五家宝
「五家宝」(ごかぼう)は、
五荷棒、
五嘉宝、
とも書き(たべもの語源辞典)、
糯米(もちごめ)を蒸して水飴などで固めて棒状にし、青黄粉などを表面にまぶしたもの、
で、
熊谷の名産、
とされ(広辞苑)、
草加煎餅せんべい、
川越の芋菓、
とともに、
埼玉三大銘菓、
といわれている(https://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/meibutsu/gokabo.html)、とか。その製法は、
もち米を一旦もちについてから薄くのばし、細かく砕いて煎り、あられ状にしたものをタネにします。五家宝の口ざわりに関わるのがタネならば、風味や外観を決定するのがきなこです。きなこの風味が五家宝の旨みを決定するといってもよいでしょう。タネをまとめて円筒状にし、より板(のし板)で長くのばしてから切ります。この工程は、飴の製法とも似ています、
とある(仝上)。
糯米(もちごめ)を蒸して水飴などで固める、
ところは、
糯米や粟などを蒸した後、乾かして炒ったものを水飴と砂糖で固めた菓子、
である「おこし」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473245948.html)と似ている。だから、
おこし種を水飴などで固め棒状にした芯をきな粉に水飴などを混ぜた皮で巻き付け、さらにきな粉を表面にまぶしたものであり、青色のものは青大豆を用いて製造されている、
という表現にもなる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%AE%B6%E5%AE%9D)。
享保年間(1716~36)、上州邑楽(おうら)郡五箇村の人がはじめて製し、五箇棒と呼んだのが起こり
とある(広辞苑・たべもの語源辞典)が、
その後中絶していたのを、文化(1804~18)の頃、武州埼玉郡の鳥海亀吉が再興して不動岡五箇棒と名づけ(たべもの語源辞典)、
また、
天保(1830~44)のころ大里郡玉井村の清水庄次郎が製したのを、江戸の吉原へ売り込んだのが、吉原棒と称して、珍重された(仝上)、
等々ともあるが、『熊谷市史』によれば「吉原殿中」は、
水戸藩第九代藩主の徳川斉昭(1800~60)の側女が干飯にきな粉をまぶしたものを斉昭に茶菓子として献上したところ、これを気に入り側女の名前から名付けられた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%AE%B6%E5%AE%9D)。その水戸藩の銘菓「吉原殿中」を元に、
文政(1818~29)年間に水戸出身の水役人が武蔵国の熊谷宿付近に移住して茶屋を開き、故郷の「吉原殿中」を改良し「五嘉棒」として販売した、
あるいは、
群馬県の菓子商が「吉原殿中」を参考に「五ケ宝」として販売し、評判を聞いた武蔵国大里郡玉井村(後の熊谷市)の者が模倣した、
あるいは、
天保14年(1843年)に玉井村出身の者が熊谷宿で店を構え「五嘉棒」を改良して後の「五家宝」の基礎を作った、
等々とされる(仝上・熊谷市史)。
熊谷市のホームページ(https://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/meibutsu/gokabo.html)にある、
熊谷で“五嘉棒”の名で売り出されたのが文政年間(1818~29)でした。中山道の宿場町として栄え、市も開かれていた熊谷では、五家宝の原料となる「石原米」と称する良質の米がとれ、田畔あぜではきなことなる大豆が豊富に作られており、水飴の原料となる大麦も多く収穫され、生産に適していたようです。その後“五嘉宝”“五箇宝”の字があてられましたが、「五穀は家の宝である」という祈りを込めて現在の“五家宝”とつけられました、
とするのは、水戸藩の「吉原殿中」系統ということになる。
また、加須市のホームページ(https://www.city.kazo.lg.jp/soshiki/sangyoukoyou/syoukoushinkou/5653.html)では、
文化(1804 - 1817年)年間に、武蔵国不動ヶ岡不動尊總願寺の門前で「五家宝」として売られてきた、
としているし、その他、
天明の大飢饉(1782 ~88年)の際に武蔵国奈良村(後の熊谷市)の名主が被災者に焼き米を提供し、後に江戸の菓子職人に焼き米を使った菓子の開発を依頼したとする(仝上)、
等々とあるが、大田南畝の随筆『奴凧』(1821年)に、
安永6年(1777年)に日光参詣の道中で食べた「五荷棒」と比べ、今年(1820年)もらった秩父の「五かぼう」は形が大きくおこし米でできている、
という記述があるように、江戸時代より北関東の各地で同名異字の五家宝が作られており、製法も時代や地方によって様々なものがあった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%AE%B6%E5%AE%9D)のが実情のようだ。
因みに、水戸の銘菓として知られる「吉原殿中」(よしわらでんちゅう)は、
もち米から作ったあられを水飴で固め丸い棒のようにして、きな粉をまぶした菓子、
であり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%8E%9F%E6%AE%BF%E4%B8%AD)、「五家宝」の由来といわれるだけあって、よく似ているが、
埼玉の五家宝と比較して吉原殿中の方が大きい(8cm程度)、
とある(仝上)。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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