「白酒」は、
しろき、
しろさ、
しろささ、
と訓むと、
御神酒(おみき)の一種、
を指す。「さけ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451957995.html)で触れたように、「き」は「さけ」の古名。
新嘗祭、大嘗祭に供え、
黒酒(クロキ)、
と並べ称す、とある(大言海)。白酒(しろき)、黒酒(くろき)は、
白貴、
黒貴、
とも書く(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%85%92)。
古醸なるは、詳らかならず、
としつつ、
或は云ふ、荒稲(アラシネ 平精(ヒラシラゲ))にて醸せるが黒酒にて、和稲(ニコシネ 眞精(マシラゲ))なるが白酒なるべしと、
とある(大言海)。「荒稲(アラシネ)」とは、籾のままのもの、「和稲(ニコシネ)」は、「にぎしね」ともいい、殻を取ったものを指す。
『延喜式』によれば、
白酒は神田で採れた米で醸造した酒をそのまま濾したもの、黒酒は白酒に常山木の根の焼灰を加えて黒く着色した酒(灰持酒)である、
と記載されている、とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%85%92)。後に、
平安朝の頃は、白酒は常の酒にて、これに常山(クサギ)の焼灰を入れたるを黒酒とす。室町時代なるは、醴酒(アマザケ)を白酒とし、これを黒胡麻の粉を入れて黒酒を作れり、
とあり(大言海)、今日では、
清酒と濁酒(どぶろく)の組を白酒・黒酒の代用、
とすることも多い(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%85%92)、という。
「白酒」を、
パイチュウ、
ハクシュ、
と訓めば、中国伝統の蒸留酒の総称。別名、
白乾児(パイカル)、
を指すが、ここでは、
しろざけ、
と訓ます「白酒」である。
精(しら)げたる糯米(もちごめ)を蒸し、久しく味醂に浸して、味醂を加えながら、碾(ひきうす)にて碾きて成る、色、白くして、甚だ濃し、多く上巳の雛遊びに用ゐる、
とある(大言海)。白酒の由来は、はっきりしていない。古来の製法は、
上酒に蒸した糯米を加え、さらには麹も加えて仕込んだ上で7日ほど熟成させてからすりつぶしたものを濾さずに飲用とした、
が、
現在の製法に近づいたのは江戸時代中期以降で、焼酎もしくはみりんをベースに製造されるようになった、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%85%92_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92))。白酒が雛祭りのお供えとされるようになったのは、江戸時代からであるが、「雛祭り」は、
平安時代、貴族の子女の雅びた「遊びごと」として行われていたとする記録がある。初めは儀式ではなく遊びであり、雛祭りが「ひなあそび」とも呼ばれるのはそのためであるという。
「天児」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/460034293.html)で触れたが、
三月上巳の日に人間の形をした形代(かたしろ)や人形(ひとがた)を作り,それで身体をなでたり息を吹きかけたりして身のけがれや災いを移し、川や海に流し捨てた、
とされる「形代」から、
天児(あまがつ)、
這子(ほうこ)、
と呼ばれる、
形代の代わりに、幼児の身近に置き、幼児にやってくる災いをそれらに移す人形、
が登場する(https://www.hinaningyou.jp/know02.html)。これが雛人形の由来の一つとされる。これが、江戸時代一般に広まり、
天児を男の子に、這子を女の子に見立てて飾るようになって、後に天児の姿は立雛の男雛へ、這子の姿は立雛の女雛へ、
と変化していく(仝上)。この上巳(桃の節句)において、室町時代から、
桃の花を浸した酒を飲んでいた、
のが変化して白酒の風習になった、(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%85%92_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92))とされている。
桃の節句に「白酒」を用いるのは、
桃には白い花がなくてみな桃色であったから、これに白酒を配して、赤と白とにして,日と月を祀るという意を表した、
とする説がある、らしい(たべもの語源辞典)。
(坂東三津五郎の白酒売り https://www.kabuki-za.com/syoku/2/no79.htmlより)
明和・安永の頃(1764~81)まで、白酒売りが江戸の街を売り歩いていた、という(たべもの語源辞典)。白酒は、
旧称を「山川酒」といい、『守貞謾稿』では、
「白酒売りはかならず「山川」と唱え、桶の上に硝子徳利を納める」
と記述している(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%85%92_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92))。関東では山川白酒というが、関西では、
東白酒、
という、とある(たべもの語源辞典)。
白酒の元祖は、
鎌倉河岸の豊島屋の初代十右衛門である。後陽成天皇の慶長年間(1596~1615)のある日、彼が自宅でうたたねしていると、可愛らしい紙雛が枕元に現われて、親切に白酒の製法を教えてくれた。そのとおりにつくるとすばらしい甘い酒ができたという。初めは物見遊山などに用いられたが、三代将軍家光のころは腿の節句の前後四日間に豊島屋で250~260石の白酒が売れた、
とある(たべもの語源辞典)が、
京都六条油小路の酒屋で造っていた白酒の色を山間部を流れる川の水が白く濁るのになぞらえて「山川」と呼ばれるようになった、
ともあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%85%92_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92))、
京都の「山川」という銘柄、
が有名とある(焼酎・泡盛用語集)。
寛政四年(1792)の『江戸総鹿子新増大全』には、
本所表町、金や長左衛門博多練酒 山川白酒無類名物、
とある。これは、
この家の祖が諸国を遍歴して筑紫で練酒の製法を覚えてきた、
といい、
その色のなめらかなところが練絹のようなので練酒と称した、
という(たべもの語源辞典)。その他、江戸浅草では、
富士の白酒、
が有名で、歌舞伎「助六所縁(ゆかりの)江戸桜」では、
富士の白酒といっぱい、
のセリフもある(仝上)。
因みに、「白酒」と「甘酒」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/470325231.html)は異なり、甘酒は、
ご飯やおかゆなどに米こうじを混ぜて保温し、米のデンプンを糖化させたもので、アルコールをほとんど含まない甘い飲み物、
である(https://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/1201/a02.html)。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:白酒