2020年12月07日
ぶっきらぼう
「ぶっきらぼう」は、
言動に愛敬がないこと、
とある(広辞苑)が、ちょっとニュアンスが違い、
不愛想、
のような気がする。大言海は、
打切坊、
とあて、
木強(きすげ)なること、木の切れ端のやうなること、質朴すぎて愛敬なきこと(東京)、
の意とする。「木強」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/476709001.html)は、
ぼっきょう、
と訓ませ、
心が木石のように一徹なこと、
飾り気がなく、剛直なこと、
無骨、
という意であり(広辞苑)、
木強漢(ぼっきょうかん)、
と、
一本気で飾り気のない男、
の意で使う言い方もある。「木強」は、
きすぐ、
と訓ませ、副詞的に、
気性の質朴にして、飾りなき状を云ふ、
とあり(大言海)、
気健、
とも当てる(岩波古語辞典)のを、名詞化したものと見える。江戸語大辞典は、「ぶっきらぼう」を、
打切棒、
と当て、
ぶっきりぼうの転訛、
とする。「ぶっきりぼう」は、
棒状の固飴を七、八分位にぶっきりにしたもの、
で、
ぶっきり飴、
の意とする。それが転じて、
「野暮で固めし手づくねに、土気の抜けぬ宵子の小指、ぶっきり棒に釣鐘と、提灯掛けて引担ぎ」(享和元年(1801)名歌徳三舛玉垣)
というように、
無愛想、
の意となった、とする。「ぶっきり飴」とは、
固飴を引き伸ばして2センチメートル程度の長さに切ったもの、
を言う(広辞苑)。だから、「ぶっきらぼう」の語源としては、
木の切れ端(大言海)、
と、
ぶっきり飴(江戸語大辞典)、
とがあることになる。「ぶっきり」は、
打ち切り、
の、
うち→ぶち→ぶつ、
の転訛だが、「打ち切り」は、
ぶっきること、
であるが、「打ち切る」の「打(う)ち」は、
切るを強めている語、
であり、
うちきる→ぶちきる→ぶっきる、
うちとばす→ぶっとばす、
うちのめす→ぶちのめす、
うちころす→ぶちころす→ぶっころす、
うちたたく→ぶったたく、
うちあけ→ぶちあけ→ぶっちゃけ、
等々というよう、「切る」を強調しているだけだ。「ぼう」は、
坊、
とか
棒、
と当てるが、
けちんぼう(坊)、
くいしんぼう(坊)、
どろぼう(泥棒・泥坊)、
のように擬人化したり、
あめんぼう(棒)、
おさきぼう(棒)、
かたぼう(片棒)、
ごかぼう(五家宝・五荷棒)、
と、その形状に準えたりする擬物化にすぎない。だから、「ぼう(棒・坊)」には意味がなく、
ぞんざいにぶっ切った状態、
のような気質を指している、とみられる。
ぶっきり飴、
や
ぶっ切った木の端、
は例えにすぎない。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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