「いかもの」は、
如何物、
と当てると、
如何物食(いかものぐ)い、
の「いかもの」になるし、
嚴物、
と当てると、
嚴物造(づく)り、
の「いかもの」になる。と、一応は区別がつくのだが、どうもそうはいかないようだ。
もともとは、「いかものづくり」は、
嚴物作、
怒物作、
嗔物造、
等々と当てて、
鍬形打ったる甲の緒をしめ、いかものづくりの太刀を佩き(「平治物語(鎌倉初期)」)、
と、
見るからに厳めしく作った太刀、
を指し(岩波古語辞典)、
龍頭の兜の緒をしめ、四尺二寸ありけるいか物作りの太刀に、八尺余りの金(かな)さい棒脇に挟み(太平記)、
では、
金銀の装飾をしていかめしく作った太刀、
と注がある(兵藤裕己校注『太平記』)。
イカモノは、形が大きくて堂々としているもの、
とある(岩波古語辞典)だけでなく、
事々しく、大仰なさま、
をも言っているようである。
(南北朝時代ころ大鎧姿(高師直とされている) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B8%AB%E7%9B%B4より)
「いかめし」は、
厳めし、
と当て、
イカシ(厳)と同根、外に内部のエネルギーが見えるさま、見るからに巨大で、角張り盛んなるさま、
の意である(岩波古語辞典)。
厳見(いかみえ)の約、イカメを活用した語、
とある(大言海)のは、意味は同じである。「いかものづくり」に、
いかにも大仰な、
という含意があるのは、
いかめしげに作った太刀(明解古語辞典)、
という解釈からもうかがえる。大言海は、
富樫記には、鬼物作とあり、古製と、後世の製と、異なりや否やを知らず、姑(しばら)く、貞丈雑記に拠る、
と、その太刀の特徴を詳らかにしないとし、貞丈雑記(江戸後期)の、
いかもの作りの太刀も、銀包みにて、帯取(おびとり)を通す所に、銀の細長輪を七つ入れて、帯取を通すなり一の足、二の足、合わせて、輪十四なり、……鞘には鹿の皮の尻鞘を懸くるなり、一体、慄慄しく、いかつらしく見ゆる故に、いか物作りと云ふ、
という記述に依拠する、としている。
(「帯取り」 足金物の鍔側を一の足、次いで二の足と呼ぶ デジタル大辞泉より)
「いかものぐい」は、
常人の食べないものを、わざと食べること、
の意で、
我々にあたへたまへかし、いか物くいにせんとて、口なめずりして(御伽草子「きまん国物語(室町末)」)、
と、
ゲテモノ食い、
悪食(あくじき)、
とも言い(精選版日本国語大辞典)、それをメタファに、
てんぽいか物喰(ものグヒ)に、こむさくろくはおもへど(浮世草子「好色産毛(1695頃)」)、
と、
普通の人が相手にしないような異性を好んで、またはわざと愛する、
意で使い、さらには、
日本人は……思想的に走りを好んで半熟を生噛りにし、イカモノ食ひに舌打ちして得意になる穉(稚)気がある(内田魯庵「読書放浪(1933)」)、
と、
普通の人と違った趣味、または嗜好(しこう)をもつ、
意でも使う(精選版日本国語大辞典)。で、この「いかもの」は、
普通と違っていてどうかと思われるもの、いかがわしいもの、
の意で、その意味で、
本物に似せたまがいもの、にせもの、
の意でも使い、
偽物、
とも当て(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
イカサマモノの略(広辞苑・すらんぐ=暉峻康隆・大言海)、
イカガモノ(如何物)の略(俚言集覧)、
イカ(如何)にモノ(物)をつけた語、いかがと思われる語(上方語源辞典=前田勇)、
「以下者」は江戸時代の大奥女中の中で、将軍夫人に対面できない身分の低い女中のこと。そのような人たちが食べる下等なものという意味から(https://imidas.jp/idiom/detail/X-05-X-02-2-0002.html)、
等々あるが、
如何物師、
という言葉があり、これは、
麽物師(イカモノシ)は即ち是を晒して直ちに新衣を作る(松原岩五郎「最暗黒之東京(1893)」)
と、
いかさまし(如何様師)、
の意とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。つまりこの「いかもの」は、
いかさまもの、
の意であり、「いかさま」は、
欺罔、
と当て、
いかがわしき情態の意なるか、語彙、イカサマ「人を欺きて、何(いか)さま尤もと承引かしむることに云へり」、イリホガなるべし。いかさま師は、いかさま為(し)なり、イカモノは、イカサマモノの中略なり(つばくらめ、つばめ。きざはし柿、きざがき)、
とある(大言海)。「いりほが」は、
鑿、
入穿、
と当て、
和歌などで、巧み過ぎて嫌味に落ちること、
穿鑿しすぎて的を外すこと、
とある(広辞苑)。いかにも、という感じが過ぎると、いかがわしくなるという意であろうか。
如何様、
は、
磯城島(しきしま)の大和の国にいかさまに思ほしめせか(万葉集)
と、
どのように、
の意や、
何様(いかさま)、事の出来るべきことこそ(保元物語)、
と、
いかにも、
しかり、
という意で使う「いかさま」にも当てる。だから、
いかがなものか、
という解釈が生まれてくると思われる。しかし、「如何物」は、「如何様」を「インチキ」の意の「イカサマ」に当てた当て字と思える。
しかし、やっかいなことに、これで、
如何物、
と、
嚴物、
の区別がついたことにはならないのである。
大言海は、「いかものぐい」に、
嚴物喰い、
と当て、
厳厳(いかいか)しき物喰い、
とし、
慶安、寛文の際に、旗本奴の水野十郎左衛門等、勇侠、殺伐を振舞ひ、其党下の者共も、猛威を示さんと、蚯蚓など食ひし事ある、是なり。柔弱を賤しみ、剛毅を衒ひしなり、江戸時代、剣術の寒稽古に、未明に粥を作り、悪戯に、馬沓(ひづめの裏につけるわら製の履き物)を刻みて、粥の中に投じたるを忍びて食ひしなど云ふこともありき、
とし、俚言集覧の、
いかものぐひ 百物、能毒に拘らず、妄りに食ふことを云ふ、
を引く。ここでは、
嚴物、
と
如何物、
が区別されていない。
ことごとしさ、
で括っているのだろうか。しかし、江戸語大辞典は、
如何物、
を、
いかさまものの中略とも嗔(いか)めしき物とも、
と両説あるとしながら、
如何物食い、
と、
嚴物作り、
とは区別している。「嚴物作り」とは、
普通以上にいかめしく、仰々しく作ること、
とある。既に、
如何物、
と紛らわしいと言えばいえる。
広辞苑には、
如何物、
如何物食い、
は載るが、「嚴物」は載らない。岩波古語辞典には、
嚴物作り、
は載るが、「如何物」「如何物食い」は載らない。江戸語大辞典には、
如何物、
如何物食い、
嚴物作り、
が載る。江戸時代までは、区別がついていたが、刀が不要になって以降、区別がつかなくなってきたのかもしれない。
(太刀を佩いた騎馬武者 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80より)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95