2021年03月04日
ちょぼちょぼ
「ちょぼちょぼ」は、
点々、
と当てる(広辞苑・大言海)。
疎(まばら)に点を打つ状に云ふ語(大言海)、
が原意のように思われる。それをメタファに、
量や程度が少ないさま、ちょびちょび(虎明本狂言・鱸庖丁(室町末‐近世初)「なりてんぢくのかいしきに、ふかくさがわらけに、ちょぼちょぼとよそふておまらせうが」)、
物が所々に少しずつあるさま、ちょびちょび(病論俗解集(1639)「斑点小児はもがさ、或ははしか、大人はかざぼろし等ぞ。何さまちょぼちょぼ見ることぞ」)、
とか(精選版日本国語大辞典)、さらに、
所々に、
とか、
小さい、または少ない、
といった意味でも使い(広辞苑・大言海)。また、「点々」の意の派生で、
点を並べて打つ記号「:」や踊字「〻」などを、
チョボチョボで書てある線は始の波、また波形で書てある線は後の波(「颶風新話(航海夜話)(1857)」)、
とも使い(精選版日本国語大辞典)、さらに、同じことを重ねて記す場合に、略して点を打つ(〃)ところから、
前に同じ、
両者とも大したことがないさま、
の意で、
二人の成績はちょぼちょぼ、
等々とも使う(広辞苑)。ただこれについては、
ともども(共々)→ちょぼちょぼ(伯仲)、
と転訛したとする説がある(日本語の語源)。
「ちょぼ」を、大言海は三項別に分けている。ひとつは、
点、
を当てる「ちょぼ」で、
しるしに打つ点、
の意で、
ぽち、
ほし、
とも言い(広辞苑)、本の中のその部分に傍点が打ってあるところから、
歌舞伎で、地の文(登場人物の動作・感情などの部分)を浄瑠璃で語ること、
を指す(広辞苑)。
芝居の義太夫語は丸本を全部語らず、役者のセリフに文中に言ふ語のときに、自分の語るだけの所を、本の中に点(ちょぼ)をつけてそこを語りしに云ふ、
とある(大言海)。元来は、
説経節から出た称、脚本中の語るべき文句にチョボ(墨譜)が打ってある、
とある(江戸語大辞典)。「墨譜(すみふ・ぼくふ)」とは、
雅楽、声明(しょうみょう)、平曲、謡曲、浄瑠璃などに見える日本音楽の楽譜の一つ。文句の右側に墨でしるす点や線の譜、節博士(ふしはかせ)、ごまてん、
とある(精選版日本国語大辞典)。浄瑠璃の譜も,平曲の記譜法にならったものである。
ついでに、「義太夫節」とは、
竹本義太夫が大坂に竹本座を興して創始した浄瑠璃(語り物)で、劇的要素や豪快さ緻密さにひときわ優れ、人形浄瑠璃はもとより歌舞伎を芯で支える重要な音曲となっています。竹本義太夫と共に作者として近松門左衛門が台頭し、人形浄瑠璃を隆盛に導いてゆきましたが、その後歌舞伎にも多く移され、歌舞伎の中で義太夫物は重要なポジションを担っています。三味線は太棹と呼ばれる豊かな音量とともに低音が利いた大型で、語りも低音から高音まで幅広く使われ、ドラマティックな表現力の豊かさがまさに命です、
とある(http://enmokudb.kabuki.ne.jp/phraseology/3432)。このため、「ちょぼ」を語ることを、
ちょぼ語り、
という(岩波古語辞典・江戸語大辞典)。
「ちょぼ」の二項目は、
江戸の佃島にて、白魚の廿一疋の称、これを一堆にして一ちょぼ、二ちょぼと云ふ、
とあり、これは、
博奕の簺(サイ)の目、廿一点出づるを勝とす、これより出でしか、
とある(大言海)。廿一は、サイコロの目の総和と等しいのである。
「ちょぼ」の三項目は、
樗蒲、
摴蒱、
と当てる。
サイコロを使った日本の賭博、
で、
ちょぼうち(樗蒲打)、
が訛って
ちょぼいち(樗蒲打)、
とも言う(大言海)。その道具を、
かり(樗蒲子)、
というため、
かりうち(樗蒲)、
ともいう(大言海)。
「ちょぼいち」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%81)の詳細は譲るが、
一個の賽で勝負する博奕。賭けた目がでれば賭金の四倍・四倍半・五倍を得るなど種類がある、
とある(江戸語大辞典)。「ちょぼいち」の、
「一」は、サイコロを一つだけしか使わないことに由来、
する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%81)ともある。
「ちょぼちょぼ」と「ちょぼいち」と関連づける説がある。
点を並べて打つ符号「:」や踊字「〻」などを「ちょぼちょぼ」ということがある。中国渡来の遊び「ちょぼ(樗蒲)」に使うサイコロの目に似ているので、点を「ちょぼ」というようになり、それを重ねたところから。また前と同じということも「〃」と表すことから、二つ以上の物事が同程度である様子も「ちょぼちょぼ」と言う、
とある(擬音語・擬態語辞典)。ただ、「ちょぼいち」は、
起源は江戸時代頃、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%81)、「かりうち(樗蒲)」の項には、
後世に、樗蒲(ちょぼ)と音読する博奕あり、
ともある(大言海)。あるいは、「ちょぼ(樗蒲)」と「かりうち(樗蒲)」は別なのかもしれない。
「かり(樗蒲)」が中国から渡来したのは古く、
晋の時代には大変流行したようで、『晋書』劉毅伝には劉毅と劉裕が樗蒲を行ったときの様子が詳しく記されている、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%97%E8%92%B2)。しかし宋の頃には滅んだらしい。嬉遊笑覧には、
樗蒲と云ふものは、和名抄にも出、令などにもあれど、ここに盛んに行はれたるものとも見えず、されど、万葉集に是を仮名に用ひたる事見ゆれば、まれまれ此戯したる事なきにはあらず、漢土にても、こはいと古き戯にて、早く宋の代には滅びて、その制を知るものなし、
とある。ただ「かり(樗蒲子)」は、和名抄に、
樗蒲、一名、九采、加利宇知、
とあり、万葉集にも、
折木四哭(かりかね)、
切木四之音泣(かりがね)、
とあり、これについて、
雁(かり)が音(ね)の借字。折、切の字は、木を切りて作る意かと云ふ。木四は樗蒲子(かり)の四木なるを云ふなり、又万葉集「三伏一向(つくよ)」「一伏三起(ため)」「一伏三向(ころ)」などある、ツク、タメ、コロなど、四箇の樗蒲子(かり)を投げ、起伏してあらはれたる象、則ち、采の名称なり、突出(つけ)、囘(ため)、自(ころ)にもあるべきか。然れども、詳なることは知らず、
とある(大言海)。どうも「樗蒲」を「ちょぼいち」と呼ぶものと、「樗蒲」を「かり」と呼ぶものとは別のようである。前者は賽一個で出目を競うが、後者は、
中国古代のダイスゲーム・賭博で、後漢のころから唐まで遊ばれた。サイコロのかわりに平たい板を5枚投げて、その裏表によってすごろくのように駒を進めるゲームであったらしい、
のである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%97%E8%92%B2)。樗蒲は、唐の李翺『五木経』および李肇『唐国史補』によると、
サイコロのかわりに5枚の板(五木)を投げた。板は片面が黒く、もう片方が白く塗られていた。5枚のうち2枚には白い側に雉が描かれており、その2枚の裏側(黒い側)には牛(犢)が描かれていた。目の出方には下の10通りがある、
とある(仝上)が、大言海には、
木造の橢圓、扁平なるもの、四個を用いる。各箇一面黒くして、其中二箇に犢を畫き、他の一面は、各白くして、其二個に雉を畫きく、此四箇のカリを、盤上に投げうつが、カリウチにて、其黒、白、犢、雉の面の種種に表るることを、采と云ふ、其色采の象(カタ)に寄りて、勝負あるなり、
とある。個数の違いなと、細かな点は別にして、ゲームの中身は、似ているが、ここからは、「ちょぼ」は出にくい。
「ちょぼちょぼ」の語感からいうと、「ちょぼいち」の「しょぼい」ゲーム感がなくもないが、わざわざ「ちょぼいち」とつなげる必要はなさそうで、
擬態語、ちょぼ、ちょび、ちょぼっ(日本語源広辞典)、
でいいのではないだろうか。
ちょぼっ、
は、
ひとつだけ小さくまとまってある様子、
ちょびっ、
は、
数量や程度が少しだけある様子、
のそれぞれ擬態語である(擬音語・擬態語辞典)。
ちょっぴり、
ちょびちょび、
ちょびりちょびり、
ちょろちょろ、
ちょろり、
等々近縁の擬態語はいっぱいある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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