2021年06月09日

惠方


「惠方」は、

吉方(えほう)、

の当て字とある(大言海)。別に、

兄方、

とも当てる(デジタル大辞泉)。古くは、

正月の神の来臨する方角、

とされた(広辞苑)が、後に、暦法が中国より伝わり、

その年の歳徳神(としとくじん)のいる方角、

とされるようになる。暦は、『日本書紀』に、欽明天皇十四年(553)、

百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来た、

との記事があり、遅くとも6世紀には中国暦が伝来していたと考えられる。この頃の百済で施行されていた暦法は元嘉暦であるので、このときに伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される、

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6・広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』)。「歳徳神」は、

とんどさん、

とも言うが、

恵方神、
正月様、
神徳、
歳神、

等々とも呼ぶ。

歳徳神.png

(歳徳神(『安部晴明簠簋内傳圖解』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B3%E5%BE%B3%E7%A5%9Eより)

恵方の方角にいる神、

で、

陰陽道(おんようどう)でその年の福徳をつかさどるとされる。年により恵方の方角は変わる。なお節分では、恵方の方角に向かって恵方巻を食べる習わしがある、

とある(実用日本語表現辞典・デジタル大辞泉)。江戸中期の『鹽尻』に、

歳徳の方、俗にゑ方と云、吉方とかく事、伊勢守の記、寛正六年八月、今出川殿夫人産の所に見えたり、吉をゑとよむ事、住吉をすみのゑと讀むに同じ、

とある(大言海)。「歳徳神」は、

(安倍晴明編纂の)簠簋内伝(ほきないでん)云、歳徳とは頗梨賽女(はりさいじょ)にして、八将神の母龍王の妻なりと、

とある(諸国図会年中行事大成)。「八将神(はっしょうじん)」とは、

陰陽道で、さまざまな吉凶の方位をつかさどるという八神、

太歳(たいさい)、
大将軍、
太陰(たいおん)、
歳刑(さいけい)、
歳破(さいは)、
歳殺(さいさつ)、
黄幡(おうばん)、
豹尾(ひょうび)、

を指し、方位の吉凶をつかさどる、とされる。江戸時代の儒者・中井竹山は、松平定信の諮問に応えて、

「八将軍など、いつの時よりいいだせることにや。暦法にかつて預かるものなし。多分道士の方の名目にてあらんか。一向無精の妄誕(ぼうたん)なり」

と一蹴している(内田正男『暦と日本人』)。

歳徳神の所在方位、すなわち来る方位を、

明きの方(かた)、

という。これが、

惠方、

であるが、その方角は、その年の干支で、次のように、

甲(きのゑ)と己(つちのと)の年は、甲の方の寅卯(東)の閒(東北東)、
乙(きのと)庚(かのえ)の年は、庚の方申酉(西)の閒(西南西)、
丙(ひのえ)戊(つちのえ)辛(かのと)癸(みずのと)の年は、丙の方巳午(南)の閒(南南東)、
丁(ひのと)壬(みずのえ)の年は、壬の方亥子(北)の閒(北北西)、

と決まる(大言海・内田・前掲書)。因みに、今年(2021)は、

辛丑(かのとうし)、

なので、惠方は、南南東ということになる。

惠方の方位.png


兄弟(えと)の兄方なるにより吉方など云ひ、又恵なる意に寄せて。惠方などとも書く、

とある(大言海)。これは干支(えと/かんし)を、

甲(こう) 木の兄(きのえ)、
乙(おつ) 木の弟(きのと)、
丙(へい) 火の兄(ひのえ)、
丁(てい) 火の弟(ひのと)、
戊(ぼ) 土の兄(つちのえ)、
己(き) 土の弟(つちのと)、
庚(こう) 金の兄(かのえ)、
辛(しん) 金の弟(かのと)、
壬(じん) 水の兄(みずのえ)、
癸(き) 水の弟(みずのと)、

と呼ぶ際の、

甲(きのえ)の方、
庚(かのえ)の方、
丙(ひのえ)の方、
壬(みずのえ)の方、

と兄の方の意を指す(内田・前掲書)。因みに、この干支と十二支、

子(シ) ね 北 23~1時、
丑(チュウ) うし 1~3時、
寅(イン) とら 3~5時、
卯(ボウ) う 東 5~7時、
辰(シン) たつ 7~9時、
巳(シ) み 9~11時、
午(ゴ) うま 南 11~13時、
未(ビ) ひつじ 13~15時、
申(シン) さる 15~17時、
酉(ユウ) とり 西 17~19時、
戌(ジュウ) いぬ 19~21時、
亥(ガイ) い 21~23時、

を順次結びつけ、

甲子(きのえね)、

乙丑(きのとうし)、

から、

壬戌(みずのえいぬ)

癸亥(みずのとい)、

まで、六十の組み合わせができる(干支一循60年を一元という)。

ところで、「恵方巻」を食べる「節分」は、

各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日、

を指すが、

江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日、

を指す場合が多いhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%88%86とある。天文学的にいうと、

太陽がその軌道上で南半球から北半球に入る時で、その時刻は東京天文台で計算される、

が、

二十四節気の時刻は四年ごとにほぼ近い値をとる。くわしく言えば四年前より45分くらい早くなるだけである。したがって四年前の時刻から45分引いた値が、夜半の0時、つまり日の境界近くにならない限り月日は簡単に決まる、

とある((内田・前掲書)。)

参考文献;
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:14| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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