「神楽」は、文字通り、
神前に奏される歌舞、
つまり、
手に榊などの採物(とりもの)を持ち、そこへ神を招き、歌舞を捧げて、神を楽しませて、天に送る舞楽、
で(岩波古語辞典)、
神座(かむくら・かみくら)の転、
とされる(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)。
カミ(ム)クラ→カングラ→カグラと転じたる語、
とある(大言海)。「座(くら)」は、
神おろしをするところ。この舞楽に使う榊や篠などに神が降下するので、その榊・篠・杖・弓などをカミクラと称したのが、後にこの舞楽全体の名となった、
とある(岩波古語辞典)。「採物」とは、
神楽の時、舞人が手に持って舞うもの。本来、神の降臨する場所、すなわち神座(かぐら)としての意味を持ち、森の代用としての木から、木製品その他の清浄なものにも広がった。榊葉(さかきば)・幣(みてぐら)・笹・弓・剣・ひさごなどが使われる、
とある(仝上)。かつては、
神が降臨した際に身を宿す「依り代」としての巨石や樹木、高い峰を祭祀の対象物、
とし、やがて、人の手が加えられた、
神座、
が設けられ(http://www.tohoku21.net/kagura/history/kigen.html)、神座に、神を迎え、祈祷の祭祀を行うことになる。さらにそれが「採物」に代用されるようになる、ということになる。で、「神楽」は、
神座遊(かみくらあそび)の略にて、神座の音楽、
意となる(岩波古語辞典)。
神座を設けて神々を勧請(かんじょう)して招魂・鎮魂の神事を行ったのが神楽の古い形で、古くは、
神遊(かみあそび)、
とも称した、とある(日本大百科全書)。「遊ぶ」は、
楽しきわざをして、神の御心を和み奉ること、
とあり、「あそび」に、
神楽、
を当て(大言海)、
瑞垣の神の御代よりささの葉を手(た)ぶさに取り手遊びけらしも(神楽歌)、
とあるように、
神楽を演ずる、
意でもある(岩波古語辞典)。本来神楽は、
招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びだった、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%A5%BD)のはその意味である。この起源は、
天照大御神の、天岩屋戸に隠(こも)りたまひし時、神々集まりて、岩屋の前に、榊・幣など種種の設けをして、天鈿女(うずめの)命、桙(ほこ)と篠とを採り、わざをぎの態をしなどして、慰め奉り、遂に、大神を出し奉りし事、
に始まる、とされる(大言海)。「わざをぎ」は、
伎楽(大言海)、
俳優(岩波古語辞典・広辞苑)、
と当てるが、古くは、
ワザヲキ、
と清音(広辞苑)、
ワザヲキ(業招)が原義(岩波古語辞典)、
神為痴態(ワザヲコ)の転と云ふ、ワザは神わざ(為)、わざ歌(童謡)のワザなり。ヲコは可笑(おか)しと通ず(大言海)、
とその由来の解釈は少し異なる(大言海は「俳優」と当てるのは、「俳優侏儒、戯於前」(孔子家語)、神代紀に、ワザヲキに俳優の字を充てたるに因りて誤用せる語、としている)が、
天鈿女命、則ち手に茅纏(ちまき)の矟(ほこ)を持ち、天の石窟戸(いわやど)の前に立たして、巧みに俳優(わざをき)す(日本書紀)、
とあるような、岩戸隠れで天鈿女命が神懸りして舞った舞い、
に淵源する、
手振り、足踏みなどの面白くおかしい技をして歌い舞い、神人をやわらげ楽しませること、またその人、
とあり(広辞苑)、
役者、
の意味にもなる(嬉遊笑覧)ので、
俳優、
と当てる方が妥当に思える。ほぼ、
神遊び、
と意味は重なる。考えれば、「あそぶ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464241062.html)で触れたように、「あそぶ」自体が、
神楽(かみあそび)→神楽(あそび)→奏楽(あそび)→遊び、
と転じてきたものなのであり、
足+ぶ(動詞化)(日本語源広辞典)
アシ(足)の轉呼アソをバ行に活用したもの(日本古語大辞典=松岡静雄)、
語源としているのである。
(「岩戸神楽乃起顕」(歌川豊国) http://www.natsume-books.com/list_photo.php?id=150860)
神楽は、
宮中の御神楽(みかぐら)すなわち内侍所御神楽(ないしどころのみかぐら)
と、
民間に行われる里神楽、
に大別されるようである。民間の神楽は、今日、
巫女が祈祷の舞を舞う巫女神楽、
神座となるべき採物をとって舞う採物神楽(出雲流神楽)、
清めの湯立てを主とする湯立神楽(伊勢流神楽)、
獅子を権現と崇め獅子を舞わすことによって祈祷する獅子神楽(山伏神楽・太神楽(だいかぐら))、
の四系統とされる(日本伝奇伝説大辞典)。
「豪農のくらし」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482424187.html?1626028105)で触れた、旧上総國滂沱郡大谷村(現千葉県君津市)の小さな村にも神楽はあり、
村の祈祷において重要な役割を果たしていたのが神楽であった。大谷村の神楽は伊勢系のようであるが、ほとんどの神事・祈祷に関わっていたといってよい。神楽は若者中によって演じられる、
とある(山本光正『幕末農民生活誌』)。
(神楽(『伊勢参宮名所図会』) https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/82944046631.htmより)
因みに、「神楽」は、万葉集の諸歌では、
神楽波(ささなみ)の滋賀、
等々と、
「ささ」とよみ、鎮魂の呪具たる採物(とりもの)の笹の葉ずれの音(本居宣長)、
とか、
鈴の音(本田安次)、
等々とされ(世界大百科事典)、まだ神楽は形が整ってはいなかった(http://www.tohoku21.net/kagura/history/kigen.html)、とみられている。
神事芸能を内容とする初見は大同二年(807)撰の『古語拾遺』の、
猨女(さるめの)君氏、供神楽之事、
である。猨女君は天鈿女命の子孫であり、鎮魂を司っていたので、ここに出てくる神楽も、鎮魂祭を指しているものとされている(仝上)。
神楽の文字が使われ出すのは、
石清水(いわしみず)八幡宮の初卯の神楽や、賀茂神社臨時祭の還立(かえりだち)の神楽のように9世紀末から10世紀初頭にかけてである、
とある(世界大百科事典)。
宮中では先行神事芸能としての琴歌神宴が行われており、10世紀に入って御遊(ぎよゆう)ないし御神楽(みかぐら)が清暑堂において行われ、1002年(長保4)に内侍所(ないしどころ)御神楽が成立した、
とされている(仝上)。
参考文献;
旅の文化研究所編『絵図に見る伊勢参り』(河出書房新社)
山本光正『幕末農民生活誌』(同成社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:神楽