「ねがふ(う)」は、
願ふ、
と当てるが、「禰宜」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/483417211.html?1631647344)で触れたように、
「ねが(願)ふ」は、
ネグ(労)と同根、神などの心を慰め和らげることによって、自分の望むことが達成されるような取計らいを期待する意。類義語イノルは、タブーとなっていることを口にする意。神の名とか仏の名号とかを口にして呼ぶのが原義、
とあり(岩波古語辞典)、「ねぐ」は、
祈ぐ、
労ぐ、
と当て、
神などの心を安め和らげて、その加護を祈る、
意であり、「労ぐ」も、
ねぐ(祈)から(国語の語根とその分類=大島正健)、
とあり、「願ふ」は、
祈(ね)ぐの延、
と(大言海)、
願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、
は、ほぼ重なるのである。別に、音韻変化から、
神仏に願い望むことをコフ(乞ふ・請ふ)という。カミコヒメ(神乞ひ女)は語頭・語尾を落としてミコ(巫女)になった。さらにいえば、心から祈るという意味で、ムネコフ(胸乞ふ)といったのが、ムの脱落、コの母韻交替[ou]でネカフ・ネガフ(願ふ)になった。ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき、ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化が『禰宜』である。また、カミネギ(神祈ぎ)はカミナギ・カンナギ(巫)に変化した(日本語の語源)、
あるいは、逆に、
ネ(祈)グの未然形ネガに接尾語フのついた語(広辞苑・日本語源広辞典)、
ネギラフのネギと同源(日本語の年輪=大野晋)、
等々との説があり、
ネガフ(願ふ)→ネグ(祈ぐ)、
に転訛したのか、あるいは、
ネグ(祈ぐ)→ネガフ(願ふ)、
に転嫁したのかは、はっきりしないが、
願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、
は、音韻的にも同根のようなのである。さらに、当然予想の範囲内のことだが、「ねぎらう」(労う・犒う)も、
ネギはネグ(祈・労)と同じ、
とあるように(岩波古語辞典)、
ネギ(祈願・労う)+らう(動詞化)(日本語源広辞典)、
ネグ(祈)から(国語の語根とその分類=大島正健)、
等々、「ねぐ(祈・労)」と重なる。
「願」(慣用ガン、漢音ゲン、呉音ゴン)は、
会意兼形声。「頁(あたま)+音符原(グヱン まるい泉、まるい)」。元の意味はまるい頭のことで、頑(ガン まじめだが融通のきかない)と同じ。融通の利かない意から、転じて、生まじめの意(愿と書く)になり、さらに生まじめに考える、一心に求めることをあらわすようになった、
とある(漢字源)。また、「愿」と同意で心からねがうこと(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A1%98)ともあり、「大きな頭の意」を表す(角川新字源)ともある。
(「願」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji650.htmlより)
別に、
形声文字です(原+頁)。「崖・岩の穴から湧き出す泉」の象形(「みなもと」の意味だが、ここでは「愿(ゲン)」に通じ(同じ読みを持つ「愿」と同じ意味を持つようになって)、「きまじめ」の意味)と「人の頭部を強調」した象形(「かしら(頭)」の意味)から、きまじめな頭を意味し、そこから、自分の主張を曲げず、ひたすら「ねがう」を意味する「願」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji650.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:ねがふ