2020年12月31日

屠蘇


「屠蘇」

とそ、
とうそ、

と訓み(岩波古語辞典)、

椒酒、

とも当てている(大言海)。

屠蘇の、屠の字は尸の頭に、一點を加へて、戸に作るは、醫家丹波氏の故実にて、尸の字を忌む也と云ふ。又屠蘇は草の名、庵中に此草を畫き、庵名となす、

とある(仝上)のは、『広韻』北宋の大中祥符元年(1008年)に陳彭年(ちんほうねん)らが先行する『切韻』『唐韻』を増訂して作った韻書に、

屠蘇は草庵なり、

とあるのによる(たべもの語源辞典)。

屠蘇散、
屠蘇延命散、

ともいい、

元日、邪気を祓い延命長寿を保つために飲む薬の名、

である(岩波古語辞典)が、

白朮(びゃくじゅつ)・桔梗・山椒・肉桂・防風・大黄などを細末にして調合した散薬、紅袋に入れて酒にひたして、度嶂散・白散などと共に、若年の者から年齢順に飲む。

とある(仝上)。

屠蘇散.jpg



中国の漢の時代に、華佗が発明した薬酒、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%A0%E8%98%87、屠蘇に酒を用いることを始めたのは唐の孫思邈(孫真人)で、『屠蘇飲論』で、

大黄・蜀椒(さんしょ)・桂心(にっけい)・防風各半両(五匁)、白朮(おけら)・虎杖(いたどり)各一分、鳥頭半分、

の八品の薬を挙げて、

八神散、

と呼んだ、とある(たべもの語源辞典)。後に、

いたどりの代わりに、茱萸(かわはじかみ)になり、さんしょうが胡椒になっていく(仝上)。孫思邈は仙人とされ、

紅い袋にいろいろの薬を入れて、除夜の暮れがた井戸の中に吊るしておき、正月元旦にこれを出して袋のまま酒にひたし、しばらくたってその酒を飲むとき、「一人これを飲めば一家族病なく、一家これを飲めば一里病なし」と祈った。そして、年少者から先に飲んで年長者を後にし、飲むときは東に向かって飲んだ、

とある(仝上)、医書『小品方』(454~73)の記述が古いもので、

その薬嚢らを再び井戸に投ずれば、病むことなし、

とされたともある(日本語源大辞典)。別に、

唐の世の、孫思邈の居たる草案……より、毎年大晦日に、薬を其の里人に送り、袋に入れて井の中に浸さしめ、元旦に取出して、酒樽に入れ、屠蘇酒と名づけ、之を飲まば、其の年に疫病に侵されまじと云ひ、一人飲めば一家に病なく、一家飲めば、一里に病なしと云ふ。飲むに、年少のものより始めて、年長のものに至る。是れ少者は年多きを以て先ず賀し、老者は年を失ふを以て、後に進むなりとも云へど、さにあらざるべし、少者の先ず飲むは、薬なれば、先ず長者の為に試むるなり(毒味)、

とある(大言海)。こちらの方が、実態を表している感じである。

中国明代(1596年)の『本草綱目』では、

赤朮・桂心・防風・菝葜・大黄・鳥頭・赤小豆を挙げている(現在では山椒・細辛・防風・肉桂・乾姜・白朮・桔梗を用いるのが一般的)、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%A0%E8%98%87

日本には、「公事根源・正月・供御薬」によれば、平安時代初期の嵯峨天皇の弘仁期(810~24)より、宮中の元旦行事として行われるようになった、とされる(日本語源大辞典)。孫思邈の、年少者から毒味として飲む、という由来は、日本にもそのまま伝わり、

禁中にて、元日に屠蘇を天子に奉るに、薬子(クスリコ 少女のまだ嫁せざるものを任ぜらる)鬼の間より出て、先ず試むるなり。鬼の間は、禁中の一室にて、白澤王(はかたおう)の、鬼を斬る絵を襖とせらるれば云ふ、

とある(大言海)。江戸時代、「毒味」を、

鬼をする、

と言うのも、これに起源がある(大言海)。「鬼の間」は、京都御所において、仁寿殿の西、後涼殿の東にある清涼殿南西隅の部屋。すなわち裏鬼門の位置にあり、

平安遷都(794年)時の内裏に大和絵師・飛鳥部常則が、康保元年(964年)の間に鬼を退治する白沢王像を描いたとされる。壁に描かれていた王は、一人で剣をあげて鬼を追う勇姿であり、それを白沢王(はかたおう)といい、古代インド波羅奈国(はらなこく)の王であり、鬼を捕らえた剛勇の武将であると、順徳天皇が著した『禁秘抄』(きんぴしょう)を解釈した『禁秘抄講義』(関根正直著)に記述されている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E3%81%AE%E9%96%93。なお、現在の建物(鬼の間)に、白澤王の絵は描かれていないらしい。

「屠蘇」の由来は、

孫思邈の庵を屠蘇庵、

といったから(大言海・たべもの語源辞典)とするものがある。

屠蘇という庵に住む人が、里人の疫病を予防して除夜に薬を配り、元旦にそれを浸した水を飲ませたことによる(甲子夜話所引歳華紀麗)、

も同趣旨である。他に、

「屠」は鬼気を去る意、「蘇」は神気を生じる(岩波古語辞典)、
「屠」は屠滅し人魂を蘇醒する意(甲子夜話所引四時纂要)、

と字面からくる説もある。もともと草庵に「屠蘇」とつけたとすれば、邪気を祓う意味でつけたとみていい。

「屠」(漢音ト、呉音ド。ズ)は、

形声。「尸(からだ)+音符者(シャ)」は、動物のからだを切り開くこと、

であり(漢字源)、「蘇」(漢音ソ、呉音ス)は、

会意兼形声。穌は「魚+禾(イネ科の植物)」の会意文字。まったく縁のないものを並べて、関係がない、隙間が空いていることを示す。疏(ソ 離れて別々になる)・疎(ソ 離れて別々になる)・粗(ソ ばらばらに離れるあらい米)などと同系。蘇はそれを音符とし、艸をくわえた字で、葉と葉の間にすきまがある植物を表す。転じて、喉に隙間があいて詰まった息が通ること、

とあり(仝上)、蘇る、生き返る、意である。とすると、

「屠」は鬼気を去る意、「蘇」は神気を生じる意
「屠」は屠滅し人魂を蘇醒する意、

何れの意味もある。意味は、いずれかだろう。謂れは、孫思邈に帰すよりほかはない。『土佐日記』には、

廿九日、大湊にとまれり。くす師ふりはへて屠蘇白散酒加へてもて來たり。志あるに似たり。元日、なほ同じとまりなり、

と、「屠蘇」が出てくる。

宮中では、一献目に屠蘇、二献目に白散、三献目は度嶂散を一献ずつ呑むのが決まりであった。貴族は屠蘇か白散のいずれかを用いており、後の室町幕府は白散を、江戸幕府は屠蘇を用いていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%A0%E8%98%87。「白散」(びゃくさん)は、

山椒・防風・肉桂・桔梗・白朮(びゃくじゅつ)・桔梗・細辛(さいしん)・附子(ぶし)などを刻み、等分に調合したもの、

とある(広辞苑)が、

刻みながら銚子に入れるものなりとそ、

とある(大言海)。「度嶂散」(としょうさん)も、新しい年の健康を祈って元日に飲んだ薬の一つで、

麻黄、山椒、細辛、防風、桔梗、乾姜、白朮、肉桂、

からなる(精選版日本国語大辞典)。

「屠蘇」の風習は、中国では唐の時代から確認できるが、現在の中国には見当たらない、という(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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