「参宮松」というのは、
人間に代わって伊勢参りをした、
と伝えられる松の木をいう(日本伝奇伝説大辞典)らしい。
「参宮」は、
神社に参詣すること、
だが、
特に伊勢神宮に参拝すること、
を指す(広辞苑)。「伊勢参り」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482469437.html)については触れた。
実は、「參(参)」(漢音呉音サン・シン、呉音ソン)は、
象形。三つの玉のかんざしをきらめかせた女性の姿を描いたもの。のち彡印(三筋の模様)を加えた參の字となる。入り交じってちらちらする意を含む、
とある(漢字源)。他に、
形声。意符晶(厽は変わった形。ひかりかがやく)と、音符㐱(シム)→(サム)とから成る。星座(オリオン座の三つ星)の意を表す。借りて、三(サム みつ)の意に用いる。教育用漢字は省略形の俗字による、
とあり(角川新字源)、さらに、
(「參」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji706.htmlより)
会意兼形声文字です。「頭上に輝く三星」の象形と「豊かでつややかな髪を持つかんざしを付けた女性の象形」(「密度が高い」の意味)から、「三度(みたび)・加わる・参加する」を意味する「参」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji706.html)。
いずれにしても、「參」には、「参加」「参政」といった「まじわる」「加わる」、お目にかかる意の「参観」の意はあるが、
神社などに参る、
意や、「降参」の意の、
参る、
という意味はなく、わが国だけの使い方らしい。例えば、
神社にお参りに行く、
意の、
参詣、
は、
王嘉遷于倒獣山、公侯以下咸躬往参詣(晉書・藝術伝)、
というように、
某所に集まり到る、
意とあり(字源)、
参宮、
は、漢語にはない使い方ということになる。
さて、参宮松とされる松の木は、秋田県河辺郡雄和町水沢集落にある、樹高30メートル、樹齢四百年以上と言われた赤松、という(日本伝奇伝説大辞典)。
口碑によると、文政四年(1823)のある日、土崎港下四ツ屋から五人の一行が、松右衛門という人を尋ねてやってきた。しかし、水沢には、そういう人が居ない。その訳を尋ねると、昨年伊勢参りをした折、
「気品の高い白髪の老人の世話になり、無事に帰ることができた。その時に老人が、自分は水沢の松右衛門という者だが、秋の彼岸までには帰国するので一度遊びにくるようにといわれたので尋ねてきた」
という。この話を聞いた水沢の人には思い当たることがあった。水沢の守り神にしている松の老木が、昨年の春の彼岸ごろから急に勢いがなくなり、いろいろ手当てをしたが枯れ始めてしまった。しかし、秋の彼岸ごろから再び元気を取り戻した、ということがあった。水沢の人たちは、
「おそらく松右衛門とは老松の精でしょう。ひところ枯れだしたのは伊勢参りに出かけられたためでしょう」
と言った、とある(仝上)。で、この松を、
伊勢参りの松、
とか、
松右衛門の松、
と呼ぶようになった、という。「参宮松」というのは民話にもあるが、それは、男女二人連れが松の木だったという話で、少し趣が違うようである(http://hukumusume.com/douwa/pc/minwa/10/26a.htm)。
この水沢集落は、大永年間(1521~28年)に加賀から落ちのびてきた集落と言われ、総本家の伊藤宅にある「真宗大谷派同朋道場」とよばれる仏間を中心に、真宗の進行で結ばれ、死後も十二戸の集落全員が参宮松の根元にある、「総墓」に入る、とある(仝上)。「総墓」の墓石は、文政八年(1825)と刻まれているが、もともとは、松が墓標だった。そのことが参宮松の伝承を生んだのでは、とされている(仝上)。
現在の水沢集落は、
集落の東側に「八幡神社」を配し、西側に「総墓」と呼ばれる伊藤家の一族の共同の墓地があり、周囲から集落を守っている感じです、
とある(https://www.kensoudan.com/firu-naka-e/mizusawa2.html)が、「参宮松」の伝承の記述は、見つからなかった。
参考文献;
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:参宮松