「弦月(げんげつ)」は、
弓張月、
略して、
弓張、
とも言う。漢語である。後漢末の『釋名(くみょう)』に、
弦、半月之名也、其形一旁曲、一旁直、若張弓施弦也、
とある(字源・大言海)ように、
半月、
であり、
上弦の月、
と
下弦の月、
とがある。
「ついたち」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/481987745.html?1623608969)で触れたように、「ついたち」は、漢語でいうと、
朔日(さくじつ)、
である。太陽太陰暦、つまり旧暦での、
毎月の初日(第一日)、
を指す。この「朔」の字を、
ついたち、
と訓ませた(広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』・字源)。
朔(サク)、
というと、
月が太陽と同方向になった瞬間、
のことであるが、この「朔」の発生した日が、
朔日、
になる。この時の天にある月を「新月」という。但しこの日には、月は太陽と同方向にあるので、実際には月は見えない。「ついたち」の語源である「つきたち(月立ち)」は月の旅立ちの意味である。それは、
この日から月が毎日、天上を移り動く旅が始まり、第三日ぐらいには、夕方西空に低く、細い、いわゆる三日月が見え、一日、一日と日が経つに従って、月は満ち太りながら、夕方見える天上の位置は、東へ東へと移っていく。そこで毎日の月の入りの時刻はおそくなる。第七日か第八日になると、夕方の月は真南に見え、その時の月の形は、右側が光った半月で、これを「上弦の月」といい、この日を「上弦の日」または略して、単に「上弦」という。
上弦から七日か八日経つと満月の日となって、夕方に東からまんまるな「満月」が登ってきて、終夜月を見ることができる。月が西に沈むのは日の出の頃である。満月は毎月の第十五日ごろである。
満月を過ぎると、月の出は段々おそくなり、夕方にはたいてい月は見えない。その代わり、日の出の頃にまだ西の空に月が残っているのが見える。残月であり、この時の月は右側が欠けた形になっている。
第二十二、三日頃には、日出の頃の月は真南に見え、右半分が欠けた半月である。これを「下弦の月」といい、この日が「下弦」である。
それより以後、月はますます日出の太陽に近づき、第二十九日か第三十日には、月は太陽に近づきすぎるので、その姿は見えない。この日が「晦日」である、
という経緯を辿る(広瀬・前掲書)。要するに、
朔(新月)より望(満月)に至る閒なるを、上(かみ)の弓張(上弦)と云ふ、陰暦、七、八、九日の頃なり。望より晦に至る閒なるを、下(しも)の弓張(下弦)と云ふ、二十二、三、四の頃なり、
となる(大言海)。これらの「上」「下」は、月相における順序が先・後であることを意味し、1か月を3旬に分けたときの上旬・(中旬)・下旬と同様の用法である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%9C%88)。
(月の満ち欠けの図 内田正男『暦と日本人』より)
新月から次の新月までの1朔望月(約1ヶ月間)の中で、
最初に半月となる1つ目(太陽-地球-月とで成す角度が90度)を上弦の月(じょうげんのつき)、上弦月(じょうげんげつ)または単に上弦(じょうげん)と表現し、次に半月となる2つ目(太陽-地球-月とで成す角度が270度)を下弦の月(かげんのつき)、下弦月(かげんげつ)、または単に下弦(かげん)と表現する、
ということになる(仝上・広瀬・前掲書)。
「弓張月」の名は、
上弦・下弦ともにいう、
とされる(広辞苑・和訓栞・岩波古語辞典)が、
『大和物語』にある凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の、
てる月を弓はりとしもいふ事は 山べをさしてい(入、射)ればなりけり、
という醍醐帝への答申歌によると、弓張月というものは、山辺を指して没していくようすが、弓に矢をつがえて、山辺を指して射るようにみえるものだとしていることになる、
とある(広瀬・前掲書)。なぜなら、
上弦の月は夜半頃に西山に没するが、下弦の月が西山にかかるのは正午頃である、
からである(仝上)。確かに、弓張り月は、
上弦と下弦の両方の月を指す言葉かもしれないが、このことばで思い浮かべるのは、夕方見える上弦の月と解さざるを得ない、
という説明(仝上)は、説得力がある。
至日(しじつ)といえば夏至の日、冬至の日を共に指し得るが、実際の用例は冬至の日であるのと同趣である、
と(仝上)。
(西山を指して入(射)る上弦の月(上)と西山に入る下弦の月(下) 広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』より)
現実に、
同じ月相の月でも、昇った直後と沈む直前とでは上下がほぼ逆になる。ただし、深夜と早朝を除く通常の生活時間帯に見える月の形は、上弦の月(18〜24時)の弦は上にあり、下弦の月(6〜12時)の弦は下にある、
のである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%9C%88)。
さて、「弦」(漢音ケン、呉音ゲン)は、
会意兼形声。玄は、一線の上に細い糸の端がのぞいた姿で、糸のほそいこと。弦は「弓+音符玄」で、弓の細い糸。のち楽器につけた細い糸は絃とも書いた、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(弓+玄)。「弓」の象形と「両端が引っ張られた糸」の象形から、「弓づる」を意味する「弦」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1648.html)。
(「弦」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1648.htmlより)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95