2020年11月02日
伝法
「伝法」は、
デンポウ、
デンボウ、
と訓ませる。
仏法を師から弟子に伝える、
という意味(広辞苑)がある(だから「伝法院」の名がある)が、ここでは、
伝法な、
といった言い回しをする、
無銭で、芝居や見世物を見物すること、またその人、
の意であったり、そこから広がって、
悪ずれして乱暴な言行をすること、またその人、
の意で使う「伝法」である。
無頼漢、
ならず者、
と同義で使われたりする(仝上)。さらには、
勇み肌、
という意にもなっていく。
「いなせ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/414618915.html)で触れたことがあるが、「伝法」は、
江戸浅草伝法院の下男などが、寺の威光を頼んで無無法なふるまいをしたからいう、
とある(仝上)。大言海は、「でんばう」は、
錢の出ぬ坊の義、
とし、
江戸、浅草寺別當、観音院を、寛永三年より智楽院と称せしを、同七年以降、七世の別當昂公然より、傳法院と改称したり。其院の仲間ども、寺の威を藉りて、観音境内の見世物を、無銭にて観たるより起こりし語。一説に、傳法院の奴輩の亡状より起こりて、仮名はでんぼうなりとも云ふ、
とある。原意は、
芝居、見世物に、木戸銭を払はず、入りてみること、
を指す。たしかに、「いなせ」や「だて」や「鉄火肌」と似た意味になっているが、どちらかといえば、かなり「しょぼい」連中である(なお「しょぼい」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473190057.html)は触れたことがある)。
江戸語大辞典をみると、そうした無銭で感激する連中を、芝居者の隠語で、
伝法、
といったらしい。たとえば、
茶屋のかくしことばが大がいでんぼうとは、むかし油虫といひたる事(享和三年(1803)「三座例遺誌」)、
でんぼうとは、只見る見物のこと(伝奇作書後集)、
等々とある。それを指す、
伝法見物(でんぼうけんぶつ)、
という言葉もある。それが、
小言、苦情、
の意に転じ、
よつぴてでんぼうをいいの(芝居でぶうぶういふ通言也)、今はねやした(寛政初年(1789)「玉の幉」)、
と使われ、当然、
悪ずれして、粗暴な言動をなす者、
の意となり、
江戸ででんぼう、上方で、もうろくなどといふあばづれがあれど(文化十年(1813)「浮世風呂」)、
と使われ、それを、囃すものがいるから、
勇み肌、いなせ風を好むこと、またその人、
の意となり、この意で使うようになって、勇み肌の意の意で、
伝法肌(でんぼうはだ)、
と使われたり、それを好むものを、
伝法(でかぼう)好き、
等々といい(江戸語大辞典)、「伝法」を、
でんぽう、
と訓ませるようになり、
浮虚者(うはきもの)めは、でんぽうの方へ、ころげ込むテ(こころいきがいさみでいいといふから、これにて閉口さ)(文化十一年(1814)「素人狂言紋切形」)、
さらには、
虚言、うそ、
の意でも使われる(仝上)。
でんぼう、虚言を云、武蔵忍あたりの俗言なり(俚言集覧)、
これは、無銭の意に戻った感じである。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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