「しゃべる」は、
喋る、
と当てる。
話す、
言う、
の意だが、特に、
口数多くぺらぺらと話す、
意とあり(広辞苑・デジタル大辞泉)、
騒々しく話しまくる、
ともある(岩波古語辞典)。室町末期の『日葡辞書』では、
他人にもらす、
意も載る(広辞苑)。
ことばを発する意の日本語には、
言う、
云う、
謂う、
曰う、
道う、
等々と当てる
いふ、
がある。「いふ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/472014795.html)は、
必ずしも伝達を目的とはせず言葉や音声を発する表出作用をいう(広辞苑)、
とか、
「言う」は「独り言を言う」「言うに言われない」のように、相手の有無にかかわらず言葉を口にする意で用いるほかに、「日本という国」「こういうようにやればうまく行くというわけだ」など引用的表現にまで及ぶ(デジタル大辞泉)、
等々と幅広く使われるが、
「話す」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448588987.html?1490905148)は、
放す(心の中を放出する)、
意で(大言海・日本語源広辞典)、「言う」と「話す」の違いは、
「言うは単にことばを発することであり、内容は「あっと言った」のように非常に単純なこともあり、「言い募る」といえることからもわかるように、一方的な行動のこともある。それに反し「話す」のほうは、相手が傾聴し、理解してくれることが前提となっている(日本大百科全書)、
とある。
「語る」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448623452.html)は、
「タカ(型、形、順序づけ)+る」で、順序づけて話す(大言海)、
とか、
「コト(物事・事象)+る」で、世間話をする、物事を話す、
の二説あるが、
事件の成り行きを始めから終わりまで順序立てて話す意(岩波古語辞典)、
である。
「述ぶ」は、「話す」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448588987.html?1490905148)で触れたように、
伸ぶ、
延ぶ、
とも当てるので、
ノブ(延・伸)、
が語源で、ひっきりなしに続く、また横に長くのばし広げる意で、
長く話す、
意となる。
「つ(告)ぐ(仝上)」(仝上)も、「話す」で触れたように、
継ぐ・接ぐと同根、
で、
人に言を継ぎ述べる意(大言海)であるが、
ツグ(告)は、中に人を置いて言う語(岩波古語辞典)、
である。
「のり(宣り・告り・罵り)」も、「話す」で触れたが、
神や天皇が、その神聖犯すべからざる意向を、人民に対して正式に表明するのが原義。転じて、容易に窺い知ることを許さない、みだりに口にすべきでない事柄(占いの結果や自分の名など)を、神や他人に対して明かし言う意。進んでは、相手に対して悪意を大声で言う意、
で(岩波古語辞典・日本語源大辞典)、
ノルの本質はノル(乗)。言葉という物を移して、人の心に乗せ負わせるというのが原義(続上代特殊仮名音義)、
という語源説は意味がある。
「もおす(まをす)」も、「話す」で触れたように、
「マヲス」が上代後期にマウスに変化した語です。麻袁須―麻乎須と表記され、申す、白す、啓す、が当てられ平安期には、「申す」が主流になった語です。語源は、「マヰ(参上)の古語マヲ+ス(言上す)」と思われます。現在でも、神社の宮司等の祝詞にマヲスが使われていますので、「参上してあらたまって言う」意が語源に近い(日本語源広辞典)、
神仏・天皇・父母などに内情・実情・自分の名などを打ち明け、自分の思うところを願い頼む意。低い位置にある者が高い位置にある者に物を言うことなので、後には「言ひ」「告げ」の謙譲表現となった。奈良時代末期以後マウシの形が現れ、平安時代にはもっぱらマウシが用いられた(岩波古語辞典)、
等々とあり、原義は、
支配者に向かって実情を打ち明ける意、
である(岩波古語辞典)。
こう見てくる(以上)と、「しゃべる」は、
話す、
か、
言う、
のいずれかと近い。ただ、「しゃべる」は、
しゃべくるの略、
とある(大言海)。「しゃべくる」は、
しゃべる、
と同義(広辞苑・大言海)とされるが、
若(わけ)へもんなみにしゃべくるからのことさ(文化七年(1810)「浮世風呂」)、
と、
しきりにしゃべる、
あれやこれやとしゃべる、
多弁である、
とあり(江戸語大辞典)、単に「しゃべる」意とは違う。「しゃべくる」は、
喧語(さへ)ぐ、喧噪(さはぐ)の遺、
とする説がある(大言海)。しかし、「さへぐ」は、岩波古語辞典には載らず、明解古語辞典に、
さへく、
として、
騒々しい声で物を言う、
聞き分けにくく物を言う、
の意味が載る。大言海には、
ことさへく、
の項で、「こと」は言、「さへく」は、
囀る、喧擾(さば)めくに通ず、ざわざわと物言う義にて、
「ことさへく」は、敏達紀に、
韓語(からさへづり)、
と訓ませ、
外国人の言語の、韓(カラ)、百済にかかるなり、
とする(大言海)。しかしこれなら、
ざへづる(囀る)、
なのではないか。『日本語の語源』は、
サヘヅル(囀る)は人間にも用いられた。〈(七八人の男が)さへづりつつ入り来れば(源氏)〉。「ヅ」を落としてシャベルになった、
とする。この当否は別として、少なくとも、
囀る、
とつながる気がするのは、「さえずる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/459963682.html)で触れたように、
「さえずる」は、
サヒヅルの転(広辞苑)
であり、「さひづり」は、
サヘヅリの古形(明解古語辞典)、
とあり、
サヘは、喧語(さへ)くの語根…、ツルは、あげつらふ(論)、引(ひこ)つらふのツラフと通づ…。佐比豆留とある比(ヒ)は、閇(へ)の音に用ゐたるなり(大言海)、
と、
サヘク、
へと戻る。これは、
鳥が騒がしく喋りまくっている、
という感につながり、
しゃべくるにつながる。「さえずる」は、
サヘは擬声語(時代別国語大辞典-上代編)、
擬音さへ+ク(動詞語尾)(日本語源広辞典)、
と、擬声語につながる。これは「さわぐ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/465482949.html)が、
奈良時代にはサワクと清音。サワは擬態語。クはそれを動詞化する接尾語(岩波古語辞典)、
と似ていなくもない。
確かに、「しゃべくる」は、
さえずる、
と感覚的に似ている気がしなくもない。
「喋」(漢音チョウ、呉音ジョウ)は、
会意兼形声。枼は、ぺらぺらした葉を描いた象形文字で薄い意を含む。喋はそれを音符として。口をそえた字で、薄い舌がぺらぺらと動くこと、
とあり(漢字源)、「ぺらぺらとしゃべる」意である。
(「喋」漢字の成り立ち https://okjiten.jp/kanji2398.htmlより)
なお、
「かたる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448623452.html)、
「いう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/472014795.html)、
「話す」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448588987.html?1490905148)、
は、それぞれ触れた。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95