2021年08月31日

おのづから


「おのづから(おのずから)」は、

自(づ(ず))から、

あるいは、

自然、

と当てる(岩波古語辞典)が、

己(おの)つ柄(から)、

の意(広辞苑・岩波古語辞典)とあり、

ツは連体助詞、

カラは生まれつきの意(岩波古語辞典)、
「から」はそれ自身の在り方の意(広辞苑)、
オノ(己)+ヅ(の)+から(原因)で、自分自身から(日本語源広辞典)、

あるいは、

己之従(オノヅカラ)の義、其物事のあるままよりの意(大言海)、
オノレ(己)ヅカラの義(名語記・名言通)、
オノレ(己)カラの義、ツは休め字(和句解・日本釈名)、

は、ほぼ同趣旨、また、

オノテカラ(己手故)の義(言元梯)、
オノガテカラ(己手自)の義(俚言集覧)、
オノレミヅカラ(己自)の義(雅言考)、

等々は、「おのづから」の語意から推し量ったように感じられる。

「おのづから」は、

山辺(やまのへ)の五十師(いし)の御井(みゐ)はおのづから成れる錦(にしき)を張れる山かも(万葉集)、

のように、

自然の力、生まれつきの力、

の意であり、そこから、抽象化した、

この言葉の歌のやうなるは楫取(かじとり)のおのづからのことばなり(土佐日記)、

と、

もとからあったもの、ありのままのもの、

の意となり、

あながちに(更衣を)お前さらずもてなせ給ひしほどにおのづから軽きかたにも見えしを(源氏物語)、

と、

自然の成り行きで、成り行きから当然に、

の意となり、そこから、

おのづから來などもする人の簾(す)の内に人人あまたありて物など言ふに、ゐ入りて(枕草子)、

と、それを内からではなく、外から見れば、

たまたま、

の意へと転じていくのはあり得る。つまり、

物事がもとからあったそのままに→物事が行われていくうちにひとりでに→自然に→(外から見れば)たまたま、

と意味が少しずつシフトしていく形になる。

「おのづ(ず)から」の「づから(ずから)」は、

み(身)づから、
手づから、
心づから、

等々と共通で、

連体格を示す「つ」と体言「から」、

で(日本語源大辞典)、「つ」は、

奈良時代に多く用いられた助詞で、位置とか、存在の場所とかを示すことが多い、

とある(岩波古語辞典)。

天つ神、
國つ神、
内つ宮、
外つ宮、

等々と使われたが、平安時代になると「つ」は、

目(ま)つ毛、
わたつみ、

等々にのみ用例として残るだけになっている(仝上)。「から」は、語源は、

名詞「から」、

とされる。この「から」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464302432.htmlは、前に触れたように、

族、
柄、

と当てるが、

満州語・蒙古語のkala、xala(族)と同系の語。上代では「はらから」「やから」など複合した例が多いが、血筋・素性という意味から発して、抽象的に出発点・成行き・原因などの意味にまで広がって用いられる。助詞カラもこの語の転、

であり、

この語は現在も満州族。蒙古族では社会生活上の重要な概念であるが、日本の古代社会には、ウヂ(氏)よりも一層古く入ったらしく、奈良時代以後、ウヂほどには社会組織の上で重要な役割を果たしていない。なお朝鮮語ではkyöröi(族)の形になっている、

とあり(岩波古語辞典)、助詞「から」は、この名詞「から」由来で、

「国から」「山から」「川から」「神から」などの「から」である。この「から」は、国や山や川や神の本来の性質を意味するとともに、それらの社会的な格をも意味する。「やから」「はらから」なども血筋のつながりを共有する社会的な一つの集りをいう。この血族・血筋の意から、自然のつながり、自然の成り行きの意に発展し、そこから、原因・理由を表し、動作の出発点・経由地、動作の直接続く意、ある動作にすぐ続いていま一つの動作作用が生起する意、手段の意を表すに至ったと思われる、

とある(仝上)。だから、「おのづから」の「おの」は、

「おの(己)」は反射指示(「……自身」)、

であり、「おのづから」は、

他からの作用の有無にかかわらずそれ自身の本質によって、

の意となる(日本語源大辞典)、とある。

「おのづから」に当てる、

自(づ)から、

は、

みづから、

とも訓ませる。

ミ(身)ツカラの転、ツは助詞、からはそれ自体の意(広辞苑)、
身つからの意。ツは連体助詞。カラは自体の意(岩波古語辞典)、
ミツカラ(身之自)の義(東牖子・大言海)、

等々とあり

万葉集に入らぬ古き歌、みづからのをも奉らしめ給ひてなん(古今集)、

と、

自分自身、

の意で使う(広辞苑)。「みづから」の「つ」も「から」も「おのづから」の「づから」と同じである。

竹内整一『「おのずから」と「みずから」』http://ppnetwork.seesaa.net/article/415685379.htmlで、「おのづから」と「みづから」については対比したが、

「おのずから」が、

「オノ(己)+ヅ(の)+カラ(原因、由来)」

で、ひとりでに、という意味なのに対して、「みづから」は、

「身+つ(助詞)」

で、それ自体、つまり、自分から、の意となる。しかし、

みずから

おのずから

も、

自から、

と当てることについて、そこには、

「おのずから」成ったことと、「みずから」為したことが別事ではないという理解がどこかで働いている、

のではないかという指摘があった。その一例として、

「われわれは、しばしば、『今度結婚することになりました』とか『就職することになりました』という言い方をするが、そうした表現には、いかに当人「みずから」の意志や努力で決断・実行したことであっても、それはある『おのずから』の働きでそう“成ったのだ”と受けとめるような受けとめ方があることを示しているだろう。」

を挙げる(竹内整一『「おのずから」と「みずから」』)。そこには、諸々の出来事は、

「『おのずから』の働きで成って行くのであって、『みずから』はついに担いきれない」

という、責任が取りきれない、という考え方に通じていく。それを、

「『みずから』は『おのずから』に解消されてしまっている」

との指摘であった。それと似た例は、

すいません、

がある。「すいません」http://ppnetwork.seesaa.net/article/398895440.htmlで触れたように、「すいません」には、「済まない」ことを済ませよう(済ませてもらおう)とする、何となく曖昧な(心理的な)逃げがあって、本当の詫びとは思えないところがあるように、僕は感じる。謝る意思があるなら、

御免なさい、

か、感謝なら、

ありがとう(ございます)、

であり、どこかニュートラルな(心理的な)逃げの表現に思えてならない

「自」 漢字.gif


「自」(漢音ジ、呉音シ)は、

象形。人の鼻を描いたもの。「私」がというとき、鼻を指さすので、自分の意に転用された。また出生のさい、鼻を先にして生れ出るし、鼻は人体の最先端にあるので、「……からおこる、……から始まる」という起点をあらわすことばとなった、

とある(漢字源)。

「自」 甲骨文字.png

(「自」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%87%AAより)

「己」(漢音キ、呉音コ)は、

象形。己は、古代の土器のもようの一部で、屈曲して目立つ目印の形を描いたもの。はっと注意をよびおこす意を含む。人から呼ばれてはっと起立する者の意から、おのれを意味することになった、

とある(漢字源)。この解釈に対して、

糸巻きの象形で、自分の意味は仮借による(白川)、

と対立説を挙げhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%B1

象形。先端を引き出した糸筋の形にかたどり、糸のはし、ひいて、はじめの意を表す。「紀(キ)」の原字。借りて、「おのれ」の意に用い、また、十干(じつかん)の第六位に用いる、

との解釈もある(角川新字源)。

「己」 漢字.gif

(「己」 https://kakijun.jp/page/0329200.htmlより)

更に、この「糸巻」説は、

象形文字です。「3本の横の平行線を持ち、その両端に糸を巻き、中の横線を支点とする糸巻き」の象形。「紀」の原字で、糸すじを分ける器具の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「おのれ(自分)」を意味する「己」という漢字が成り立ちました、

とも詳説されるhttps://okjiten.jp/kanji974.htmlが、穿ち過ぎではないか。甲骨文字を見ると、

土器に書かれた矢印で、注意を呼び起こすことから、自分を意味するようになった、

とする説(漢字源)が妥当に思えるが。

「己」 甲骨文字.png

(「己」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%B1より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:11| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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