2021年07月13日
風祭
「風祭(かざまつり)」は、
稲作に被害が生じないよう風神に祈る風鎮めの祭り、
とある。立春から数えて210日目の「二百十日」と、220日目の「二百二十日」。昔から強い風が吹くまたは天気が荒れる日とされ、(稲の花が咲き身をつけるころである)8月1日の八朔も含めて三大厄日とされている(https://weathernews.jp/s/topics/201807/310145/)という。
二十四節気の「処暑」(八月二十三日から九月六日頃)のうち、七十二候「禾乃登」(こくものすなわちみのる)の頃(九月二日から六日頃)が、稲が実り、穂を垂らす頃なので、この日を中心にして風の害を防ぐための風鎮めが広く行われた。古く、万葉集にも、
山嵐の風な吹きそ打越へて名に負へる杜(=龍田神社)に風祭せな、
と詠われる。
風の神祭、
とも、また神社やお堂にお籠りする、
風日(かざひ)待ち、
風籠り、
等々とも言う(風と雲のことば辞典)が、
富山で行われる、
おわら風の盆、
(上記歌の「杜」である)奈良県龍田大社で行われる、
風鎮大祭、
長野県の、
とうせんぼう祭り、
長野県諏訪神社の、
薙鎌を立てての風祭、
熊本県阿蘇神社の、
風鎮祭、
等々も「風祭」である(仝上)。
風三斗、
という諺があり、
お風が吹くと稲の収穫が一反歩当たり、三斗も減る、
といったり、
ひと吹き百万石、
といい、
台風が一度上陸すると、稲が強風や冠水に見舞われて、百万石減産となる、
といわれる。出穂直後の柔らかい稲穂は特に強風に弱いのだという(風と雲のことば辞典)。
上総國望陀郡大谷村では、
風除(よ)け、
といい、風除けを行う日は特に決まっていなかったらしいが、数日前から名主、組頭らが風除け準備の御神酒手配をしている。その数が、
酒壱本代金三分弐朱 十駄十八両弐分銀三匁、
と、途方もない数である。家数五十六戸、二三九人の人口の村である。で、
安政五年(1858)の場合には六月十七日に風除けを行い、二百十日は七月二十四日であった。元治元年(1864)の場合、風除けは七月二十六日に行われ、二百十日は七月晦日であった。元治元年(1864)の風除けは、……若者中の(村内)三社に神楽奉納が行われたが、このほかに持明院で宝楽亀頭が行われている。七月晦日には名主八郎兵衛が村役人や勘定人を呼び寄せ風除け御神酒を振舞い、持明院にも酒食を渡している、
とある(山本光正『幕末農民生活誌』)が、
風籠り、風日待などといって、神社やお堂に忌籠(いみごも)り精進(しょうじん)する形が最も一般的で、各戸から1人ずつ出て飲食しながら祈願したり、念仏を称えたり、100万遍の数珠繰りをする、
とか(ブリタニカ国際大百科事典)、
獅子舞(ししまい)や囃子(はやし)を奉納して無事を祈ること、大注連縄(おおしめなわ)を村の入口に張り渡して風の悪霊の入来を防ぐこと、大声で騒ぎたてたり、藁人形に悪神を負わせて辻や村境に送り出そうとする、
とか、
社寺からの風除(よ)けの神札を田畑に立てることや、草刈鎌を庭先高く掲げて吹く風を切り払おうとする呪術、
とか(日本大百科全書)、あるいは、
関東から東北にかけては、風穴ふたぎといって団子をつくって家々の神棚に供える(ブリタニカ国際大百科事典)、
等々を行う。
風神は、古くは、神代紀に、
唯有朝霧而薫満之哉、乃吹撥之気化為神、號曰級長邊命、亦曰級長津彦命、是風神也、
とあるように、
伊弉諾尊・伊弉冉尊の子、級長津彦(しなつひこ)尊、
が、
風の神、
とされる(『古事記』は志那都比古神(しなつひこのかみ)、『日本書紀』は級長津彦命(しなつひこのみこと)と表記、神社の祭神として志那戸辨命、志那都比売神、志那都彦神等々とも)。
龍田大社(奈良県生駒郡)の祭神は天御柱命・国御柱命であるが、社伝や祝詞では天御柱命は志那都比古神、国御柱命は志那都比売神(しなつひめのかみ)のこととしている。志那都比古神は男神、志那都比売神は女神である。伊勢神宮には内宮の別宮に風日祈宮(かざひのみのみや)、外宮の別宮に風宮があり、どちらも級長津彦命と級長戸辺命を祀っている、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%84%E3%83%92%E3%82%B3)。後世は、
風神雷神、
と、雷神と対になし、
風袋を担いで天空を駆ける姿、
をイメージされるようになる(風と雲のことば辞典)。
また、風の神様を、
風の三郎、
風の又三郎、
とも言い、新発田近辺の阿賀北地域では、子供たちが、
「風の三郎さん 風吹いてくりやんな くりやんな」
と唱和して地域を練り歩いた風習もみられた(https://www.heri.co.jp/01mon/pdf/ni-gaku/1709-ni-gaku.pdf)、とあり、風祭の一種である。地域によっては、
富山県には風の神を祀る「ふかぬ堂」という風神堂が十数か所あるし、新潟県には風の三郎なるものを祀る小祠、
がある(日本大百科全書)し、
風袋を背負っている風神の石像、
も少なくない(仝上)、とある。
かつては、山から吹き下ろす風を求めて「たたら」に利用しようとする製鉄業者などの風に対する別の観念の存在したことも、予想される、
ともあるのは興味深い(仝上)。
参考文献;
山本光正『幕末農民生活誌』(同成社)
倉嶋厚監修『風と雲のことば字典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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