「まくは(わ)うり」は、
真桑瓜、
と当てる。漢名は、
甜瓜(てんか)、
香瓜(こうか)
他に、
味瓜(あじうり)、
都瓜(みやこうり)、
甘瓜(あまうり)、
梵天瓜(ぼんてんうり)、
唐瓜(からうり)、
麝香瓜、
等々ともいい(広辞苑)、
まくわ、
ふり、
ほぞち(熟瓜)、
いつつのいろ、
等々の名もある(たべもの語源辞典・精選版日本国語大辞典)。古くは、「うり」とは、
まくはうり、
を指した(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%A6%E3%83%AA)。
約2000年前の弥生時代の遺跡である唐古・鍵遺跡(奈良県磯城郡田原本町)では、土器に付着したウリの種子が見つかっている。橿原神宮外苑(奈良県橿原市)の上代井遺構からはウリの皮が、平城宮跡東方官衙地区(奈良市)からは種が、また西大寺食堂院井戸(奈良市)からは「瓜」と書かれた木簡と種が、それぞれ出土している、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%BE%E3%81%8F%E3%82%8F)。
「まくはうり」の名は、
二世紀頃から美濃国真桑村(岐阜県真正町、現本巣市)が良品の産地であった、
ことに由来する(仝上・広辞苑)。『嬉遊笑覧』に、
真桑瓜は農州真桑村の種を京都当時辺に栽ゑし故、夫を真桑瓜といひしが、今は一般にしか呼ぶなり、
とあり、
真桑村の種、
由来とする説(嬉遊笑覧・重訂本草綱目啓蒙)もあるが、同じことで、『御湯殿の上の日記』の天正三年(1575)六月二十九日に、
信長より美濃のまくわと申す名所のうりとて、二籠(ふたかご)進上、
とあり、『物類称呼』(1775)にも、
「真桑瓜は美濃国真桑村の産を上品とす、故に名づくとぞ、
とあり、
真桑村の産の物が上質だったから、
とする(塩尻拾遺・安斎随筆・本朝食鑑・箋注和名抄・天野政徳随筆・晴翁漫筆・壺蘆圃漫筆)のでいいようである。
山上憶良の、
瓜食(は)めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより来りしものぞ眼交(まなかひ)にもとなかかりて安眠(やすい)し寝(な)さぬ、
の「うり」も、これである。現在、
まくはうり、
と呼ぶのは、果皮が黄色の、
金マクワ、
を指す(たべもの語源辞典)。
「瓜二つ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/458844314.html)で触れたように、
和語「うり」は、
朝鮮語ori と同源(岩波古語辞典)、
朝鮮語oi-ori(瓜)と同源(世界言語概説=河野六郎・万葉集=日本古典文学大系)、
とする説もあるが、
潤(うる)に通ず(あるく、ありく)。實に光澤あり(大言海)
ウルオウ(潤)の変化(日本語源広辞典)、
等々、水分の多さから来ているとしている説は多い。他にも、
ウルミ(熟実)の意か(東雅)、
口の渇きをウルホスより生じた語か(名言通・和訓栞)、
ウム(熟)ランの反(名語記)、
とあるが、そのみずみずしさの感覚から来た、と見たい。
「瓜」(漢音カ、呉音ケ)は、
象形文字で、
蔓の間にまるいうりがなっている姿を描いたもので、まるくてくぼんでいる意を含む、
とある(漢字源)。
(「瓜」 金文・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%93%9Cより)
なしの皮は下司にむかせろ、うりの皮は大名にむかせろ、
とか、
うりの皮は大名にむかせよ、柿の皮は乞食にむかせよ、
等々という諺がある(たべもの語源辞典・故事ことわざの辞典)。「うり」の皮は、厚めに向いたのが美味とされた。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95