「杜氏(とうじ)」は、「刀自(とじ)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/480333578.html?1614887969)で触れたように、「刀自」を、
トジ(杜氏)の転。女性が酒を管理したことから(明治大正史=柳田国男・たべもの語源抄=坂部甲次郎)、
と、「杜氏」由来とする説がある。確かに、「刀自」も、
とうじ、
とも訓ませる。だから、当然、「杜氏」も、「刀自」由来とする説がある。ひとつは、
酒造家の酒壺をいう刀自から(東雅・名言通・木綿以前のこと=柳田国男)、
というものである。これは、
奈良・平安時代造酒司(さけのつかさ)が酒をつくるのに用いた壺を〈大刀自(おおとじ)〉〈小刀自(ことじ)〉と呼び,後の人が酒をつくる人をも刀自と呼んだとする説、
とつながる(世界大百科事典)。いまひとつは、
寺社で酒つくりが行われる以前,酒つくりは家庭を取りしきる主婦(刀自)のしごとであり,刀自が転じたものであるとの説(仝上)、
である。これは、「刀自」の由来の、
トジ(杜氏)の転。女性が酒を管理したことから、
と通じ、上代、「酒」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451957995.html)は、
濁酒なれば,自ら,食物の部なり。万葉集二,三十二『御食(みけ)向ふ,木缻(きのへ)の宮』は,酒(き)の瓮(へ)なりと云ふ。土佐日記には,酒を飲むを,酒を食(くら)ふと云へり。今も,酒くらひの語あり,或は,サは,発語にて,サ酒(キ)の転(サ衣,サ山。清(キヨラ),ケウラ。木(キ)をケとも云ふ)、
とあり(大言海),「さけ」の古語「酒(キ)」は,
醸(かみ)の約,字鏡に「醸酒也,佐介加无」とあり。ムと,ミとは転音、
とある(仝上)。「醸す」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464017690.html)の古語は、
か(醸)む,
であり(岩波古語辞典)、酒は、
もと,米などを噛んで作ったことから、
であり(大言海)、「カム(醸)」は,
口で噛むという古代醸造法、
だからである(日本語源広辞典)。だから、
口噛みは女性の仕事で、殊に神に供える神酒は、若い生娘が噛んだものでなければならなかった、
が(https://wajikan.com/note/sakezukuri/)、その娘たちを束ねていたのが「刀自」だから、
酒造りの責任者、
の「杜氏」につながる(仝上)、とするものである。確かに、「刀自」は、
さまざまなレベルの人間集団を統率する女性が原義か、
とされる(日本大百科全書)ように、
族刀自的なものから家刀自へと推移するが、古代には里刀自や寺刀自もいて、後世のような主婦的存在に限られない、
含意ではある(仝上)。また、『大隅国風土記』逸文(713年(和銅6年)以降)に、
大隅国(今の鹿児島県東部)では村中の男女が水と米を用意して生米を噛んでは容器に吐き戻し、一晩以上の時間をおいて酒の香りがし始めたら全員で飲む風習があり、「口嚼(くちかみ)ノ酒」と称していたという、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2)、
口噛み酒は唾液中の澱粉分解酵素であるアミラーゼ、ジアスターゼを利用し、空気中の野生酵母で発酵させる原始的な醸造法であり、東アジアから南太平洋、中南米にも分布している、
という(仝上)ことで、
現在のところ最有力説、
とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E6%B0%8F)、
杜氏は元々、刀自(とじ)という文字が宛がわれていた。刀自とは、日本古語では戸主(とぬし)といい、家事一般をとりしきる主婦のことを指し、働く男を指したという刀禰(とね)の対語にあたる。東南アジア各地には、煮た穀物を口で唾液と共に噛みつぶし、空気中から野生酵母を取り込んで発酵させて酒を造る、いわゆる口噛みの酒という原始的な醸造法が広く存在した。……こうした製法の時代に、酒造りは女性の仕事であったと考えられている。やがて朝廷の造酒司(みきのつかさ)において酒が造られていた飛鳥時代以降にも、酒部にはまだ女性も含まれていたが、時代を下るにつれ酒造りは次第に男性の仕事になっていった。それでも職名には「とじ」の音だけが受け継がれたとする、
ということになる(仝上)。しかし、「杜氏」が「刀自」からきているとするには、
口噛み酒→女性が口噛み→それを束ねる刀自→杜氏、
と、口噛みの女性を束ねるだけで、「刀自」と酒造りとつなげるのは、少し無理がありはしまいか。「杜氏」は、確かに、
酒造家の酒を醸造為る長(おさ)、
の意もあるが、広く、
酒造りの職人、
をも指す。むしろ、酒との直接のつながりを示すのは、
杜康説、
である(日本語源広辞典・俚言集覧・閑窓瑣談)。
魏武帝、短歌行「對酒當歌、人生幾何、譬如朝露、去日苦多、慨當以慷、憂思難忘、何以解憂、只有杜康、
とあり、「杜康(とこう)」は、
古、酒を造りし人、転じて酒の異名、
である(字源)。文明九年(1477)の史記抄に、
さかとうじとありて古き語なり、和邇雅(元禄)に杜氏とあり(人倫訓蒙圖彙、幷に合類節用集)、又、支那三代の周の世に杜康と云ふ者、酒を造りたりとて、支那にては、酒の事を杜康と云へり、杜氏の字は、杜康より考へたるものと見ゆ。杜氏を延べてトウジの意か、又は、ウジの仮名遣は氏の訓か、
とあり(大言海)、
東寺に伝わる『東寺執行日記』にもこれを裏づけるように読める記述がある、
ともある(http://www28.tok2.com/home/okugawa/kodawarinihonsyu/nihonsyu/s-chisiki/2.htm)。
確かに、最もあり得ると思うが、大言海は、一蹴する。職人たちが、
杜康の事を知りて、互いに杜氏など呼びあぐる理なし、
と。しかし、「杜氏」という職掌が生じるのは、
江戸期以降、産業としての酒作りが高度化、複雑化し、日本酒造りが寒造りになってからは一時期に集中するようになり、季節労働力の組織化が起こった。各地の酒蔵が冬場の働き口として次第に定着していき酒造りの最高責任者としての杜氏が一層重要になり、蔵で働く人々を組織化していった、
というところに起因(仝上)する、新しい言葉ではないのか。
(伊丹での酒づくり(『日本山海名産図絵』)https://edo-g.com/blog/2017/05/sake.html/sake7_lより)
酒造りの初出は、『日本書紀』崇神紀に、
高橋邑(たかはしのむら)の人(ひと)活日(いくひ)を以て、大神(おほみわ)の掌酒(さかびと)(掌酒 此をば佐介弭苔(さかびと)と云ふ)とす、
で(http://hjueda.on.coocan.jp/koten/shoki14.htm)、「杜氏」の言葉は使われない。その後、
朝廷による酒造りが営まれるようになり、飛鳥時代には朝廷に造酒司(みきのつかさ)という部署が設けられ、酒部(さかべ)と呼ばれる専門職が酒造りを担当していた、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E6%B0%8F)、
《令義解(りようのぎげ)》によれば大和,河内,摂津の3国出身の60人の酒部(さかべ)が造酒司で酒造に従事し,彼らは調(ちよう),雑徭(ぞうよう)を免ぜられている、
とある(世界大百科事典)。やがて主流は寺院に移り、
醸造についての専門知識を備えた僧たちが僧坊酒を造るようになった。この僧たちは造酒司の酒部とは異なり、菩提酛に代表されるようなそれぞれの寺院の味や造り方を分化させていった、
が(仝上)、ここにも「杜氏」は存在しない。やがて、酒部の子孫を自称する人々などが、民間で酒を造り始め、
酒師(さかし)、
といい、また酒を造り販売した店を造り酒屋(あるいは「酒屋」)という、とある。現在では完全に杜氏集団のなかの仕事である麹造りについても、
まだ酒造りの職人集団の仕事ではなく、造り酒屋の仕事ですらなかった。なぜなら、それは麹屋という、麹造りを生業とする別の業界の店へ外部発注に出していたからである、
とある。これが完全に組織化される必要が生まれるのは、慶長5年(1600)、
鴻池善右衛門による大量仕込み樽の技法、
の開発、さらに、幕藩体制が敷かれ、
各地方において農民と領主の関係が固定したこと、
で、
概して土地が乏しく夏場の耕作だけでは貧しかった地方の農民が、農閑期である冬に年間副収入を得るべく、配下に村の若者などを従えて、良い水が取れ酒造りを行なっている地域、いわゆる酒どころへ集団出稼ぎに行ったのが始まりである、
と、これが現在の「杜氏」「蔵人」が制度化した理由とある(仝上)。
とすると、「杜氏」という言葉は、比較的新しいのではないか。人倫訓蒙図彙(1690)に、
酒屋〈略〉酒造る男を杜氏(トウジ)漉弱(ろくしゃく)といふなり、
とある(精選版日本国語大辞典)。とすれば、その集団に、
杜氏(とし)、
と名づけることはあり得る。室町時代の「史記抄」などに、
さかとうし、
の表記があるので、
杜氏(とし)→とうし→とうじ、
といった転訛かと推測する。もちろん憶説だが。
因みに、「氏」(漢音シ、呉音ジ・シ)は、
象形、氏はもと、先の鋭いさじを描いたもので、匙(シ)と同系。ただし古くより伝逓の逓(テイ つき次と伝わる)に当て、代々と伝わっていく血統を表す、
とあるが(漢字源)、
平たい小刀や匙を表す。ここから同じ食事を分かつ一族の意が生じた、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%8F)のが、「匙」の意味がよくわかる。
(甲骨文字(殷)「氏」 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%8Fより)
本来は、
中国で、同じ女性先祖から出たと信じられた古代の部族集団(姓)のうち、住地・職業、または兄弟の序列などによって分かれた小集団のこと、またその小集団の名につける、
とある(漢字源)。しかし、姓と氏が混同され、
すべての家の血統を表す名の下につける、
となる。日本の場合、「氏(ウヂ)」も、
同じ血族の集団を示す名、
として(広辞苑)、
蘇我氏、物部氏、大伴氏等々、
氏神をまつり、氏人を率いて、姓(かばね)を定められて天皇氏の政治に参加した、
が(岩波古語辞典)、後には、
単に人命に添えて敬意を示す語、
となった。この「杜氏」の「氏」もそれと考えていい。
「杜氏」の語源説には、他に、
社司説 神社でお神酒(みき)を造る人という原義から由来するとする説。時代の推移のなかで、「社」は「杜」、「司」は「氏」へ変換されたとされる。
頭司説 酒造りチームの一党を率いるリーダーという意味の「頭司」(とうじ)が起源だとする説。現在でも「杜氏」を「頭司」と書く酒蔵もある。
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E6%B0%8F)。大言海は、物類称呼の挙げる、
藤次郎と云ふ者、善く酒を造りたるより始まる名なり、
という説を採る。是非の判断はつかない。
なお「杜氏」の「とうじ」の表記については、
歴史的かなづかいは「さかとうじ(酒杜氏)」の項に引用の「史記抄」など室町時代の文献に「さかとうし」の表記がみえ、当時まだ「とう・たう」「じ・ぢ」の区別はあったと考えられるところから「とうじ」とする説に従う、
とあり、「とうじ」であったと推測される(精選版日本国語大辞典)。とすると、「氏」は、
うぢ、
とある(岩波古語辞典)ので、「トウヂ」と読ませたのではなさそうである。
また、「杜氏」については、http://www28.tok2.com/home/okugawa/kodawarinihonsyu/nihonsyu/s-chisiki/2.htmに、詳しい。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:杜氏