雨乞い


「雨乞い」は、

雨+コヒ、

で、

ひでりの時、降雨を神仏に祈る、

意だが、別に、

請雨(あまごひき・あまひき・しょうう)、
祈雨(きう)、
雩(あまひき)、

等々ともいう(広辞苑・大言海)。「雩」は、

「あま」は、雨の意。「ひき」は、引き寄せるの意か、

とある(精選版日本国語大辞典)。ただ大言海は、「雩」の訓みは、

名義抄に、「雩、アマゴヒ、アマヒキ」とあるは、ここの請雨(あまごひき)の訓の、落字ならむか、

とし、本来、

請雨(あまごひき)不崇朝、遍雨天下(持統紀)、

と、

あまごひき、

と訓むとしている。

「雨」 漢字.gif

(「雨」 https://kakijun.jp/page/ame200.htmlより)

例えば、「請雨法」というと、

密教で、日照りのとき、諸大竜王を勧請 (かんじょう) して降雨を祈る修法、

つまり、

請雨経法、

を指し(デジタル大辞泉・広辞苑)、「祈雨法」(きうほう)というと、

雨乞いのために、密教で大雲輪経、大孔雀経等に基づいて降雨を祈る修法、

つまり、

請雨経法(しょううきょうのほう)、

を指す(精選版日本国語大辞典)というように、流儀があったらしい。

「雨乞い」には、

お籠り・踊・貰い水・千駄焚き、あるいは水神を怒らせる、

等々の仕方があり(岩波古語辞典)、たとえば、「雨乞踊」は、

鉦や太鼓をうちならし、念仏踊などをして、ひでりをもたらした邪霊を追い散らす、

「千焚き」「千駄焚(せんだた)き」は、

山上に薪をたくさん積み上げ、火を焚いて騒ぐ、

「貰い水」は、

水神が住むと伝える池や泉の水をもらいうけ、これを氏神や水源地にまいたりする、

「百升洗い」は、

升をたくさんあつめて、これを水神が住む池で洗ったりする、

等々(世界大百科事典)がある。

雨乞図絵馬額.jpg

(「雨乞図絵馬額(部分)」(天保十己亥年(1839)十月) https://kyoudou.city.katsushika.lg.jp/?p=10579より)

「豪農の暮らし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482424187.html?1626028105で触れたように、文久元年(1861)日照りがひどく、上総國望陀郡大谷村では、次のような雨乞いが続く。

六月八日、殿様(九代黒田直和)が浦田村の「妙見寺」(現久留里神社)で雨乞い祈祷を行い、大谷村では一軒に付き一人が代参することになり、四ツ時(午前十時頃)神楽を持参して参詣、帰路村宿エビス屋で御神酒を飲む、八ツ半頃(午後二時)雨が降り、
九日、昼から「御しめり祝」になり、村一同休みとし年寄りは百万遍(百万回の念仏を唱えること)、若衆は村内三社(白山様、愛宕様、妙見様)に神楽奉納、
十日、大暑天気、
十一日、御天気、
十二日、大暑御天気、
十三日より三日間殿様が妙見様で雨乞祈祷をするというので、村役人相談のうえ判頭中(各戸の主人)が代参、
十九日には、三度目の殿様による雨乞祈祷が妙見様で行われることになり、朝方から名主を中心に村方の対応が相談され、「男は残らず出、白山様(白山神社)より妙見様へ弁当付にて神楽持参参納」と決まる、
二十日は神楽と百万遍(念仏)、
二十一日は若者の「千垢離(せんごり)」(何度も水垢離をとる)、
二十四日は殿様の四度目の雨乞祈祷を愛宕神社で行い、村中の家主・若者総出で七つ半時(午前五時頃)に村を出立し、愛宕神社に参って神楽を奉納、三社に百万遍を奉納。夜に入って若者中が山神社へ籠り雨乞祈願、
二十五日、若者たちは天王様へ巡行、
二十七日、上々天気、相模の大山へ雨乞いのため二名を代参に出す、
七月一日、藩主より各村が妙見様と愛宕様に雨乞を祈祷するよう命ずる。大谷村では一軒一人が代参に出かけ、村内では神楽と百万遍、
三日、大山代参が帰村、
四日、雨降り、
五日、村一同「御しめり祝」になり、一軒一人代参を出し、白山様、愛宕様、妙見様の村内三社に詣でる、

と、ようやく窮地を脱する。

日本の「雨乞い」の型は、

①山頂で火をたく型、
②踊りで神意を慰め雨を乞う型、
③神社、神(仏)像、滝つぼなど、神聖なものに対する禁忌を犯し(たとえば汚す等)、神(仏)を怒らせて降雨を強請する型、
④神社に参籠(さんろう)し降雨を祈願する型、
⑤神社や滝つぼなどの聖地から霊験ある神水をもらってきて耕地にまく型、

の五つに分けられる、とする(日本伝奇伝説大辞典・日本民族辞典)。他に、

①氏神社境内の雨壺(小池)を清掃して注連縄を張るなど、祭場・祭具の浄化、
②雨乞天神の神輿を諸方に渡すなど、神出御、
③滝壺の岩に味噌を塗りつけたり、川に木刀を流すなど、神饌(しんせん 供物)・幣物(へいもつ 進物)、
④村中が出て氏神にお百度を踏むなど、神態(かみぶり かみわざ)、
⑤村人全員が集まって踊るなど、芸能、

とする整理もある(高谷重夫『雨乞習俗の研究』)。

宮中にては、

祈雨の御祭事を、雨乞の祭と云ひ、又蔵人を遣され、御神泉苑にて、雨乞せしめらるるを、雨乞の使いと云ひ、又、陰陽師をして、五龍祭を行はせらるるを、雨乞の祭と云ふ、

とある(大言海・日本伝奇伝説大辞典)。古くは、皇極天皇元年(642)、

戊寅。羣臣相謂之曰。随村々祝部所教。或殺牛馬祭諸社神。或頻移市。或祷河伯。既無所効。蘇我大臣報曰。可於寺寺轉讀大乘經典。悔過如佛所訟。敬而祈雨。庚辰。於大寺南庭嚴佛菩薩像與四天王像。屈請衆僧。讀大雲經等。于時。蘇我大臣手執香鑪。燒香發願。辛巳。微雨。壬午。不能祈雨。故停讀經。八月甲申朔。天皇幸南淵河上。跪拜四方。仰天而祈。即雷大雨。遂雨五日。溥潤天下。(或本云。五日連雨。九穀登熟。)於是。天下百姓倶稱萬歳曰至徳天皇(書紀)、

とあり、

旱魃ありしを、百済僧道蔵雨乞ひして雨を得(天武十二年)、
神名樋山の石神は多岐都比古神にして、旱天に雨乞する時は必ず雨を降らし給ふ(出雲國風土記)、

等々もある。

葛飾北斎「雨乞ひ」.jpg


「雨」(ウ)は、

象形。天から雨の降るさまを描いたもので、上から地表を覆って降る雨、

とある(漢字源)。

「雨」 甲骨文字.png

(「雨」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%A8より)

因みに、「あめ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/459999594.htmlで触れたように、和語「あめ」の語源は、大別すると、

「天(あま)」の同源説、

「天水(あまみづ)」の約転とする説、

にわかれる。しかし、

雨が多く、水田や山林など生活に雨が大きく関係している日本では、古くから雨のことを草木を潤す水神として考えられた。雨が少い場合は、雨乞いなどの儀式が行われ、雨が降ることを祈られた。「天」には「天つ神のいるところ」との意味があり、そのため雨の語源と考えられている、

とあるhttp://www.7key.jp/data/language/etymology/a/ame2.htmlように、「天」そのものと見るか、その降らせる水にするかの違いで、両者にそれほどの差はない。雨は、

天(アメ、アマ)と共通の語源、

であり、

アマ(非常に広大な空間)から落ちてくる水、

である(日本語源広辞典)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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