「庖丁」は、
包丁、
とも当てるが、「庖」と「包」は別字である。日本では、「包」の字を、
「庖」と「繃」の代用字として使う、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%85)ので、
庖丁→包丁、
繃帯→包帯、
という使い方はわが国だけである。
(「包」 簡牘(かんとく)文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%85より)
「つつむ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/467683799.html?1562266983)で触れたように、「包」(漢音ホウ、呉音ヒョウ)の字は、
象形。からだのできかけた胎児(巳)を、子宮膜の中につつんで身ごもるさまを描いたもの。胞(子宮でつつんだ胎児)の原字、
とあり(漢字源)、また、
会意兼形声文字です(己(巳)+勹)。「人が腕を伸ばしてかかえ込んでいる」象形と「胎児」の象形から、「つつむ」を意味する「包」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji672.html)が、「抱」(つつみかかえる)、「泡」(空気をつつんだあわ)、「苞」(つぼみをつつみこむ)と同系ともあり(漢字源)、「つつむ」という意味である。
「庖」(漢音ホウ、呉音ビョウ)は、
会意兼形声。包(ホウ)は、外から包む意を含む。庖は「广(いえ)+音符包」で、食物を包んで保存する場所の意、
とあり(仝上)、「台所」の意であり、「厨」と同義である。
庖厨(ホウチュウ 台所)、
庖屋(ホウヤ 台所)
庖人(ホウジン 料理人 庖人は周代の料理(膳羞)のことを掌る官名、転じて料理人)、
と使う(字源)。「庖丁」は、『荘子』に、
庖丁為文惠君解牛、
とあり(仝上)、その牛の捌き方が見事だったので、コツを尋ねた粱の惠王に、彼は「刀を釈(すて)て」そのコツを語ったとある(たべもの語源辞典)。「庖丁」の「丁」(漢音テイ・トウ、呉音チョウ)は、
象形。甲骨・金文は特定の点。またはその一点にうちこむ釘の頭を描いたもの。篆文はT型に書き、平面上の一点に直角に釘を当てたさま。丁は釘の原字、
とある(漢字源)。この「くぎ」の意から派生する会意兼形声文字に、「打」(釘を打ち付けるように、直角に強い力を加える)、「頂」(頭のてっぺんの部分)。「(釘付けられ)じっと留まる」の意を有する会意兼形声文字として、「亭」(地上にじっと建つ建物)、「停」(じっと留まる)、等々がある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%81)。
(「丁」 甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%81より)
(「丁」 戦国時代・簡帛文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%81より)
「丁」は、
壮丁、
成丁、
園丁、
等々と使い、壮年の男の意である。齢盛りの男を、
丁男、
壮丁(そうてい)、
といい、
丁女、
は、二、三十歳の女性を指す(たべもの語源辞典)。だから、「庖丁」は、
料理人、
の意であり、
庖人(ほうじん)、
ともいうが、古代の漢語における「丁」は、
担税を課することに由来して「召使としての成年男性(古代中国の律令制で成年男性に該当するのは、数え年で21歳から60歳までの男性)」を意味し、「園丁」や「馬丁」という熟語があるように「その職場で働く成年の召使男性」の意味合いで用いられていた。したがって、「庖」と「丁」の合成語である「庖丁」は「台所で働く成年の召使男性」を指す、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E4%B8%81)ので、単なる料理人ではない。しかし、わが国で、料理人の意で、
庖丁者(じゃ)、
とか、
庖丁人(じん)、
とか
庖丁師、
などと使う(たべもの語源辞典・岩波古語辞典)のは、「庖丁」の原意から考えると重複している。
奈良時代から平安時代初期にかけての日本では、刃物はひとくくりに、
かたな、
と呼ばれていた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E4%B8%81)とある。この場合の「かたな」は、「かたな」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/450320366.html?1549439317)で触れたように、
ナは刃の古語。片方の刃の意(広辞苑)、
片之刃の約か(水泡(みのあわ)、みなわ、呉藍(くれのアゐ)、くれなゐ)、沖縄にて、カタファと云ふ。片刃なり。西班牙語にも、刀をカタナと云ふとぞ(大言海)、
と、「諸刃(もろは)」の対の片刃だったと考えられる(日本語源広辞典)。
そして、「庖(台所、厨房)」で働く専門の職人を、
庖丁者(ほうちょうじゃ)、
または
庖丁人(ほうちょうにん)、
と呼ぶようになったのは、平安時代末期ごろ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E4%B8%81)と考えられている。庖丁者・庖丁人が用いる刀を「庖丁刀ほうちょうがたな)」と呼ぶようになったのもこの時期で、『今昔物語集』に、
「喬なる遣戸に庖丁刀の被指たりけるを見付て」、
とあり、略語の「庖丁」も、同じ『今昔物語集』に見られる(世界大百科事典)、とある。
わが国の「庖丁」の語義も、もともと、
料理人、
であるが(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)、今日、ほぼ、
庖刀、
の意で使う(大言海)。これは、
庖丁刀の略、
とされる。そのためか、
「庖丁」は、その換喩として、
料理、割烹、
の意でも使われる。和名抄に、
庖、斷理魚鳥者、謂之庖丁、俗云抱長、
とある。江戸時代にも、料理上手を、
庖丁が利く、
という言い回しをした(江戸語大辞典)。
庖丁→包丁、
と字を当て換えられたのは、「庖」が、常用漢字でも人名用漢字でもないためで、戦後になってからのことである。なお、現代中国語では「庖丁」という語は、
日本の庖丁を指す語以外の、旧来の意味では死語になっており、「菜刀」または「廚刀(簡体字:厨刀)」と呼ばれている、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E4%B8%81)。
ところで、「庖丁」は、『枕草子』に、
「園(そのの)別当入道は、さらなき庖丁者なり」
とあるが、これは、
料理人、
の意ではなく、
庖丁式、
という「庖丁儀式」を指している。
お客を招待したとき、これから、こんな材料で料理を差し上げますといった意味で、客の前に大きな俎板を出して、そこに魚とか鳥などをおき、真魚箸(まなばし)と庖丁刀を使って切って見せた、
という(たべもの語源辞典)、一種のデモンストレーションである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95