2021年11月11日

いかもの


「いかもの」は、

如何物、

と当てると、

如何物食(いかものぐ)い、

の「いかもの」になるし、

嚴物、

と当てると、

嚴物造(づく)り、

の「いかもの」になる。と、一応は区別がつくのだが、どうもそうはいかないようだ。

もともとは、「いかものづくり」は、

嚴物作、
怒物作、
嗔物造、

等々と当てて、

鍬形打ったる甲の緒をしめ、いかものづくりの太刀を佩き(「平治物語(鎌倉初期)」)、

と、

見るからに厳めしく作った太刀、

を指し(岩波古語辞典)、

龍頭の兜の緒をしめ、四尺二寸ありけるいか物作りの太刀に、八尺余りの金(かな)さい棒脇に挟み(太平記)、

では、

金銀の装飾をしていかめしく作った太刀、

と注がある(兵藤裕己校注『太平記』)。

イカモノは、形が大きくて堂々としているもの、

とある(岩波古語辞典)だけでなく、

事々しく、大仰なさま、

をも言っているようである。

南北朝時代ころ大鎧姿.jpg

(南北朝時代ころ大鎧姿(高師直とされている) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B8%AB%E7%9B%B4より)

「いかめし」は、

厳めし、

と当て、

イカシ(厳)と同根、外に内部のエネルギーが見えるさま、見るからに巨大で、角張り盛んなるさま、

の意である(岩波古語辞典)。

厳見(いかみえ)の約、イカメを活用した語、

とある(大言海)のは、意味は同じである。「いかものづくり」に、

いかにも大仰な、

という含意があるのは、

いかめしげに作った太刀(明解古語辞典)、

という解釈からもうかがえる。大言海は、

富樫記には、鬼物作とあり、古製と、後世の製と、異なりや否やを知らず、姑(しばら)く、貞丈雑記に拠る、

と、その太刀の特徴を詳らかにしないとし、貞丈雑記(江戸後期)の、

いかもの作りの太刀も、銀包みにて、帯取(おびとり)を通す所に、銀の細長輪を七つ入れて、帯取を通すなり一の足、二の足、合わせて、輪十四なり、……鞘には鹿の皮の尻鞘を懸くるなり、一体、慄慄しく、いかつらしく見ゆる故に、いか物作りと云ふ、

という記述に依拠する、としている。

刀①.jpg

(「帯取り」 足金物の鍔側を一の足、次いで二の足と呼ぶ デジタル大辞泉より)

「いかものぐい」は、

常人の食べないものを、わざと食べること、

の意で、

我々にあたへたまへかし、いか物くいにせんとて、口なめずりして(御伽草子「きまん国物語(室町末)」)、

と、

ゲテモノ食い、
悪食(あくじき)、

とも言い(精選版日本国語大辞典)、それをメタファに、

てんぽいか物喰(ものグヒ)に、こむさくろくはおもへど(浮世草子「好色産毛(1695頃)」)、

と、

普通の人が相手にしないような異性を好んで、またはわざと愛する、

意で使い、さらには、

日本人は……思想的に走りを好んで半熟を生噛りにし、イカモノ食ひに舌打ちして得意になる穉(稚)気がある(内田魯庵「読書放浪(1933)」)、

と、

普通の人と違った趣味、または嗜好(しこう)をもつ、

意でも使う(精選版日本国語大辞典)。で、この「いかもの」は、

普通と違っていてどうかと思われるもの、いかがわしいもの、

の意で、その意味で、

本物に似せたまがいもの、にせもの、

の意でも使い、

偽物、

とも当て(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

イカサマモノの略(広辞苑・すらんぐ=暉峻康隆・大言海)、
イカガモノ(如何物)の略(俚言集覧)、
イカ(如何)にモノ(物)をつけた語、いかがと思われる語(上方語源辞典=前田勇)、
「以下者」は江戸時代の大奥女中の中で、将軍夫人に対面できない身分の低い女中のこと。そのような人たちが食べる下等なものという意味からhttps://imidas.jp/idiom/detail/X-05-X-02-2-0002.html

等々あるが、

如何物師、

という言葉があり、これは、

麽物師(イカモノシ)は即ち是を晒して直ちに新衣を作る(松原岩五郎「最暗黒之東京(1893)」)

と、

いかさまし(如何様師)、

の意とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。つまりこの「いかもの」は、

いかさまもの、

の意であり、「いかさま」は、

欺罔、

と当て、

いかがわしき情態の意なるか、語彙、イカサマ「人を欺きて、何(いか)さま尤もと承引かしむることに云へり」、イリホガなるべし。いかさま師は、いかさま為(し)なり、イカモノは、イカサマモノの中略なり(つばくらめ、つばめ。きざはし柿、きざがき)、

とある(大言海)。「いりほが」は、

鑿、
入穿、

と当て、

和歌などで、巧み過ぎて嫌味に落ちること、
穿鑿しすぎて的を外すこと、

とある(広辞苑)。いかにも、という感じが過ぎると、いかがわしくなるという意であろうか。

如何様、

は、

磯城島(しきしま)の大和の国にいかさまに思ほしめせか(万葉集)

と、

どのように、

の意や、

何様(いかさま)、事の出来るべきことこそ(保元物語)、

と、

いかにも、
しかり、

という意で使う「いかさま」にも当てる。だから、

いかがなものか、

という解釈が生まれてくると思われる。しかし、「如何物」は、「如何様」を「インチキ」の意の「イカサマ」に当てた当て字と思える。

しかし、やっかいなことに、これで、

如何物、
と、
嚴物、

の区別がついたことにはならないのである。

大言海は、「いかものぐい」に、

嚴物喰い、

と当て、

厳厳(いかいか)しき物喰い、

とし、

慶安、寛文の際に、旗本奴の水野十郎左衛門等、勇侠、殺伐を振舞ひ、其党下の者共も、猛威を示さんと、蚯蚓など食ひし事ある、是なり。柔弱を賤しみ、剛毅を衒ひしなり、江戸時代、剣術の寒稽古に、未明に粥を作り、悪戯に、馬沓(ひづめの裏につけるわら製の履き物)を刻みて、粥の中に投じたるを忍びて食ひしなど云ふこともありき、

とし、俚言集覧の、

いかものぐひ 百物、能毒に拘らず、妄りに食ふことを云ふ、

を引く。ここでは、

嚴物、

如何物、

が区別されていない。

ことごとしさ、

で括っているのだろうか。しかし、江戸語大辞典は、

如何物、

を、

いかさまものの中略とも嗔(いか)めしき物とも、

と両説あるとしながら、

如何物食い、

と、

嚴物作り、

とは区別している。「嚴物作り」とは、

普通以上にいかめしく、仰々しく作ること、

とある。既に、

如何物、

と紛らわしいと言えばいえる。

広辞苑には、

如何物、
如何物食い、

は載るが、「嚴物」は載らない。岩波古語辞典には、

嚴物作り、

は載るが、「如何物」「如何物食い」は載らない。江戸語大辞典には、

如何物、
如何物食い、
嚴物作り、

が載る。江戸時代までは、区別がついていたが、刀が不要になって以降、区別がつかなくなってきたのかもしれない。

太刀を佩いた騎馬武者 .jpg

(太刀を佩いた騎馬武者 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:51| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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