さうらふ
「さうらふ」は、
候、
と当てる。
目上の人のそばに控える、仕える、
「あり」の謙譲語、ありの丁寧語、おります、ございます、
の意だが(広辞苑)、助動詞として、
聞こえさうらふ、
義経にて候、
というように、
動詞及びある種の助動詞の連用形に、「に」「で」などの助詞について、目下の者が自分に関することを目上の者に述べるのに用いた。鎌倉時代以降は「侍り」などと同じく丁寧な言い方に用いられた。今日の「ます」「ございます」にあたる。のちにはいわゆる「候文」として書簡などに用いられる、
とあり(広辞苑)、
言葉遣いを丁寧・丁重にするために添える、
形で使われる(岩波古語辞典)。「さうらふ」は、
さもらふ、さむらふ、さぶらふの転、
とされる(大言海)。
「候」(漢音コウ、呉音グ)は、
会意兼形声。侯の右側は、たれた的(まと)と、その的に向かう矢との会意文字で、的をねらいうかがう意を含む。侯は、弓矢で警護する武士。転じて、爵位の名となる。候は「人+音符侯」で、うかがいのぞく意味をあらわし、転じて身分の高い人の機嫌や動静をうかがう意となる、
とあり(漢字源)、「さうらふ」に似ているが、別に、
会意形声。「人」+音符「矦(=侯)」、「侯」は矢で的を狙う軍人、時代が下って王の側近を意味するようになり、「候」に元の「ねらう」等の意が残った、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%80%99)。
「斥候」の「うかがう」意であり、「候門」のように「待つ」意であり、「時候」のように「きざし」の意であるが、身分の高い人の傍近くに仕えて機嫌をうかがう意の「さぶらふ」意でもある。
「さうらふ」に転訛した「さぶらふ」は、
候ふ、
侍ふ、
とあてるが、
さもらふの転。じっとそばで見守り待機する意。類義語ハベルは、身を低くして貴人などのそばにすわる意、
で(岩波古語辞典)、「さもらふ」は、
「様子を伺い見る」が古い意味である。……主人の側に仕えて、絶えず主人の意向を見守っていたことに発する語である。それが「さぶらふ」となって、貴人の命を伺い待つ意として使われ、やがて、広く丁寧の意を表すのに用いられるようになった、
とある(仝上)。
「居り」「有り」の謙譲語。また丁寧にいう語としても使われた、
が(広辞苑)、丁寧語としては、
奈良・平安時代にはバベル(侍)が使われていたが、次第にサブラフがとって代わった、
とあり(岩波古語辞典)、
鎌倉・室町時代には、男性は「さうらふ」、女性は「さぶらふ」「さむらふ」と使うという区別があった、
(平曲指南抄・ロドリゲス大文典)、とある(仝上・広辞苑)。
「さぶらふ」に転訛した「さもらふ」は、
候ふ、
侍ふ、
と当て、
サは接頭語、モラフは、見守る意の動詞モ(守)ルに反復・継続の接尾語フが付いた形、
とある(岩波古語辞典)。そしてこの接尾語「フ」は、
四段活用の動詞を作り、反復・継続の意を表す。例えば、『散り』『呼び』といえば普通一回だけ散り、呼ぶ意を表すが、『散らふ』『呼ばふ』といえば、何回も繰り返して散り、呼ぶ意をはっきりと表現する。元来は四段活用の動詞アフ(合)で、これが動詞連用形のあとに加わって成立したもの。その際の動詞語尾の母音の変形に三種ある。①[a]となるもの。例えば、ワタル(渡)がウタラフとなる。watariafu→watarafu。②[o]となるもの。例えば、ウツル(移)がウツロフとなる。uturiafu→uturofu。③[ö]となるもの。例えば、モトホル(廻)がモトホロフとなる。mötöföriafu→mötöföröfu。これらの相異は語幹の部分の母音、a、u、öが、末尾の母音を同化する結果として生じた、
とある(仝上)。とすると、「モリ(守)に反復・継続の接尾語ヒのついた形」の
「もる+あふ」
つまり、「もらふ」である。接頭語「さ(sa)」を付けると、
samöriafu→samörafu→samurafu→saburafu→saurafu、
といった転訛になろうか。ただ、大言海は、「さ」は、
万葉集の歌に、佐守布(サモラフ)とあり(遣る、やらふ)、或いはまもらふ(守)と通ずるか(惑す、まどはす)。サは、側の約か(多蠅(ははばへ)、サバヘ)。側にいて、目を離さず候(ウカガ)ひ居る意なり、
と、「そば」の意とする。「もる」は、
守る、
と当て、
固定的に或る場所をじっと見る意。独立した動詞としては平安時代にすでに古語となり、多く歌に使われ、一般には,これの上にマ(目)を加えたマモルが用いられるようになった、
とある(岩波古語辞典)。つまり、「もる」には、
見守る、
意はあるが、「そば」と特定する意味はない。とすれば、「さ」は、単なる接頭語とはいえず、
さもらふ、
の「さ」は、大言海の言うように、「側」の意があったと考えるべきではあるまいか。「サモラフ」の原義は、
相手の様子をじっと窺うという意味であったが、奈良時代には既に貴人の傍らに控えて様子を窺いつつその命令が下るのを待つという意味でも使用されていた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D)。「さ」がついて、はじめて「傍らに」の意味が出てくるのではあるまいか。
「さうらふ」は、「さもらふ」から、
さもらふ
↓
さむらふ
↓
さぶらふ
↓
さうらふ、
↓
そうろ、
↓
そろ、
と音がつまるようになり、活用形が欠けて来て用いにくくなり、室町時代からは「まゐらする」が「候ふ」に代わって次第に広く使われ始め、「候ふ」は、文章語、書簡体のための用語となった、
ということになる(岩波古語辞典)。
「サムライ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463927433.html)で触れたが、「さむらい(侍・士)」は、
サブラフの転、
であり、
主君のそば近くに仕える、
意から(岩波古語辞典)、その人を指した。
平安時代、親王・摂関・公卿家に仕え家務を執行した者、多く五位、六位に叙せられた、
つまり、「地下人」である。さらに、
武器をもって貴族まったく警固に任じた者。平安中期、禁裏滝口、院の北面、東宮の帯刀などの武士の称、
へと特定されていく。とすると、
samöriafu→samörafu→samurafu→saburafu→samurafi
といった転訛であろうか。「サムライ」は16世紀になって登場した比較的新しい語形であり、
鎌倉時代から室町時代にかけては「サブライ」、平安時代には「サブラヒ」とそれぞれ発音されていた。「サブラヒ」は動詞「サブラフ」の連用形が名詞化したものである、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D)、「サブラフ」は、
「侍」の訓としても使用されている、
のであり、
平安時代にはもっぱら貴人の側にお仕えするという意味で使用されていた。「侍」という漢字には、元来 「貴族のそばで仕えて仕事をする」という意味があるが、武士に類する武芸を家芸とする技能官人を意味するのは日本だけである、
とある(仝上)。つまりは、
サモラフ→サムラフ→サブラフ→サムラヒ、
と、途中から、「さうらふ」とは別れて、転訛していったことになる(日本語源広辞典)。
『初心仮名遣』には、「ふ」の表記を「む」と読むことの例の一つとして「さぶらひ(侍)」が示されており、室町期ころから、「さふらひ」と記してもサムライと発音していたらしい。一般的に「さむらひ」と表記するようになるのは、江戸中期以降である、
という(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
この記事へのコメント