2020年11月22日
気色
「気色」は、
けしき、
とも訓ますが、
きしょく、
とも訓ます。ほぼ意味は重なる。「気色(ケシキ)」は、
「色」はきざし。ほのかに動くものが目に見えるその様子。古くは自然界の動きに言う。転じて、人のほのかに見える機嫌・顔色・意向などの意。類義語ケハヒは匂い、冷やかさ、音など、目に見えるよりは、辺りに漂って感じられる雰囲気、
とあり(岩波古語辞典)、
自然界の動き、様子(枕草子「霞も霧もへだてぬ空の景色の」)、
人の心のほのかな動き、機嫌(土佐日記「歌主、いと気色あしくて怨ず」)、
ほのかな顔色(源氏物語「気色にだすべきことにもあらず」)、
(ちらりとした)そぶり(古今「つらげなる気色も見えで」)、
(ちらりと現れた)きざし、兆候(源氏「にはかに(出産の)御気色ありて悩み給へば」)、
内意をほのめかすこと、意向(源氏「わざとの御消息とはあらねど、御気色ありけるを、待ち聞かせ給ひて」)
内情のほのかな現われ(源氏「事の気色にも知りけりとおぼされむ、かたはらいたき筋なれば」)、
怪しい感じ、不安(大鏡「今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ。かく人がちなるにだに気色おぼゆ」)、
ちょっととりたてた様子(源氏「式部がところにぞ気色あることはあらむ」)、
恰好(平家「少しも物詣での気色とは見えさぶらはず」)、
風景、景色(平家「雪ははだれに降ったりけり、枯野の気色の誠に面白かりければ」)、
等々の意味の幅であり(仝上)、「気色(キショク)」は、
大気の動き(続日本紀「風雲の気色常に違うことあり」)、
気持や感情などが顔に現れ出ること、またその顔色の様子など(保元「その気色まことにゆゆしくぞ見えける」)、
(御気色の形で)思し召し、御意向(平家「然らば屋島へ帰さるべしとの御気色で候」)、
気持、気分(浄瑠璃・藍染川「母上気色を損じ」)、
容態(伊曾保物語「折しも、獅子王違例の事ありけるは、御気色大事に見えさせ給ふ」)、
等々の意味の幅で、「気色(キショク)」には、風景の意はない。だから、
ケシキは、人事、自然などのようすを言っていたのですが、人間の心の様子の場合は、しだいに「気色」を使うようになり、自然物の眺めには、中国語源の「景色」を使うようになった、
とある(日本語源広辞典)ように、
ケシキ(気色)→ケシキ(景色)、
と使い分けが進んだが、「気色(キショク)」は、元の意の幅のまま使われた、と見ることができる。たとえば、
気色(きしょく)悪い、
とはいうが、
気色(ケシキ)悪い、
とは言わず、逆に、
気色ばむ、
は、
けしきばむ、
だが、
きしょくばむ、
とも訓ませ、前者が、岩波古語辞典が、
何となくそれらしい様子が現れる、
気持の片はしをあらわす、
何となく様子ありげなふりをする、気取る、
広辞苑が、
意中をほのめかす、
気取る、
怒ったさまが現れる、
懐妊の兆候が現れる、
で、いくらか顕現する気配のニュアンスが残るが、後者が、
得意になって意気込む、
怒りの気持を顔色に出す、
で(広辞苑)、少し、後者が、気持ちの表現に収斂しているが、ほぼ意味が重なる。これは、他の言い回しで比較してみると、「気色(けしき)」系は、
気色有り(ひとくせある、何かある。趣がある)
気色酒(ご機嫌取りに飲む酒)、
気色立つ(自然界の動きがはっきり目に見える、きざす。心の動きが態度にはっきり出る)、
気色付く(どこか変わっている、ひとくせある)、
気色取る(その事情を読み取る、察する。機嫌を取る)、
気色給(賜)わる(「気色取る」の謙譲語。内意をお伺いする、機嫌をお取りする)、
気色ばまし(「ムシキバム」の形容詞形。何か様子ありげな感じである。思わせぶりである)
気色許り(かたちばかり、いささか)、
気色覚ゆ(情趣深く感じる。不気味に感じる)、
気色に入る(気に入る)、
であり(広辞苑・岩波古語辞典)、「気色(きしょく)」系は、
気色顔(けしきばんだ顔つき、したりがお)、
気色す(顔つきを改める、(怒りや不快などの)感情を強く表に現わす)、
気色ぼこ(誇)り(他人の気受けのよいのを自慢すること)、
等々であり、「きしょく」「けしき」両方で使う言葉は、
気色ばむ、
だけだが、両者は、例外的なものを除いて、殆ど人の様子・気持の表現にシフトしていることがわかる。これは、
鎌倉時代以降、人の気分や気持ちを表す意は漢音読みの「きそく」「きしょく」に譲り、「けしき」は、現在のようにもっぱら自然界の様子らを表すようになって、表記も近世になって、「景色」が当てられた、
とある(日本語源大辞典)ことが背景にある。
さて、「気色(ケシキ)」を、大言海は、
ケハヒに、気色(キショク)の字を充てて、気色(ケシキ)と讀む語、
とするが、
「気」は、
漢音で「キ」、呉音で「ケ」、
「色」は、漢音で「ショク・ソク」、呉音で「シキ」、
である。それから見ると、
「ケシキ」と訓ませるのは、呉音、
「キショク」と訓ませるのは、漢音、
と見るのが妥当なのではないか。つまり、「気色」は、漢語由来なのである。
和文中では、平安初期から用いられているが、自然界の有様や人の様子や気持ちを表す語として和語化していった、
とみられる(日本語源大辞典)。
「景色」の「景」は、漢音ケイ・エイ、呉音キョウ・ヨウ、であり、「景色」を、
ケシキ、
と訓ませるのは、大言海は、
景色(ケイシキ)の約、
としているが、
漢音「ケイ」+呉音「シキ」
と、変則である。『字源』をみると、「景色」に、
ケイショク、
と
ケシキ、
と訓がある。中国でも、「ケシキ」と訓ませる可能性がある。「景色」に「気色」の含意があるためか、単なる、
風景、
という意味だけではなく、
山水、風物などの趣、
の意が含まれ、それが転じて、茶道具で、鑑賞上興味を引く、
釉(うわぐすり)の色、頽(なだ)れ、窯変(ようへん)、斑紋など、主として陶器について、
もいうようになる(精選版日本国語大辞典)。
参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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