「あざむく」は、
欺く、
と当てる(広辞苑)。
布施(ふせ)置きて吾は祈(こ)ひ祷(の)むあざむかず直に率(ゐ)ゆきて天路(あまぢ)知らしめ(万葉集)、
と、
だます、まどわす、
意と、
法師を見れども尊む心なし、若し教へすすむる人あれば、かへつてこれをあざむく(発心集)、
と、
あざける、そしる、
意と、
源氏どもにあざむかれて候はんは、誠に一門の恥辱でも候ふべし(平家物語)、
と、
あなどる、ばかにする、
意とがあり、他に、
近くさぶらひ遠く聞く人、月にあざけり風にあざむくことたえず(後拾遺序)、
と、
(自動詞として)興に乗じて歌などを口ずさむ、
意があり、
雪を欺く御顔をもたげさせ給ひ、
昼を欺くばかりの明るさ(共に「のせ猿草子」)、
と、
……を欺く、
の形で、
……と間違える、……にひけをとらぬ、
の意でも使う(広辞苑)。
これを見ると、
だます、
意と、
あなどる、
意と、
あざける、
意とがまじりあっている。
あなどる、
と
あざける、
をほぼ同義の範囲とすると、
だます、
意と、
あなどる(あざける)、
意とに分かれる気がする。どうやらこれは語源と関わる。岩波古語辞典は、
アザはアザ(痣)・アザヤカ・アザケルのアザと同根。人の気持ちにかまわずどぎつく現れるものの意。ムクはブク(吹)の転。吹くは、自分の気持のままに、口から出まかせを言う意、
とある。このため、
近くさぶらひ遠く聞く人、月にあざけり風にあざむくことたえず(後拾遺序)、
は、自分の気持ちのままに歌など口ずさむ、
の意にスライドしたと見ることができる。
アザケルやアザワラフのアザと、向くとの複合語(時代別国語大辞典-上代編)、
もほぼ同趣旨である(日本語源大辞典)。このアザは、
あざやか、
に当てる、
鮮、
ではなく、
痣、
である。「あざ(痣)」は、あばた、ほくろ、瘤なども含めており、和名抄には、
痣、師説阿佐(あざ)、
とあり、
瘤、アザ、肉起、
とある(文明本節用集)。
アザアザ・アザワラフ・アザケル・アザムク・アザヤカと同根、
とある(岩波古語辞典)。「あざあざ」は、
鮮々、
と当て、
はっきりしたさま、
である。「あざむく」とは意味が離れてしまう気がするが、「痣」と「あざやか」とは通じなくもない。
いま一つの説は、大言海の、
浅む、
を活用せしめた語、
というものである。
摘むが紡ぐとなる(酒水(さかみづ)く、鬘(かづら)く、枕(ま)く)、あさましく仕向くる意にもあらむか、
とする(大言海)。「浅む」は、
驚む、
とも当て、
あさみ笑ひ、嘲るものどもあり(更級日記)、
と、
人の行動を浅い、情けないと見下げる、軽蔑する、馬鹿にする、
意とともに、
人々見ののしり、あさね、さわぎあひたり(古本説話)
と、
余りの出来事にきれる、びっくりする、
意がある(岩波古語辞典・明解古語辞典)。これは、
浅(アサ)を活用して、アザムと云ふなり、あきれかえるに因りて濁る(淡(あは)む、あばむと云ふと同趣なり)、此語の未然形のアサマを形容詞に活用させて、アサマシと云ふ(勇む、いさまし。傷む、いたまし)。即ちあさましく思ふなり、あざ笑ふなり、
とあり(大言海)、この「あさ」は、
浅、
を当てる。
アサ(浅)の語根と、ムク(向)の複合語(俚言集覧)、
アサムカフ(浅向)の義(名言通)、
も同趣旨である(日本語源大辞典)。いま一つの説は、
アザ(交)ム+ク、つまり真偽をまぜあわせてだます、
と、「あさ」を、
交、
と当てる説である。この「あさ」は、
アザナフ・アザナハリ・アザハリ・アザヘなどのアザ、
で、
あぜ(校)の古形。棒状・線状のものが組み合う意、
である(岩波古語辞典)。しかし、この解釈は、
あざむく、
の「だます」意から逆算したような解釈ではあるまいか。
普通に考えると、
浅む、
から来たと考えたいが、しかし、「あさむ」は、
対象とする事物の属性や事態に処する自分の認識を「浅いとみなす」が原義か、
とあり(日本語源大辞典)、そこから180度意味を変えて、
人の行動を浅い、情けないと見下げる、軽蔑する、馬鹿にする、
意に転じるところまではよしとしても、「あざむく」の、
相手にあれこれと誘い掛け自分の思い通りにさせる、
相手に本当のことだと思わせる、
という(仝上)、
単なる自分の認識の意から働きかける意へ、
という飛躍があり、乖離がありすぎる。しかも「あさむ」は、
上代には適例がなく、「あざける」などからの類推で、江戸時代以降「あざむ」と言われた。しかし「あざむ」は、中世以前には確認できない、
とある(仝上)。つまり、
あさむ→あざむ→あざむく、
と転訛したとするには、万葉集にすでにみられる「あざむく」の由来の説明にはならない、ということなのである。
そこで、改めて、「あざむく」の「あざ」と同根とされる「あざける」をみると、
好き勝手な言葉を口にする、あたりかまわず勝手な口をきく、
ことばに出して射手をばかにする、相手を見下して物を言う、
の意だが、「観智院本名義抄」の「嗤・謾・欺」等々には、
あざける、
あざむく、
の二訓が含まれ、「色葉字類抄」には、「嘲・詐・謾・欺」等々も、二訓とある(日本語源大辞典)。前述の後拾遺の序文、
近くさぶらひ遠く聞く人、月にあざけり風にあざむくことたえず、
では、八代集抄本では、
風にあざむく、
となっており、
あざむく、
と
あざける、
が同義に解されていた(仝上)、とある。となると、「あざむく」の、
見下す気持ち、
と、「あざける」の、
言葉に出して物を言う、
の意味が、「あざむく」で重なることはある。さらに、「あざける」には、
加持を参るに……侍女忽ちに狂ひて哭(な)きあざける。侍女に神つきて走り叫ぶ(今昔)、
というように、
好き勝手な言葉を口にする、
あたりかまわず、勝手な口をきく、
という意味があり、どうやら、「あざむく」の「あざ」は、
痣、
由来であり、
あざやか、
あざける、
あざわらふ、
に共通する「あざ」のようである。「あざむく」は万葉集の時代から使われる言葉だか、「あざける」とどこかの時点で意味が重なったようである。
(「欺」説文(漢) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AC%BAより)
「あざむく」に当てられた「欺」(漢音キ、呉音コ、慣用ギ)は、
会意兼形声。其(キ)は、四角い箕(ミ)を描いた象形文字。旗(四角い旗)や棋(キ 四角い碁盤)などに含まれて、四角くかどばった意を含む。欺は「欠(人が身体をかがめる)+音符其」で、角ばった顔をみせて、相手をへこませること、
とあり(漢字源)、「表面だけしかつめらしく見せておいて、実はごまかす」意である。他に、
形声文字です(其+欠)。「農具:(み)」の象形(「農具:箕・方形をして整っている」の意味だが、ここでは「期(キ)」に通じ(同じ読みを持つ「期」と同じ意味を持つようになって)、「まつ(末)」の意味)と「人が口を開けている」象形から、期待したものが、最終的に得られなくて、あいた口がふさがらない事を意味し、そこから、「あざむく」を意味する「欺」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1524.html)。
(「欺」成り立ち https://okjiten.jp/kanji1524.htmlより)
似た意味の漢字の使い分けは、
「欺」は、あなどりてだます義、大学「誠意者、毋自欺也」、
「瞞」は、ぱっとしたことを云ひてだます義、「謾」と同じ、
「誑」は、たぶらかすとも訓み、だまして迷わす義、
とある(字源)。「あざむく」に、「欺」の字を当てたのは、的確である。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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