「さかやき」は、
月代、
月額、
と当てるが、訛って、
さかいき、
さけえき、
ともいう(江戸語大辞典)。時代劇で見る、
男の額髪を頭の中央にかけてそり落としたもの、
である(広辞苑)。
もともと冠の下に当たる部分を剃ったが、応仁の乱後は武士が気の逆上を防ぐために剃ったといい、江戸時代には、庶民の間にも流行し、成人のしるしとなった、
とある(広辞苑)が、しかし、「月代」は、
つきしろ、
とも訓み、本来の意は、
月の出る直前に、月の近くの空が半円形に白んで見えるもの、
を(誤って「月」そのものをも)指し(岩波古語辞典)、日葡辞書にも、
Tçuqixiroga(ツキシロガ)ミエタ(すでに月がのぼった。または月の光が見えた)、
と載る。それに準えて、
半円形にそり落としたもの、
を指した(仝上)。それは、
古へ、男子、頂髪の中央の毛を、圓く抜き去りおくもの。後世に云ふ中剃(なかぞり 頭頂の中央のところのみ剃り去ること)なり。古へは皆総髪にて、全髪を頂に束ねて髻(もとどり)とし、冠の巾子(コジ)に挿したり。然して逆上(のぼせ)を漏らさむために、中剃をしたるなりと云ふ。又、冠の額に当たる髪際を、半月形に抜けるを額月(ひたいづき)と云ひき、
とある(大言海)。貞丈雑記(1784頃)にも、
古代の人はさかいきをそる事なし。髪のもとどりをばかしらの百会の所にてゆふ也、
とある。「百会(ひゃくえ)」は、頭のてっぺんにあるツボを指す。「巾子(こじ)」は、
(「こんじ」の「ん」を表記しない形)冠の頂上後部に高く突き出ている部分。髻(もとどり)を入れ、その根元に笄(こうがい)を挿して冠が落ちないようにする。古くは髻の上にかぶせた木製の形を言った。元来は、これをつけてから幞頭(ぼくとう 冠部分)をかぶったが、平安中期以後は冠の一部として作り付けになった、
とある(広辞苑・デジタル大辞泉)。
(冠の名所並びに家別冠の刺繍紋様 『有職故実図典』より)
「額月」(ひたいづき)とは、
額の月代(つきしろ)の意、
で、
額付、
額突、
等々とも当て、
古へ、男子の額上の毛髪を半月形に抜き去りおくもの。又月額(さかやき)とも云へり、冠又は烏帽子を被りて、額の髪際(はええぎわ)の見えぬやうにとて抜き去れるなり、
とあり(大言海)、略して、
ひたひ、
という(仝上)。
だから、「つきしろ」とは、
形、圓ければ、月の代わりにて、月様(つきよう)の意なるべし、
と、本来の「月代」の意味に準えたものといっていい。
しかも、本来は、剃るのではなく、抜いていたと見え、
天正年代(1573~92)まで毛抜きを用いて頭髪を抜いた、
とある(日本大百科全書)。そのため、ルイス・フロイスは、
合戦には武士が頭を血だらけにしている、
と記している(https://www.kokugakuin.ac.jp/article/11121)、とある。ただ、
頭皮に炎症を起こし、兜を被る際に痛みを訴える者が多くなったため、この頃を境に毛を剃ってさかやきを作るのが主流となる、
という次第(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%8B%E3%82%84%E3%81%8D)で、剃るのに代わる。
戦国時代は,貞丈雑記に、
合戦の間は月代をそれども、軍やめば又本のごとく惣髪になるなり、
あるように、戦の時だけであったが、やがて、
月代を剃っていることが勇敢さの印にもなり,武家の男子が成人になると兜をかぶらないでも,月代を剃るようになった、
とあり(ブリタニカ国際大百科事典)、それが江戸時代、庶民にまで広まった理由のようである。もともとは、
武士は鉄製の兜をかぶったが,頭が蒸れるので,兜の頂上に通気孔を開けて,その穴の真下の髪を剃った、
とあり(仝上)、
頭髪の蒸れによって、のぼせるのを防ぐために編み出されたもので、……最初は半月のような形をしていて、中剃り的なものであった。元来、公家、武家ともに日常生活で頭に冠や烏帽子を着用したが、戦乱が続くようになって、甲冑姿で頭が蒸れるところから、百会に月代をあけ、戦いが終わると同時にもとに戻していた。しかし、室町時代に入って応仁の乱など戦いが長く続くようになってからは日常化し、それがいつとはなく、戦乱が終わったのちでも、月代をあけておくのが習わしとなった。それも最初は小さな月代であったのが、だんだんと大きくなっていった、
とある(日本大百科全書)。「つきしろ」の由来から鑑みると、額際(額月)と頭頂部(つきしろ)を抜いていたものを、つなげて、ひろく「さかやき」にしたのだと見える。もともとは、「つきしろ」と「額月」とは離れていたし、「さかやき」とも別であったものが、つなげて額から頭頂部までを剃るようになって、ひとくくりに、
さかやき、
というようになった、というように見える。
つきしろと同義なので、(さかやきに)月代と当てた、
とある(岩波古語辞典)のはその意味である。では、「さかやき」はどこから来たか。
頭が蒸れるので,兜の頂上に通気孔を開けて,その穴の真下の髪を剃った。空気が抜けるので,逆息(さかいき)といい,その音便とするもの
とする、貞丈雑記の、
「さかいき」と云ふは、気さかさまにのぼせるゆえ、さかさまにのぼするいきをぬく為に髪をそりたる故「さかいき」といふなり、
説があるが、大言海は、
サカイキ云ふは、後世の音便なり、これを、逆息の義とし、逆上の気なりと云ふ説は、後世に云ふサカヤキには云へ、額月(ひたいづき)の語原とはならず、また月代(ゲッタイ)の字は、ツキシロにて、異義なるを因襲して用ゐるなり、
と、否定し、
逆明(さかあき)の転にて(打合(うちあひ)、うちやひ)、髪を抜きあげて、明きたる意、
とする。他に、たとえば、
サカ(境・生え際)+アキ(明き)、生え際を広く明けて剃り上げる意、
とする(日本語源広辞典)のは、「額月」(ひたいづき)の意味とは重なっても、「さかやき」のそれには当たらないのではないか。あるいは、
昔、冠を着けるときに、前額部の髪を月形に剃ったところから、サカは冠の意、ヤキ(明)は船名の意(茅窓漫録・嬉遊笑覧・和訓栞・風俗辞典=森本義彰等々)、
額毛をいうサカヒケ(界毛)の訛り(俗語考)、
サカイケヤキ(頭毛焼)の略転(燕石雜志)
も、「額月」(ひたいづき)や「つきしろ」の説明にしかなっていない。「つきしろ」は、月の出のことを指していて、和訓栞が、
冠下に劫月(大言海は初月(みかづき)の誤りか、とする)の如く剃るなるべし、似たるを持って名づくる也、
としている通り、月の形ないし、月の出の光の暈を指しているし、「額月」(ひたいづき)は、
額の月代(つきしろ)の意、
である。しかし、「さかやき」の由来を、説明する説は、
サカは栄、若えさかやぐと祝っていう語から(類聚名物考)、
サカエケ(栄毛)の義(名言通)、
ソキアケ(刵欠)の義(言元梯)、
というものしかなく、結局由来不明とするしかない。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95