「いただきます」は、
頂きます、
とか、
戴きます、
と当てたりする。食事を始める際の日本語の挨拶であるが、挨拶として広く慣習化されたのは恐らく昭和時代からであり、
箱膳で食していた時代には、「いただきます」は決して一般的とは言い難いものであった。ほとんどの家庭において食前に神仏へのお供えがあった一方で、食前の挨拶はないことが非常に多く、またあったとしても様々な挨拶の言葉が存在した。それがやがて必ず言うようなものとなり、その文句(「いただきます」に限らない)も統一されてきたのは、軍国主義化していった時代ごろからのしつけや教育によるものであると推測されている、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99)、柳田国男も「いただきます」が近頃普及したものだと言及している(1946年「毎日の言葉」)。
「いただきます」の「いただき」は、
動詞いただく(頂く・戴く)の連用形、
であり、「いただく」は、
本来は、頭上に載せる意の普通語であったが、上位者から物をもらう時、同様の動作をしたところから、中世以降、もらう意の謙譲用法が確立した。また、上位者からもらった物を飲食するところから、飲食する意の謙譲用法が生じ、さらに丁寧用法も派生した、
とあり(日本語源大辞典)、同趣旨ながら、
山や頭の一番高いところを「頂(いただき)」と言うように、本来は「いただく」は頭上に載せる意味を表した語である。中世以降、上位の者から物を貰う際に頭上に載せるような動作をしたことから、「いただく」に「もらう」という意味の謙譲用法が生じた。やがて、上位の者から貰った物や神仏に供えた物を飲食する際にも、頭上に載せるような動作をし食事をしたことから、飲食をする意味の謙譲用法が生まれ……た、
とある(語源由来辞典)。
頭にのせる(万葉集「母刀自(あもとじ)も玉にもがもや戴きて角髪(みづら)の中に合へ巻かまくも」)
↓
大切なものとして崇め扱う(万葉集「家の子と選(えら)ひたまひて勅旨(おほみこと)いただきもちて」)
↓
(よいものを)授かる(宇治拾遺「いよいよ悦びをいただきて、かく参りたるなり」)
↓
高く捧げる(日葡辞書「サカヅキヲイタダク」)
↓
(「もらふ」の謙譲語。暮れる人にへりくだって言う(虎明本狂言・鏡男「安堵の御教書をいただいて下った」)
↓
「食う」「飲む」の謙譲語(狂言・猿座頭「さらば差さう。飲ましめ。いただきましょう」)
等々といった転化であろうか(広辞苑・岩波古語辞典)。
戴き餅(もちひ)、
という言葉があり、
今年正月三日まで、宮たちの御いただきもちひに、日日にまうのぼらせ給ふ(紫式部日記)、
と、
幼児の頭に餅をいただかせてその前途を祝う言葉を述べる儀式が、元日または正月の吉日に行われていた、
とあるので、文字通り、「頂」に戴いていた(岩波古語辞典)。中世になると、
位階が細かくなると、人と会えばどちらかが目上であるということになり、また、相手を目上と思って尊ぶことを礼儀とするようになってからは、「いただく」機会は激増し、この謙譲用法は確立されていった、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99)、
「食う・飲む」の謙譲語としての「いただく」は、室町末以後に成立した狂言に使用例がみられる。したがって本来は、飲食物を与えてくれる人、または神に対しての感謝の念が込められていたと考えられる、
とある(仝上)。その意は広がり、
古本高価にていただきます、
と(広辞苑)、買い取る意の謙譲語でも、
今度の試合はいただいたも同然だ、
と、苦労もなく、手に入れる意でも、
小言をいただく、
と、しかられる意でも使う(デジタル大辞泉)。
ただ語源については、
難解なり、先輩の二三説あれど、採るべくもあらず、
としている(大言海)ように、はっきりしていない。岩波古語辞典は、
イタはイタリ(至)・イタシ(致)のイタと同根。極限・頂点の意。ダクは「綰(た)く」で、腕を使って仕事をする意。頭のてっぺんで両手であれこれする意、
とする。「だく」は、しかし、
腕をはたらかせて仕事をする意、
として、
たけばぬれたかねば長き妹が髪この頃見ぬに掻きれつらむか(万葉集)、
の「髪を掻き上げる」意であったり、
大船を荒海(あらみ)に漕(だ)ぎ出彌船(やふね)かけわが見し児らが目見(まみ)は著(しる)しも(万葉集)、
の「舟をこぐ」意や、
秋づけば 萩咲きにほふ岩瀬野に馬だきゆきて(万葉集)、
の「馬の手綱を取る」意等々で、どうも、両手を頭上にささげるような動作とはかけ離れている。大言海が、「たく」を、
手を活用せる語、
としているので、その意味ではなくもないが、「いただく」を「イタ」と「タク」に分けたところが、如何であろうか。
「難解」として大言海は、「強いて、試みに、予が牽強説を云はば」と断って、
イは発語、タダクは、手手上(たたあ)くの約、
と、(「我れながら失笑す」と)自嘲しつつ述べているが、むしろ、「いただく」の原義から見て、
頂くは、もとは物を頭に載せること。食べものを頂くとは、神や貴人の前で、改まった儀式の日に、神と人とが同じ物を食べるとき、食べ物を頭と額に押しいただいたことから、
とする(堀井令以知『決まり文句語源辞典』)のが素直ではあるまいか。
「頂き+く(動詞化)」です。「物を頭の上(頂き)に載せる」意の動詞(日本語源広辞典)、
イタダクは、もともと「頭に載せる」の意であったが、身分の高い人から物をもらうときに頭の上に捧げ待つ動作をしたところから、もらうこと、さらには飲食することをへりくだって表現する言い方になった(山口佳紀『暮らしのことば新語源辞典』)、
「いただき」は「頂き」で、いちばん上、てっぺんのことです。人間の場合は、「頂」は頭です。神様や目上の人から物をもらうときは、頭の上で受け取るのが礼儀です。これが「頂く」です(子どもとおとなのことば語源辞典)、
も同趣旨である。
因みに、「いただく」に当てる「戴」(タイ)は、
形声。異を除いた部分は、在(ザイ 切りとめる)の原字で、切り止めること。戴はそれに異を音符としてそえた字で、じっと頭の頂上に止めておくこと。異の古い音はタイの音をあらわすことができた、
とある(漢字源)。「戴冠」というように、頭の上に載せて置く意で、そこから「君主からありがたくもらう」意に転じている。まさに「いただく」にふさわしい字を当てている。
(説文解字(漢)小篆「頂」 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%82より)
「頂」(漢音テイ、呉音チョウ)は、
会意兼形声。「頁(あたま)+音符丁(直線がてっぺんにつかえる、てっぺん)」。胴体が直線につかえる脳天、
とある(仝上)。別に、
会意形声。「頁」+音符「丁」。「丁」は上が平らになったくぎの象形であり、「釘」の原字。打ち付ける釘の最上部の部分、
ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%82)。「てっぺん」の意だが、やはり、「頭上にのせる」という意味もある(漢字源)。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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