2021年09月17日

ねがふ


「ねがふ(う)」は、

願ふ、

と当てるが、「禰宜」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483417211.html?1631647344で触れたように、

「ねが(願)ふ」は、

ネグ(労)と同根、神などの心を慰め和らげることによって、自分の望むことが達成されるような取計らいを期待する意。類義語イノルは、タブーとなっていることを口にする意。神の名とか仏の名号とかを口にして呼ぶのが原義、

とあり(岩波古語辞典)、「ねぐ」は、

祈ぐ、
労ぐ、

と当て、

神などの心を安め和らげて、その加護を祈る、

意であり、「労ぐ」も、

ねぐ(祈)から(国語の語根とその分類=大島正健)、

とあり、「願ふ」は、

祈(ね)ぐの延、

と(大言海)、

願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、

は、ほぼ重なるのである。別に、音韻変化から、

神仏に願い望むことをコフ(乞ふ・請ふ)という。カミコヒメ(神乞ひ女)は語頭・語尾を落としてミコ(巫女)になった。さらにいえば、心から祈るという意味で、ムネコフ(胸乞ふ)といったのが、ムの脱落、コの母韻交替[ou]でネカフ・ネガフ(願ふ)になった。ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき、ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化が『禰宜』である。また、カミネギ(神祈ぎ)はカミナギ・カンナギ(巫)に変化した(日本語の語源)、

あるいは、逆に、

ネ(祈)グの未然形ネガに接尾語フのついた語(広辞苑・日本語源広辞典)、
ネギラフのネギと同源(日本語の年輪=大野晋)、

等々との説があり、

ネガフ(願ふ)→ネグ(祈ぐ)、

に転訛したのか、あるいは、

ネグ(祈ぐ)→ネガフ(願ふ)、

に転嫁したのかは、はっきりしないが、

願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、

は、音韻的にも同根のようなのである。さらに、当然予想の範囲内のことだが、「ねぎらう」(労う・犒う)も、

ネギはネグ(祈・労)と同じ、

とあるように(岩波古語辞典)、

ネギ(祈願・労う)+らう(動詞化)(日本語源広辞典)、
ネグ(祈)から(国語の語根とその分類=大島正健)、

等々、「ねぐ(祈・労)」と重なる。

「願」 漢字.gif

(「願」 https://kakijun.jp/page/1919200.htmlより)

「願」(慣用ガン、漢音ゲン、呉音ゴン)は、

会意兼形声。「頁(あたま)+音符原(グヱン まるい泉、まるい)」。元の意味はまるい頭のことで、頑(ガン まじめだが融通のきかない)と同じ。融通の利かない意から、転じて、生まじめの意(愿と書く)になり、さらに生まじめに考える、一心に求めることをあらわすようになった、

とある(漢字源)。また、「愿」と同意で心からねがうことhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A1%98ともあり、「大きな頭の意」を表す(角川新字源)ともある。

「願」 成り立ち.gif

(「願」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji650.htmlより)

別に、

形声文字です(原+頁)。「崖・岩の穴から湧き出す泉」の象形(「みなもと」の意味だが、ここでは「愿(ゲン)」に通じ(同じ読みを持つ「愿」と同じ意味を持つようになって)、「きまじめ」の意味)と「人の頭部を強調」した象形(「かしら(頭)」の意味)から、きまじめな頭を意味し、そこから、自分の主張を曲げず、ひたすら「ねがう」を意味する「願」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji650.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ねがふ
【関連する記事】
posted by Toshi at 04:08| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください