2021年02月10日
テロ
一坂太郎『暗殺の幕末維新史―桜田門外の変から大久保利通暗殺まで』を読む。
サブタイトルには、
桜田門外の変から大久保利通暗殺まで、
とあるが、実際は、
大津浜異人上陸事件、
というイギリス捕鯨船の着岸事件で、藤田東湖が、
夷虜を鏖(みなごろし)、
にしようとした矢先、乗組員は立ち去った後、ということから始め、
伊藤博文狙撃事件、
までを描く。その伊藤博文は、塙保己一の子、
塙次郎、
を、ただ廃帝調査を受けたとの噂だけで、殺害し、加藤一周という塙の友人も、巻き添えに殺害するのに与し、さらに、
宇野東桜(八郎)、
を、幕府のスパイという疑いだけで、長州藩邸に連れ込み、刀を取り上げ、なぶり殺しにした。伊藤の、
その手はずいぶん血で汚れていた、
が、
半世紀を経ても噂で他人の命を奪ったことを反省する気は、さらさらなかったらしい、
という。そして、
リーダー格だった(高杉)晋作の交遊録『観光録』末尾には「宇野八郎・塙二郎斬姦」と不気味なメモが残る、
という。その伊藤が、最期にテロに倒れる。
著者は、「おわりに」で、こう皮肉る。
幕末維新に活躍した「英雄」だの「偉人」だのと称賛される人物の多くは、暗殺や暗殺未遂事件に一度や二度は関与している。近代化の牽引者として私が高く評価する伊藤博文も、若いころは噂話で他人の命を簡単に奪ってしまった。しかも、終生反省していた気配が感じられない。やがて伊藤自身も暗殺されてしまうのだから、因縁めいたものを感じずにはいられない、
と。しかも、暗殺の多くは、闇討ち、不意打ち、背中から切りつけるという卑怯未練な手段が多い。ために、馬上で襲われた、
佐久間象山、
は、
武士たる者が後ろ疵を負うとは、この上もない不覚だとして松代藩から改易を申し渡される、
という理不尽な仕打ちを受ける。多くの逸材が殺されたが、この海舟の義弟に当たる、
佐久間象山、
と明治になって殺された、
横井小楠、
の二人をとりわけ惜しむ。二人とも開国論者であった。
東洋の道徳(儒教)、西洋の芸術(科学)、
と言う佐久間の考えは、二人の甥を龍馬に託して洋行させる折送った、有名な送別の詩、
堯舜孔子の道を明らかにし
西洋器械の術を尽くさば
なんぞ富国に止まらん
なんぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ
と通底する考え方である。横井も、単なる噂だけで暗殺されたが、今日の、ツイッターなどで、誤解と悪意とで「殺される」のとどこか似ている。
維新期の吉田松陰もそうだが、思い込みの視野狭窄は、
天下は一人の天下なり、
と天皇に帰属させようとしたのに対し、山形太華が、
天下は一人の天下にあらず乃ち天下の天下なり、
と反論したように、理非の彼方にある。勿論、時代の突破力として視野狭窄が必要なことを弁えた上でも、維新遂行者は、殆どが、テロリストであった。西郷隆盛は、益満休之助らを使って、500人の浪人を集め、江戸市内を意図的に混乱させる工作をした。これも立派なテロである。大久保利通と岩倉具視には、孝明天皇暗殺の疑いすらある。僕は、言葉通り、維新の立役者たちは皆、
テロリスト、
であったと思っている。その政権が、松浦玲氏の言われるとおり、いかがわしくないわけがない。
著者は、「はじめに」で、
テロ(テロリズム)とは政治的目的を達成するために暴力や脅迫を用いることで、暗殺は特定の要人などを不意に襲って殺害すること、
と整理している。いずれにしても、殺人は殺人である。
暗殺を軸にすると、政権交代としての「明治維新」を正当化するため、靖国合祀や贈位(追贈)が便利なシステムとして利用されたこともわかる、
と著者は「はじめに」で述べている。後ろめたさよりは、自己正当化なのだろう。
参考文献;
一坂太郎『暗殺の幕末維新史―桜田門外の変から大久保利通暗殺まで』(中公新書)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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