さつま揚げ
「さつま揚げ」は、
薩摩揚げ、
とあてるが、
すり身にした魚肉に、食塩、砂糖、でんぷんなどを加え、適当な形にして油で揚げたもの、
で、
人参の細切り・笹がき牛蒡などを混ぜる場合もある、
とある(広辞苑)。大言海には、
魚肉を細かく叩きたるものと、鹽、豆腐、片栗粉とを、煮出汁にて擂りまぜ、茹でたる胡蘿蔔(にんじん)を細く刻みたるを加へて、三寸許りに扁(ひらた)く固め、胡麻の油にて揚げたるもの、
とする。この違いは時代によるものか、地域差かはわからない。
江戸で、
薩摩のつけ揚げ、
からそう称したが、上方では、
てんぷら、
と呼んだりする(仝上)いわゆる「天麩羅」とあてる「てんぷら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/470781916.html)については触れた。「さつま揚げ」は、
中国由来の料理が琉球に伝わり、薩摩を経由して全国に広がった、
とされている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E6%91%A9%E6%8F%9A%E3%81%92)。
沖縄の製法を、薩摩に傳へたるもの。沖縄にては、何物にも、豚の脂に揚げたるを、テンプラと云ふ、
とある(大言海)。
島津斉彬が諸藩のかまぼこなどをヒントに鹿児島の高温多湿の風土にあう揚げ物料理を考案させた、
との説もある(仝上)が、「さつま揚げ」は『守貞謾稿』(1837年)、『虚南留別志(うそなるべし)』(1834年)に登場しており、江戸時代後期には一般的に普及していた(https://www.olive-hitomawashi.com/column/2018/06/post-1638.html)とされる以上、この説はあり得ない。
野菜天ぷらを琉球語、
アンダーギ、
魚肉のすり身の揚げ物を琉球語で
チキアーギ、
チキアギ、
と言ったらしい。その「チキアーギ」が、薩摩で訛って、
つけあげ、
となった(https://ameblo.jp/alf0225/entry-12415621161.html・たべもの語源辞典)というのが妥当ではないか。石川、富山、長野や静岡以東の主に東日本では、
さつま揚げ、
西日本では、
てんぷら、
と呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E6%91%A9%E6%8F%9A%E3%81%92)。
宮崎あたりでも、天ぷらそばというと、そばの上に薩摩揚げののったものが出る、
とある(たべもの語源辞典)。
油を使う料理は、「普茶料理」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474648427.html)や「卓袱」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/471380539.html)で触れたように、
普茶と卓袱と類したものなるが、普茶は精進にいひ全て油をもって佳味とす(料理山家集)、
というように、中国由来である。
ネットでの「呼称調べ」(https://j-town.net/tokyo/research/votes/243110.html)では、東京でも、
天ぷら、
と呼ぶ人が、「さつま揚げ」と呼ぶ人を10とすると6くらいになる。地方出身者が多いせいかもしれないが。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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