「かかし」は、
案山子、
と当てる。
かがし、
とも言う。
鹿驚、
とも当てる(岩波古語辞典)。当初は、
田畑が鳥獣に荒らされるのを防ぐため、それらの嫌うにおいを出して近づけないようにしたもの。獣の肉を焼いて串に刺したり、毛髪、ぼろ布などを焼いたものを竹に下げたりして田畑に置く、
意で(日本語源大辞典)、そのため、
かがし、
ともある(岩波古語辞典)。元来、
かがし、
または、
かがせ、
で、焼いた獣肉を串に刺して田畑に立て、その臭気を嗅がせて退けた(江戸語大辞典)、ともある。そのため、「かかし」の語源は、
嗅がしの意(岩波古語辞典・類聚名物考・卯花園漫録・柳亭記・俚言集覧・年中行事覚書=柳田国男)、
ヤキカガセを上略して、セを、シ転じたる語(松屋筆記・大言海)、
とする説が大勢である。この「かがし」の意が転じて、
竹やわらで作った等身大、または、それより少し小さい人形。弓矢を持たせたり、蓑や笠をかぶせたりして田畑などに人が立っているように見せかけ、作物を荒らす鳥や獣を防ぐもの、
の意となった(日本語源大辞典)とする。この説によると、人形の意で使われるようになったのは、
比較的新しく、中世頃から、
とある(仝上)。しかし、古く、
あしひきの山田の曾富騰(ソホド)、
と古事記にあるように(岩波古語辞典)、
そおど(そほど)、
そおづ(そほづ)、
と呼ばれ人形があった。「そほづ」は、
そほどの転、
とされる(仝上)。共に、
案山子、
と当てられる。「案山子」は、漢語で、
アンザンシ、
と訓み、
かかし、とりおどし、
の意であり、
案山は、几(キ 机)の如く平たく低き山の義。山田なり、山田を守る主たる義、
とある(字源)。傳燈禄、道膺禅師傳、または會元、五祖常戒禅師の章に、
「主山高、案山低」とありて、案山は低くして机の如く、平らなる山の義なるべく、案山の閒に、耕地ありて、其邉に、鳥おどしのありしより、
とある(字源・大言海)。「梅園日記」(1845)にも、
隨斎諧話に、鳥驚の人形、案山子の字を用ひし事は、友人芝山曰、案山子の文字は、伝燈録、普燈録、歴代高僧録等並に面前案山子の語あり、注曰、民俗刈草作人形、令置山田之上、防禽獣、名曰案山子、又会元五祖師戒禅師章、主山高案山低、又主山高嶮々、案山翠青々などあり、按るに、主山は高く、山の主たる心、案山は低く上平かに机の如き意ならん、低き山の間には必田畑をひらきて耕作す、鳥おどしも、案山のほとりに立おく人形故、山僧など戯に案山子と名づけしを、通称するものならんといへり、徂徠鈴録に主山案山輔山と云ことあり、多くの山の中に、北にありて一番高く見事な山あるを主山と定めて、主山の南にあたりて、はなれて山ありて、上手につくゑの形のごとくなるを案山とし、左右につゞきて主山をうけたる形ある山を輔山といふとあり、又按ずるに、此面前案山子を注せる書、いまだ読ねども、ここの人の作と見えて取にたらず、此事は和板伝燈録巻十七通庸禅師傳に、僧問。孤廻廻、硝山巍巍時如何、師曰孤迥峭巍巍、僧曰、不会、師曰、面前案山子、也不会とあり、和本句読を誤れり、面前案山子也不会を句とすべし、子とは僧をさしていへり、鹿驚の事にあらぬは論なし、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%8B%E3%81%97・大言海・日本語源大辞典)、
僧曰、不会、師曰、面前案山子、也不会、
というのは、中国禅僧の用いた語で、それをかりて、「かかし」に当てた、と思われる(日本語源大辞典・大言海)。
しかし、もともと、古くから、
そほど、
そほづ、
という「人形の人形」があったのだとすると、
かがし(嗅)→かかし、
の転訛はおかしいことになる。「そほづ」「そほど」の語源は、「そほず」は、
雨露にぬれそぼち、山田に立っているところからソボチビト(濡人)の義(和訓栞・大言海)、
シロヒトタツ(代人立)の反(名語記)、
が語源、「そほど」は、
山田の番人などが日に照らされ、風雨に打たれて皮膚が赭色(そおいろ 赤土の色)をしていたところからソホビト(赭人)の転か(少彦名命(すくなびこなのみこと)の研究=喜田貞吉)、
朱人(ソオビト)の約(角川古語辞典)、
神の名ソホド(曾富騰)から(北辺随筆)、
ソホはソホフル・ソホツのソホか。またドは人の意か(時代別国語大辞典-上代編)、
等々の語源説があり(日本語源大辞典)、いずれと決め手はない。しかし「そほづ」は、
久延毘古(くえびこ)、
ともいい、古事記に、
久延毘古(くえびこ)は、今に山田のそほどといふそ、
とある(古語大辞典)。
此神者、足雖不行、盡知天下之事神也、
とある。このとき、「そほど」「そほづ」は、
かたしろ、
ではないか。「かたしろ」とは、
形代、
と当て、
本物の形の代わり、
の意で、
禊・祓などに用いる紙製の人形で、神を祭る時、神霊の代わりとしては据えたもの、
である(古語大辞典)。とすると、神体の代わりに据えた、
カタシロは語尾を落としてカタシになるとともに、「タ」の子交(子音交替)[th]で、カカシ(関東)・カガシ(関西)になった、
とする説(日本語の語源)が、注目されてくる。「そほど」「そほづ」との関連が見えてこないのが難点であるが、ひとがたの人形だったところは、「形代」らしい。
大言海は、「かかし」を、
鹿驚、
とあてる「かかし」と、
案山子、
と当てる「かかし」を区別している。前者は、
ヤキカガセを上略して、セを、シ転じたる語、
とし、後者は、
鹿驚(カガシ)を立鹿驚(タチカガシ)と用ゐたるを、略したる語、
とする。そして、
鹿驚、
は、獣肉を焼いて串に刺した、
かがし(嗅)、
とし、後者を、
山田のそほづ、
とする。これは見識である。いずれも、役目は、
鳥おどし、
獣おどし、
であるが、
獣の臭い、
と、
神体の形代、
とではギャップがありすぎる。本来異なる由来だったものが、共に、漢語、
案山子、
を当てたことで、
かがし、
と
そほづ、
が混同されていった、ということではあるまいか。
安永四年(1775)の『物類称呼』は、
関西より北越辺かがしと云ふ。関東にてカカシト清みて云ふ、
とする。
江戸時代後半には「かかし」が勢力を増した、
とある(日本語源大辞典)。
(日本の水田にあるかかし https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%8B%E3%81%97より)
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95