのべてウタヘ(訴)出ること、
ウタガヒ(疑)・ウタタ(転)のウタと同根、

とした。仮に、「うたた(転た)」の「うた」と「うた(歌)」と「うたがう(疑)」の「うた」が同根とするなら、その「うた」は、

無性に、

と意味がつながらなくてはならない。「無性に」は、

むやみに、
いちずに、
やたらに、

と、思いつめた感じである。それは、「うたた」が、

自分の気持をまっすぐに表現する意。副詞としては事態がまっすぐに進み、度合いが甚だしいさま。「うたたあり」の形でも使い、のちに「うたて」と転じる、

という、

(主観的な思いとは別に)事態がどんどん進んでしまう、

という動きと、主客の差はあるが、通じるところがある。「うたがう(ふ)」は、

疑う、

と当てる。「疑」(ギ)は、

会意兼形声。左側は、矣(アイ・イ)の元の形で、人が後ろを振り返って立ち止まるさま。疑は「子+止(足を止める)+音符矣」で、愛児に心惹かれてたちどまり、進みかねているさまをあらわす。思案に暮れて進まないこと、

とある(漢字源)。同趣旨は、

会意形声。「マ(=子)」+「疋(=止・足)」+音符「矣」、「矣」は人が振り返る様。子が気がかりで立ち止まり振り返る様、安心していない状況を意味https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%96%91

ちょっとすっきりしないので、別説を探すと、

象形文字。甲骨文では、「人が頭をあげ思いをこらしてじっと立つ」。象形から、「うたがう」、「とどまる」を意味する「疑」という漢字が成りたちました。金文になると、十字路の左半分・角のある牛・立ち止まる足の象形が追加され、人が分かれ道にたちどまってのろま牛のようになる、すなわち、甲骨文と同じで「うたがう」、「とどまる」の意味を表しますhttps://okjiten.jp/kanji997.html

同じ説だが、

「疑う」という字は、ものの形を象って作られた象形文字。古代中国・殷の時代に記された甲骨文字を見ると、片方の手に杖を持った人が、後ろを振り返って立っている姿が描かれています。向かって左側の部分、カタカナの「ヒ」に似た文字が後ろを振り返る人。その下に書いた「矢」の部分が、杖を突いて立つ様子です。甲骨文字ではこれだけで「疑う」という意味を表していたのですが、その後、殷に続く周の時代に記された金文では、右側にカタカナの「マ」に似た文字と、その下にひきへん(疋)が添えられます。ひきへん(疋)は、膝から下の足の形をかたどった部首で、足を止めて迷っている様子を強調しているといわれますhttps://www.excite.co.jp/news/article/TokyoFm_eAwVIHrTm3/

ともある。「疑」は、どちらかというと、思案して先へ進めない、意である。和語「うた」とは真反対になる。

『大言海』は、「うたがふ」を、

語根のウタにて、疑の意を成すか、うつなし(決)を、うたなし(無疑)とも云ふ。ガフは行ふ意。あらがふ(爭)、下がふ(従)、

としていて、ちょっと意味不明だが、

ウタ(ウワ 空)+ガウ(行う)、空虚なことと推量する行為(日本語源広辞典)
ウタはウツ(空)の転、ウタガフは実のないことを推し量ること(国語の語根とその分類=大島正健)、
ウツ(空)の転で、虚偽の意(国語溯原=大矢徹)、
ウタカタ(虚象)を活用した語(和訓栞)、

等々の諸説と意図は同じようである。僕には、「空事」「虚事」という方にシフトした意味ではなく、こちらの思いとは別のところで事態が進んでいるのを、承服していない、という心の表現とする、

「うたた(転た)」と「うた(歌)」と「うたがう(疑)」の「うた」が同根、

とする説に与したい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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posted by Toshi at 04:29| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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