「わざを(お)ぎ」は、「神楽」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482498778.html?1626461046)で触れたように、
伎楽、
俳優、
伶、
等々と当てる(大言海・岩波古語辞典・広辞苑)が、古くは、
ワザヲキ、
と清音(広辞苑)、
ワザ(業)ヲキ(招)が原義(岩波古語辞典)、
とある。「をぐ」は、
招く、
と当て、
神や尊重するものなどを招き寄せる、
意とある(仝上)。
正月(むつき)立ち春の来たらばかくしこそ梅ををきつつ楽しき終へめ(万葉集)、
とあるように、神に限った使い方をするわけではない。
「わざ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482526535.html?1626633416)は、
こめられている神意をいうのが原義、
であり(岩波古語辞典)、
もと、神のふりごと(所作)の意。それが精霊にあたる側の身ぶりに転用されたもの(国文学の発生=折口信夫)、
とあるのも同趣旨になる(日本語源大辞典)。「ワザ」は、
ワザハヒ(災)・わざをき(俳優)のワザ、
とある(岩波古語辞典)のは、
ワザワヒ(禍)の転用、曲之靈が禍を為すむというところからか(国語の語根とその分類=大島正健)、
と同趣旨で、「災害」「災い」を神の「しわざ」と考え、そこに神意を読み取る側の受け止め方ということになる。だから、単なる、
行為、
や
行事、
ではなく(大言海)、
人妻に吾(あ)も交はらむ、吾妻に人も言問へ、此の山を領(うしは)く神の昔より禁(いさめ)ぬわざそ(万葉集)、
と
神意の込められた行事・行為、
とか、
深い意味のある行為・行事、
というのがもとの用例に近い(広辞苑・岩波古語辞典)。
事柄に込められている神意(日本語源広辞典)、
つまり、
神わざ、
と受け止めた、という意味である。
(天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌画) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B2%A9%E6%88%B8より)
ワザは神意。神の為すこと。オギは招ぎで、神意を招くのが原義(古事記伝・嬉遊笑覧・日本芸能史ノート=折口信夫)、
とするのはその意味である。
ワザヲキ(態招・伎招)の義。身振りなどで神を招くところから(筆の御霊・言元梯・名言通・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健・日本の祭り=柳田国男・芸能辞典)、
ワザの原義は神意、威力ある神霊、また、それを発現させる呪術のことで、オギはヲグ(招く)の名詞形(世界大百科事典)、
ワザ(事柄の中の人力の及ばない神意)+オキ(招く)、神を招く人。神意を招き寄せるため、神前で滑稽な芸をすること(日本語源広辞典)、
とするのも同趣である。しかし、大言海は、
神為痴態(ワザヲコ)の転と云ふ、ワザは神わざ(為)、わざ歌(童謡)のワザなり。ヲコは可笑(おか)しと通ず、
とし、
神憑(かんがかり)の可笑しき態(わざ)、
とする。そして、「わざをぎ」に、
俳優
と当てるのは、
孔子家語(こうしけご)・相魯篇「俳優侏儒、戯於前」。神代紀に、ワザヲキに俳優の字を充てたるに因りて誤用せる語、
とする。その是非はともかく、「わざをぎ」が、
天鈿女命、則ち手に茅纏(ちまき)の矟(ほこ)を持ち、天の石窟戸(いわやど)の前に立たして、巧みに俳優(わざをき)す(日本書紀)、
とある、
天照大神の天岩屋戸に隠(こも)りたまひし時、其前にて天鈿女命の為したる態を云ふ、
に淵源する、
手振り、足踏みなどの面白くおかしい技をして歌い舞い、神人をやわらげ楽しませること、
であるとするなら、「語義」は別として、大言海説もまんざら悪くはない気がする。
ただ、そうした、
神懸りして舞った舞い、
自体から、
それをする人、
の意になったとするなら、
俳優、
と当てるのは、かなり後世のことではないかという気はする。その意味で、「俳優」の意味に、
滑稽なしぐさで歌舞などを演じる芸人、
が最初に来るのは、その由来に因っている(広辞苑)。
「俳」(漢音ハイ、呉音ベ)自体、
会意兼形声。非は、羽が右と左に逆に開いたさま。扉(ヒ 左右に開くとびら)と同系のことば。俳は「人+音符非」で、右と左に分かれて掛け合いの芸を演じる人、のち役者をいう、
とあり(漢字源)、
右と左とで並んで掛け合いの芸をしてみせる人、道化役、
の意味がある。「優」(漢音ユウ、呉音ユ)は、
会意兼形声。憂の原字は、人が静々としなやかなしぐさをするさまを描いた象形文字。憂は、それに心を添えた会意文字で、心が沈んだしなやかな姿を示す。優は「人+音符憂」で、しなやかにゆるゆるとふるまう俳優の姿、
とあり(漢字源)、やはり役者の意である。「俳優」は、
倡優(しょうゆう)、
とも当て、
滑稽な動作をして歌い舞い、神や人を慰め楽しませること。また、それをする人。道化師・芸人・役者・俳優などといった職業人の古称、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BF%B3%E5%84%AA)、古く中国では、
君主の側にはべって主人を楽しませることを職掌とする者、
を指し、
優、
優人、
倡優、
優倡、
俳倡、
ともいい(字源・仝上)
小人・巨人等、何らかの身体的特徴を持ち、歌・音楽・雑伎などを身に付けていた、
ともある(仝上)。
朔好詼諧、武帝以俳優蓄之(漢書)、
とあるのもそれであるが、起源は、天鈿女命の所作である、
神を招(お)ぐわざ、
と同様と考えていいのだろう。
「わざをぎ」と訓ませる「伶」(漢音レイ、呉音リョウ)は、
会意兼形声。令は、清らかなお告げ、伶は「人+音符令(レイ)」で、澄んだ音の音楽を奏する人、清らかな姿をした俳優などのこと。清澄の意を含む、
とある(漢字源)。「伶優」とすると、役者の意になる。蘓武の詩に、
力盡病騏驥、伎窮老伶優、
とある(字源)。
(「伶」 小篆 説文・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%B6より)
別に、
会意兼形声文字です(人+令)。「横から見た人」の象形(「人」の意味)と「頭上に頂く冠の象形とひざまずく人の象形」(「ひざまずき神意に耳を傾ける」の意味)から、「わざおぎ」を意味する「伶」という漢字が成り立ちました、
とある(https://okjiten.jp/kanji2321.html)が、このほうが「わざをぎ」の原義に近い気がする。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95