「とどのつまり」は、
とどのつめ、
ともいう(岩波古語辞典)が、
結局、
つまるところ、
いきつくところ、
の意である(広辞苑・デジタル大辞泉)。
「とどのつまり」については、
「とどのつまり」の語源は、出世魚で知られているボラなのです。哺乳類として知られるトドではありません。ボラは成長していく過程で、以下のように成長していきます。
関東の場合:オボコ→イナッコ→スバシリ→イナボラ→トド
関西の場合:ハク→オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド
高知や東北でも、それぞれ呼び方が違います。高知や東北では「トド」とは呼びませんが、関東や関西ではもっとも大きく成長したボラのことを「トド」と呼んでいるのです、
と(https://macaro-ni.jp/44902)ということから、ボラは、
最終的に「トド」になり、それ以上は成長しません。そのことを由来とし、「とどのつまり」はこれ以上は大きくならない、これ以上は進まないなどの意味、
とする説(仝上)が、
出世魚で、おぼこ→いな→ぼら→とどの順です。「トドの詰まり」が語源(日本語源広辞典)、
ボラは成長するとともに名称が変わり、最後にトドという名になるところから(デジタル大辞泉)、
「これ以上大きくならない」ことから「結局」「行きつくところ」などを意味する「とどのつまり」の語源となった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%A9)、
等々多々ある。しかし、これは俗説らしい。
同義の「とど」「つまり」を重ねて意味を強めた語(岩波古語辞典)、
止(トド)の詰まりの義(大言海)、
とどむ・とどまるの語幹(江戸語大辞典)、
というのが正確である。「とど」は、
止、
と当て、
きわまり、
はて、
の意であり、ここから、
鯔の十分に成長したるものの称、
となった(大言海)、とみられる。「鯔の十分に成長したるもの」は、
古老の口碑(はなし)に鯔の長さ七八丈もありけり、所々に毛生じ魚狸(とど)になりかかれりとなり(文政十二年(1829)「浮世名所図会」)、
と、
俗に毛が生えるといった、
とある(江戸語大辞典)。
(魚尽くし ぼら 天保三年(1832) https://www.syokubunka.or.jp/gallery/nishikie/detail/post107.htmlより)
また「とど」は、
歌舞伎台本用語、
とされ、そこから、
そうしたところが、とどめは手めへの身のつまり(享和二年(1802)「婦足鬜」)、
と、
結局、
の意や、
是から生きた所が、よく生きて五年か三年が到頭(とど)だ(文化八年(1811)「人間万事虚誕計」)、
と、
限度、
の意や、
全体(てへ)土間も六人とどめでみるといいけれど(文化八年(1811)「客者評判記」)、
と、接尾語として、
~限り、
の意で使う(江戸語大辞典)。
とどの大詰、
とどの仕舞、
等々という言い方もあった(仝上)。だから、「とどのつまり」が、
トウドウ(到頭)の約(猫も杓子も=楳垣実・上方語源辞典=前田勇)、
というのはあり得るが、
魚のボラの最後の呼び名(ことばの事典=日置昌一・上方語源辞典=前田勇)、
は、先後が逆なのではないか、と思う。
「止」(シ)は、
象形。足の形を描いたもので、足がじっとひと所にとまることを示す。趾(シ あと)の原字、
とある(漢字源)。
(「止」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AD%A2より)
「止」は、
やめとどまる意、止者、必至是而不遷之謂と註す、
とある(字源)。
「鯔」については、「ぼら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/468373813.html)で、ボラの幼魚の鯔(イナ)については、「いなせ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/414618915.html)で、触れた。
参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95