「おちゃをひく」は、
お茶を引く、
あるいは、
お茶を挽く、
と当て、
お茶引き、
お茶っ引き、
ともいう(江戸語大辞典)。
「おちゃっぴい」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/437429337.html)で触れたように、「おちゃっぴい」には、
(「おちゃひき」の転)働いても金にならないこと、
多弁で、滑稽な真似をする娘、おませな小娘、
の意味があり(広辞苑)、「おちゃっぴい」を、
おちゃひきの促訛、
とし、
お茶をひいた芸娼妓、売れ残った芸娼妓、
から来たとする説があった(江戸語大辞典)。
で、「おちゃをひく」は、
遊女や芸妓が客がなくひまで遊んでいる、
という意味とされ(広辞苑)、これが、
芸者、芸人などにも映りて云ふ、
と(大言海)、広がった。この由来には、いくつもの説がある。
暇なときには、葉茶臼にかけて粉にする仕事をしていたから(広辞苑)、
遊女が、客のないときに茶臼(ちゃうす)で葉茶をひく仕事をさせられたところから(デジタル大辞泉)、
売れ残った女郎に罰として茶をひかせたことから。また茶は静かにひくので居眠りが出る。遊女の売れ残りも暇で眠気に見えるので、戯言(ざれごと)でいったもの(麓の色)、
芸娼妓が客がなくて遊んでいることをいう。もとは留守番をしているものが茶を挽く習慣があったから(隠語大辞典)、
等々は代表的だが、
お茶を挽いた妓は大赦にあうた罪人をみるやうなここちで(娼妓絹籭(しょうぎきぬぶるい))、
お茶を引きても苦にせず(まさり草)、
などの例を見ると、開店休業状態の意のように見える(岩波古語辞典・広辞苑)。
茶を留守居の者に挽かせる習いがあり、茶を挽くといえば寂しい様子を連想するようになったところから(嬉遊笑覧)、
も同趣旨だろう。少し変形は、
湯女の、客なき者、客に供すべき散茶(ちらし)を碾きしに起こるとおぼしく、湯女の、新吉原に入りて、遊女となりしより(散茶(さんちゃ)と呼びき)、遍く行はるるやうになれるとなるべし(大言海)、
で、「散茶」とは、
ひいて粉にした茶、
つまり、
粉茶、
のことで、
散茶女郎、
というのがあり、
吉原の遊女の階級で、太夫・格子に次ぎ、梅茶の上、
とされ(広辞苑)、
昔、通常飲むお茶は、茶葉を袋に入れてそれを湯の中で振って抽出したが、散茶はそのまま湯を足すだけで飲めるため、「袋を振る必要がない=振らない=客を断らない」という意味で、散茶女郎と呼ばれた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A3%E8%8C%B6%E5%A5%B3%E9%83%8E)。
しかし、「茶を挽く」については別の説があり、
娼妓などの、客なくして休業することなり。これ徳川時代の初に、評定所に遊女を召し、茶弁当の給仕せしむ。爲に遊女、休業して、其の進むべき茶を挽きしに起こると云ふ(大言海)、
評定所の給仕をした吉原町の遊女が、前日から客を取らないで休み、茶などを挽かねばならなかったところから出た語(江戸づくし稿)、
等々とある。これだと、「茶を挽く」のは、客がないからではなく、公儀の御用の爲ということになる。
古の遊女は茶の湯の嗜みがあり、歴々の茶のお相手をしたので、それに召されず暇な傾城をこういうようになった(異本洞房語園)、
吉原の遊女の太夫が月に1回お奉行様にお茶を入れに行っていました。お奉行様の前で展茶(抹茶)を引くところから「お茶をひく」になり、そのとき太夫は商売が出来ないわけで、「お茶をひく」が暇をこいてるになった(http://www.ocha.tv/varieties/nihoncha_varieties/maccha/)
等々も、御上の御用で休業という意味では同趣になる。しかし、この場合、「お茶を挽く」のもつ、ちょっとみじめな含意はない。その他に、
大名お抱えの盲芸人が暇なときに茶を臼で挽いていたことから(岩波古語辞典)、
昔、中国で妃たちに主君が茶を献じさせ、夜伽の番を決めたもので、お茶を主君が召しあがった者がその夜の撰に入り、お茶を引いた者はその撰にもれたことから(ことばの事典=日置昌一)、
等々もある。後者の例は、
昔、支那で宮中に仕へるあまたの美妃が茶を献じて夜伽の番が決る。即ち茶を献じ得た者が其の夜の撰に入り、茶を引いた者が撰に洩れた。夜伽の番に当らないこと。客が無く張店を引く娼妓、座敷に招かれぬ芸者を、現今お茶を引いたといふ、
と付会する説もある(隠語大辞典)が、「お茶を引いた」というのは、「挽く」とは別の意味になる。
どれが妥当かは判別できないが、
元来、遊里のみにいう語にあらず、茶を挽くには平静閑暇の時をたっとぶところから、転じて徒然閑寂の意となり、これが遊里にはいったのであろう、
とあり(江戸語大辞典)、
茶の湯を習ふたしるしがあつて御茶ばかりひいているゆへか、どふやらにがい顔色(明和七年(1770)「蕩子筌枉解」)、
の用例もあり、遊里の言葉と限定するのは難があるのかもしれない。
「茶」(慣用チャ、唐音サ、漢音タ、呉音ジャ)は、
会意兼形声。もと「艸+音符余(のばす、くつろぐ)」。舒(ジョ くつろぐ)と同系で、もと緊張をといてからだをのばす効果のある植物。味がほろにがいことから、苦荼(クト)ともいった。のち、一画を減らして、茶と書くようになった、
とある(漢字源)。
「荼」(漢音ト、呉音ド)は、
会意兼形声。もと「艸+音符余(のばす、ゆるやかにする)」。からだのしこりをのばす薬効のある植物のこと。のち、一画を省いて茶と書き、荼(にがな)と区別するようになった、
とある(漢字源)。別に、
もと、荼(ト)に同じで、のげし、ちゃの意を表したが、のちに荼と区別して、「ちゃ」にはもっぱら省略形の茶を用いるようになった、
とも(角川新字源)、
(「茶」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji141.htmlより)
会意兼形声文字です(艸+余の省略形)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「先の鋭い除草具」の象形(「自由に伸びる」の意味)から、伸びた新しい芽を摘(つ)んで飲料とする「ちゃ」を意味する「茶」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji141.html)。
なお、「茶」には、「茶々を入れる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/440686901.html)で触れたように、「茶化す」「茶々を入れる」「ちゃらかす」「ちゃにする」等々といった、
おどける、
ふざける、
という含意がある。「茶」の項自体、
遊里用語、交合、
人の言うことをはぐらかすこと、
ばかばかしい、
という意味が載り(江戸語大辞典)、それを使った、
茶に受ける(冗談事として応対する)、
茶に掛かる(半ばふざけている)、
茶に為る(相手のいうことをはぐらかす、愚弄する)、
茶に成る(軽んずる、馬鹿を見る)、
茶を言う(いい加減なことを言う)
等々という使われ方を載せていて、
ちゃかす(茶化す)、
はその流れにある。その含意の延長線上に、
「お茶を濁す」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/453997241.html)、
「茶目」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/453974476.html)、
「臍で茶を沸かす」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/441330515.html)、
「茶々を入れる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/440686901.html)、
「お茶の子」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451394732.html)、
「茶番」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/435545540.html)、
「ちゃら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/439115094.html)、
等々の言葉がある。「お茶を挽く」にも、どこかそんな「からかう」含意があるような気がしてならない。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95