「をんな」は、
女、
と当てるが、
ヲミナの音便、
とある(広辞苑・大言海)。
平安時代以後の語。ヲミナの音便形として成立し、それまで女の意を代表していたメ(女)という語が、女を卑しめ見下げていう意味にかたよった後をうけて、女性一般を指し、特に「をとこ(男)」の対として結婚の関係をもつ女をいう、
とある(岩波古語辞典)。類聚名義抄(11~12世紀)は、
女、ヲムナ、
色葉字類抄(1177~81)も、
女、ヲムナ、
としている。
をみな→をうな→をむな→をんな、
といった転訛といったところであろうか。
多くは、
ヲミナの音便、
とする(大言海・箋注和名抄・古語類語=堀秀成)が、
ヲミは小身の義、ナは大人(オトナ)の名の如し(大言海・語源由来辞典)、
ヲは小さいことで、古くは若い女のこと(六歌仙前後=高崎秀美)、
接頭語ヲ(小)とオミナ(成人の女)との複合か(岩波古語辞典・日本語源広辞典)、
等々といったところが語源になる。それ以外に、
オウナ(嫗)の転、オイオンナ(老女)の義(和訓栞)、
ヲミナ(麻績女)から(類聚名物考)、
とするものがあるが、「おうな」の「お」と、「をんな」の「を」は区別されていたはずである。
「をみな」は、
古くは美女・佳人の意であったが、後に女一般を指す。音韻変化してヲウナ・ヲンナに転じると、女性一般名称となる。類義語メ(女)は、女を卑しめ見下げる気持ちで使う、
とある(岩波古語辞典)。新撰字鏡(898~901)には、
嬢、婦人美也、美女也、良女也、肥大也、乎美奈(をみな)、
とあり、天治字鏡(平安中期)にも、
娃、美女㒵、宇豆久志美奈、嬢、乎美奈、
字鏡(平安後期頃)にも、
娃 宇豆久志乎美奈、嬢、乎美奈、
とあり、
童女有りて、その形姿(かほ)美麗(よ)かりき。……その嬢子(をとめ)に舞せしめたまひき……。呉床居(あぐらゐ)の神の御手もち弾く琴に舞するをみな常世にもがも(万葉集)
と使われるが、万葉集で、「ヲミナヘシ」の「ヲミナ」に、
ことさらに衣は摺らじをみなへし(佳人部為)佐紀野(さきの)の萩ににほひて居(を)らむ、
我が里に今咲く花のをみなへし(娘部四)堪(あ)へぬ心になほ恋ひにけり、
等々と、多く、
佳人、美人、姫、
の字が当てられている(岩波古語辞典)。つまり、「をみな」は、古くは、
美人、
に限定して使われていたもののようである。それに対し、「め」が女性一般であった、ということになる。
ところで、
「をみな」は、年齢の上では「嫗(おみな・おうな)」の対義語にあり、性別では少年を意味する「をぐな」と対になる語であった、
とある(語源由来辞典・日本語源広辞典)。しかし「をぐな」は、
童男、
と当て、
男の子、
をさす。「をみな」の対とは思えない。「をぐな」は、
マゲウナ(曲項)の約略か、古へ、男女とも幼き時は髪を曲げて項(うなじ)に置けり、髫髪(ウナヰ)の如し(大言海)、
オキナ(翁)に対するヲグナ(小人)から(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、
ヲキ(少子)ネの転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、
ヲコナ(小児男)の転(言元梯)、
ク(児)はコ(児)の母音交替形デ、ヲ(男)+ク(児)+ナ(接尾語、オキナ、オミナ、ヲミナなどのナ)(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、
等々、「をぐな」の語源を見る限り、「男児」を指し、「美人」の意であった「をみな」の対はありない気がするが、
古代では男女の呼称を、大小を表わすオとヲでいう、
オキナ━オミナ、
ヲグナ━ヲミナ、
と、若返る意の動詞ヲツを構成要素とする、
ヲトコ━ヲトメ、
があって、前者は年長・年少の男女を意味し、後者は結婚適齢期の男女を意味した。ところが「古事記」では同じ女性をヲトメともヲミナとも呼んでおり、「万葉‐四三一七」では「秋野には今こそ行かめもののふの乎等古(ヲトコ)乎美奈(ヲミナ)の花にほひ見に」とヲトコとヲミナが対になっているから、年少の女性の意と適齢期の女性の意が混同されて、ヲトコ━ヲミナという対が生じたらしい。そしてヲトコが男性一般をいうようになったのに伴ってヲミナも平安時代にヲンナと変化し、女性一般を指すようになった、
とある(精選版日本国語大辞典)。しかし、古く「をみな」が「をみなへし」の「をみな」の「美人」の意として使っていたことを考えると、「ヲミナ」が、どこかで、男女の童子の意として、
ヲグナ━ヲミナ、
と、対として使われ、例えば、前述の、
童女有りて、その形姿(かほ)美麗(よ)かりき。……その嬢子(をとめ)に舞せしめたまひき……。呉床居(あぐらゐ あぐらをかいてすわる意)の神の御手もち弾く琴に舞するをみな常世にもがも(万葉集)
を見ると、「童女」「をとめ」「をみな」が重なっているように見えるように、「年少の女性の意と適齢期の女性の意が混同されて」(仝上)、
ヲトコ━ヲミナ、
の対へ変化し、
ヲトコ━ヲンナ、
へと対が転化していったということと思う。この背景にあるのは、結婚適齢期が16、7歳なのか、18、9歳なのか、あるいはもっと若いのか等々、時代によって微妙に異なることがあるのではないか。その辺りは調べがつかないが、それと関わって、童女を、いくつまでとみなすかが変わる気がする。
因みに、「うなゐ」は、
髫、
髫髪、
等々と当て、和名類聚抄(平安中期)に、
髫髪、宇奈為、俗用垂髪二字、謂童子垂髪也、
とある。
ウナは項(ウナ)。ヰは神がうなじにまとめられている意、
で、
子供の髪を、垂らしてうなじにまとめた髪、またその髪形をする十二、三歳までの子供。その先、年齢がいくと、髪をあげて「はなり」「あげまき」にした、
とある(岩波古語辞典)。「はなり(離り)」は、
少女が肩までつくように垂らしていた「うなゐ」の髪を、肩から離れる程度に上げること、
であり、「あげまき(総角・揚巻)」は、
うなゐ、
にしていた童子の髪を、十三、四歳を過ぎてから、両分し、頭上の左右にあげて巻き、輪を作ったもの、はなりともいう、
とある(仝上)。
「め」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/483689364.html?1633116498)で触れたように、
「女」(漢音ジョ、呉音ニョ、慣用ニョウ)は、
象形、なよなよしたからだつきの女性を描いたもの、
とある(漢字源)が、
象形。手を前に組み合わせてひざまずく人の形にかたどり、「おんな」の意を表す、
とあり(角川新字源)、
象形文字です。「両手をしなやかに重ね、ひざまずく女性」の象形から、「おんな」を意味する「女」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji32.html)。甲骨文字・金文から見ると、後者のように感じる。
(「女」・金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%B3より)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95