2021年05月04日

中国を定む


佐藤信弥『戦争の中国古代史』読む。

戦争の中国古代史.jpg


「中国古代史は、様々な勢力間の戦争を通じた『中国』形成史と見ることができる。」

と、著者は「まえがき」で述べる。本書は、

「甲骨文など同時代の文字資料に軍事に関する記録が現れはじめる殷代から漢王朝成立までの戦争を見ていくことで、この『中国』形成」

を見ていく、と。

『史記』五帝本紀のいう三皇五帝の神話時代である新石器時代から、本書は始まるが、それは、

黄河中・下流域、

である。戦争の痕跡とみられる、骨鏃の食い込んだ骨が発見されるのは、紀元前4300~2800年、さらに、紀元前3000~2500年頃の廟底溝第二期文化期から紀元前2500~1750年の中原龍山文化の間に、鏃(やじり)は、

「軽くて遠くまで飛ぶことを重視したものから、重くて深く突き刺さるものへ」

と、画期が現れる。龍山文化期の陶寺遺跡は、

尭の都、

とする説もあり、

城壁に囲まれた集落、

が出現する。青銅器の武器が現われてくるのは、

夏王朝の王都、

と推定されている二里頭(にりとう)遺跡(前1600~1300)からで、殷前期の二里岡(にりこう)文化(前1600~1300)に属する、

殷代初期の都城、

と目されている偃師(えんし)商城は、殷の湯王が二里頭文化を滅ぼした際の拠点と見なされている。夏と目される「二里頭王朝」から代わった殷の「二里岡文化」は、

青銅器文化で、その影響は、その勢力圏とされる、

漢中盆地、
江漢地区、
四川盆地、

に及んでいる。殷王朝の直轄地は、

王畿、

と呼ばれ、その外に、

方国(ほうこく)、

と総称される、殷にとっての外国がある。敵対する国もあれば服属する国もある。その方国の一つであった、

周、

が、

牧野(ぼくや)の戦い(前1000年代後半)、

で殷を破る。

西周(前1000年代後半~771)、

の成立である。詩経に、

牧野洋洋たり、
檀車(だんしゃ)煌煌たり、
駟騵(しげん)彭彭たり、

とある。駟騵(四頭立ての戦車)が勝敗を分けた。「中国」の初出は、二代武王の言葉を引いた三代成王の、

余其れ茲の中国に宅し、

という言葉に初めて登場する。ここでは狭い範囲で、殷の拠点のあった河南省北部の首都圏、つまり、

殷王朝の王畿、

を指す。西周の滅亡が紀元前771年、周が東遷するのが紀元前700年代半ば、770以降を東周というが、この前半が、

春秋時代、

後半が、

戦国時代、

である。これ以降、王朝と戎夷など外部勢力との闘いから、諸侯同士の内戦になっていく。所謂、

群雄割拠、

である。春秋時代は、

斉の桓公、
宋の襄公、
秦の穆公、
晉の文公、
楚の荘王、

等々の、

春秋の五覇、

戦国時代は、

韓・魏・趙・燕・斉・楚・秦、



戦国の七雄、

の時代である。春秋時代は、孫武の時代であり、戦国時代は戦国策、孫臏、孟子の時代である。春秋と戦国の違いは、

「春秋は覇者が周王の権威のもとで諸侯に対する指導権を握った時代だが、戦国になると、諸侯は周王の権威を無視して自ら王号を称するようになった」

とされる。そして、紀元前256年周が滅ぶ。七雄中最強となった秦は、

「赧王(たんおう)の死によって周王朝が断絶した際に、秦の昭襄王は周よりその権威の象徴とも言うべき九鼎を接収し」

単独で秦に立ち向かえる国がなくなり、秦王政は、紀元前230年に、

「韓を攻めて王を捕らえたのを皮切りに、趙、魏、楚、燕、斉と次々に攻め滅ぼしていく」

この前230年、秦王政の十七年が、秦による、

統一戦争、

のはじまり、とみなされる。所謂コミックの『キングダム』の世界である。

『史記』が、

「十余年にして蒙恬死し、諸侯、秦に畔(そむ)き、中国擾乱す」

とする、秦三代目の混乱の中、

王侯将相寧(いず)くんぞ種有らんや、

という陳勝の言葉通り、庶民の劉邦が、下剋上を制した、

統一帝国、

を指して、

中国、

と呼び、

「是の時漢初めて中国を定む」

と、

秦・漢統一帝国の領域、

を指して「中国」と呼んだ。西周の時代、殷王朝の王畿をさした「中国」が八百年経て、膨張した広大な領域を指すに至っている。著者は、

「様々な勢力間による戦争を通じて『中国』が膨張していき、最終的に『草原帝国』を統一した匈奴との戦いを通じてその範囲が定まって」

いったとする。その象徴は、

万里の長城、

である。それまでは、戦国の各国が敵対勢力の侵攻を阻むために築いていたものだが、秦は趙・燕の築いていた長城を利用して、胡への対処として築かれていった。それは「中国」の外を意識したものである。

漢は、

「草原帝国」との戦いを経て「中国」の形を形成していった。(中略)現代中国に「敵国」があるとすれば、それは一体どういう存在なのだろうか? 中国は何を求めて戦っているのだろうか?」

という掉尾のまとめは、今日の膨張中国への、なかなかな皮肉である。

参考文献;
佐藤信弥『戦争の中国古代史』(講談社現代新書)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:42| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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