「ちょんまげ」は、
丁髷、
と当てる(広辞苑)が、
髷が「ゝ(ちょん)」の形に似ているところからという、
とする説(広辞苑)と、
「ちょん」は、ちょう(丁)の音便の誤、
とする説(大言海)がある。しかし、
結んだ髪の毛先を前に折り返した形がチョン(ゝ)に似た髷だから(日本語源広辞典)、
前面に折り返した髷の形が踊り字 の「ゝ(ちょん)」に似ているからで、「丁髷」の「丁」は当て字(語源由来辞典)、
とするのが妥当なようである。ただ、別に、「ちょんまげ」の「ちょん」は、
「ちょん」が「ちいさい」「すくない」などの意味で、丁髷が小さいため「ちょんまげ」となった、
とする説がある(仝上)。確かに、「わずかな時間」の意の、
ちょんの間、
という言葉があるし、「ちょっぴり」の意の、
ちょんぼり、
ちょんびら、
ちょんびり、
もある(岩波古語辞典・江戸語大辞典)。「ちょっと切る」意の、
ちょん切る、
もある(大言海・江戸語大辞典)。しかし「ちょんまげ」は、
額髪を剃り上げ、後頭部で髻(もとどり )を作り、前面に向けた髷、
の意であり(仝上)、「少し」という感じではないのではあるまいか。ただ、「ちょんまげ」を、
江戸時代中期以降、額髪を広く剃り上げ、髻(もとどり)を前面に向けてまげた小さな髷、
をさす(広辞苑)とする説明もあり、「ちいさい」という感じを捨て切るのには躊躇う。本来の「丁髷」は、
髪の少ない老人などが結う貧相な髷、
を指す、ともあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%9D%8F%E9%AB%B7)、「小さい」「少ない」の含意は捨てきれない。
ところで、「ちょんまげ」の、「髻(もとどり)を前面に向けてまげる髷」は、中世後期には、
一般に烏帽子などをかぶらなくなり、髷を後ろに纏めて垂らし、烏帽子や冠は公家・武士・神職などが儀式に着用する程度になり、近世には、月代が庶民にまで広がって剃るのが一般化し、髷を前にまげて頭の上に置く、
ようになったため(https://www.kokugakuin.ac.jp/article/11121)であるが、大坂の陣以降、戦国時代が遠くなり、兜をかぶる機会が減った、平和な時代ということなのだろう。「さかやき」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/480265673.html?1614541415)の由来については触れた。
成人男性の丁髷は、大きく分けて、束ねた髪を元結(もとゆい)で巻いて先端を出した、
茶筅髷(ちゃせんまげ)、
と、元結の先端を二つ折りにした、
丁髷、
とがみられ、元服前の男子は前髪を残し中剃りする、
若衆髷(わかしゅまげ)、
で元服後に前髪を剃り落とした(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E9%AB%B7)、とある。「ちょんまげ」といわれる由来のもとになったのは、本多忠勝家中の髪形から広まったという、
本多髷(ほんだまげ)
といわれる、明和・安永(1764~1781)のころに流行した男子の髪形のようである。
(本多髷 デジタル大辞泉より)
中ぞりを大きく、髷(もとどり)を細く高く巻き、7分を前、3分を後ろにしてしばったもの、
であり(広辞苑・デジタル大辞泉)、
ほんだわげ、
ともいい、
金魚本多、
兄様本多、
団七本多、
浪速本多(なにわほんだ)、
豆本多(まめほんだ)、
蓮懸本多(はすかけほんだ)
等々の種類を生み、通を競った(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E9%AB%B7・広辞苑)、という。「本多髷」は、
文金風の変化したもので,宝暦〜明和(1751年―1772年)ごろに芝居の役者が結い始め,安永(1772年―1781年)ごろ全盛をきわめた、
とある(百科事典マイペディア)。
(本多髷 精選版日本国語大辞典より)
その結い方は、
耳の上ぎりぎりから側頭部にかけてまで極端に広く月代(さかやき)を取り、鬢の毛を簾のように纏め上げる。鼠の尻尾のように細く作りなした髷は元結で高く結い上げて、急角度で頭頂部にたらすというもの。広い月代と頭と髷先、髷の根元を線で結んだ間の部分に空間ができるのが特徴、優美で柔和な印象で最初吉原に出入りする客の間で大人気を博した髷で、本多髷でなければ吉原遊郭では相手にされない、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E9%AB%B7)。
(文金風 デジタル大辞泉より)
「文金風(ブンキンフウ)」というのは、
髷 (まげ) の根を元結で高く巻き上げ、毛先を月代 (さかやき) のやや前方に出したもの。豊後節の祖、宮古路豊後掾 (みやこじぶんごのじょう) が始めたという。通人に好まれた、宮古路風ともいう、
とあり(デジタル大辞泉)、
元文年間(1736~41)の文字金(「文」の極印のある金貨)と同じころ始まったからという、
とある(広辞苑)。
辰松風(たつまつふう)から出て、まげの根を上げて前に出し、月代に向かって急傾斜させた、
とある(広辞苑)。
(辰松風 デジタル大辞泉より)
辰松風(たつまつふう)とは、
江戸中期、辰松八郎兵衛が結い始めた、
とされ、
元結で髷 (まげ) の根を高く巻き上げ、毛先を極端に下向きにしたもの、
である。
辰松風→文金風→本多髷、
と、まさに、本来の「月代」の実用性を逸脱し、広く大きく剃り、髷も、現代の髪型を競うのに似て、江戸期、平和な時代になった証のように、様々な髪型が流行したのである。
一般的だった男性の髪形、特に時代劇などで使われている銀杏髷(いちょうまげ)、
中間・奴の間に流行した、月代が大きく、髱が小さく、髷が太く短い髪型奴髷(やっこまげ)、
後頭部で髷を細く結った材木屋風」(ざいもくやふう)、
等々(https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%AB%AA%E5%9E%8B)、正に現代さながらに髪型を競ったようである。
参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95