「祐庵焼(ゆうあんやき)」は、
幽庵焼、
幽安焼、
柚庵焼、
等々とも当てられる、
鮎の祐庵焼、
という風に用いられる(たべもの語源辞典)、
和食の焼き物のひとつ、
で、
アマダイ、マナガツオ、イナダなどを使い、酒・醤油を四対六に合わせたものに漬けておき、焼き上がりにタレをもう一度つけて出す、
とある(仝上)、そのタレを、
幽庵地(醤油・酒・味醂の調味液にユズやカボスの輪切りを入れたもの)、
というらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BD%E5%BA%B5%E7%84%BC%E3%81%8D)。汁気を切って蒸すと、
幽庵蒸し、
となる(仝上)。
(サワラの柚庵焼き https://www.sirogohan.com/recipe/sawarayaki/より)
江戸時代の茶人で、食通でもあった、
北村祐庵(堅田幽庵)、
が創案したとされる(仝上)。しかし、
江戸時代の料理本などの文献には幽庵焼きの記載はなく、また幽庵焼きで用いる味醂も非常に高価なものであった為、一般的に料理に用いられるようになるのは北村祐庵の死後、約百年後からである。よって幽庵焼きを北村祐庵が創案したとするのは疑念がある、
との説もあり(https://www.bimikyushin.com/chapter_1/01_ref/yuan.html)、
幽庵の時代は味醂は非常に高価な飲み物であった、
味醂の料理使用は幽庵の時代から100年後、
等々から、
料理に味醂が使われるようになった経緯をみると、1820年頃の江戸時代後期に入ってからやっと料理に味醂が使われるようになったことが分かる。北村祐庵の生きた時代は江戸時代中期(1648年(慶安元年)~1719年(享保4年))であるので、味醂を使った料理が『料理通』などの本で紹介されるようになる約100年以上も前に、北村祐庵が「幽庵焼き」を創案したとするのはやはり無理があるだろう、
としている(仝上)。
(北村祐庵 肖像集 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287791より)
北村祐庵については、「北村祐庵(堅田幽庵)」(https://www.bimikyushin.com/chapter_1/01_ref/yuan.html)が詳しいが、
江戸時代の茶人。美食家としても有名。諱は政従(まさより)、通称佐太夫(さだゆう)。別に道遂(どうずい)と号す。慶安元年(1648)、近江・堅田の豪農の北村家に生まれた。堅田幽庵、堅田祐安(北村祐庵、北村幽庵)と記されることもある、
とある(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%91%E7%A5%90%E5%BA%B5)。
『近世畸人伝』によると、北村祐庵は、
味を見分ける事、易牙のようであったと書かれている。易牙とは、中国の春秋時代、斉の桓公に仕えた中華料理の基礎を作ったとも言われる料理人で、「淄澠の水を混ぜても、嘗め分けることができた」と『淮南子』に書かれている、
とあり(https://www.bimikyushin.com/chapter_1/01_ref/yuan.html)、
水の味に鋭敏であった、
とされ、
ある時下男が骨惜しみして指図通りの水を汲まず、近くの湖辺のものを持参したことを看破し、下男は恐れ入った、
というエピソードがある(仝上)。また、当時の文化人として芸道のあらゆる分野に造詣深く、特に作庭・茶室設計・茶器製作に独特の手腕を発揮し、
天和元年(1681)頃、幽安が師の庸軒と共に創った「天然図画亭(てんねんずえてい)」(居初氏庭園)は、入母屋造りの草庵式と書院式を融合させた茶室「図画亭」と琵琶湖と湖東連山を借景にした枯山水庭園で、大津市指定文化財・国の名勝に指定されている、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%91%E7%A5%90%E5%BA%B5)。
享和三年(1803)『新選庖丁梯(かけはし)』には、巻頭には料理の心得と茶人北村祐庵伝。続いて、珍しい盆や椀など器物の図と説明があるが(http://www.library.tohoku.ac.jp/collection/exhibit/sp/2005/e-tenji/list1/017.html)、その小伝に、
庭園の作意にも秀で、物の味を知ること、海内の一人者で、魚肉、きのこ、野菜はもちろんのこと、木・竹・水・石といえども、なめれば、ただちに、その出所の善悪を分かつこと神の如し、
とある(たべもの語源辞典)、とか。「利休煮」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474289336.html)で触れたように、「利休」を冠する、
利久煮
利休蒸、
利休焼、
利休和、
利休蒲鉾、
利休善哉、
利休煎餅、
利休醤(びしお)、
等々に利休考案のものはひとつもない(たべもの語源辞典)のと同様、「祐庵焼」も、「味きき」伝説の祐庵に名を借りた物なのだろう。
(居初氏庭園 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E5%88%9D%E6%B0%8F%E5%BA%AD%E5%9C%92より)
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95