2021年11月24日

素材としての説話


中島悦次校注『宇治拾遺物語』読む。

宇治拾遺.jpg


本書の底本は、旧宮内省図書寮所蔵の写本で、

う地の大納言の物語、

と記されている、とある(本書解説)。序に、

世に宇治大納言物語といふ物ありき。此大納言は隆国という人なり、

とあり、

平等院一切経蔵の南の山ぎはに南泉房といふ所、

にこもって、

往来の者、上中下をいはず呼び集め、昔物語をせさせて、我はうちにそひふして、語るにしたがひて、大きなる双紙に書かれけり、

と、

十四帖、(諸本に十五帖とある)

になったとある。この由来に拠れば、

少なくとも十二世紀頃、

には存在した、と目される(解説)。そして、その本は失われている。

序には、後段、

後にさかしき人々かきいれたるあひだ、物語おほくなれり。大納言より後の事かき入れたる本もあるにこそ、

とあり、

これは恐らく、今日の今昔物語の事かと考えられる、

とある(仝上)。

『宇治拾遺物語』は、古く、『今昔物語』と同一視されたり、混同されたりしてきた。たとえば、

今昔物語十五帖大門ニ在之(多聞院日記)、

は、明らかに『宇治拾遺物語』を指している。

『宇治拾遺物語』は、

宇治大納言物語の拾遺、

の意で、作者自身なのか、他の人なのかは分からないが、

建暦二年(1212)から承久三年(1221)までの或る時期に作られたが、(中略)大体十二世紀終わり頃に一先ず成り、少なくとも健保三年(1215)以後・仁治三年(1242)以後の二回は加筆、

された『宇治大納言物語』の後、

さる程に、いまの世に又物かたりかきいれたる、いできたれり。大納言の物語にもれたるをひろひあつめ、又其後の事など書きつめたるなるべし。名を宇治拾遺の物語といふ。宇治にのこれるをひろふと付けたるにや、又、侍従を拾遺(侍従の唐名)といへば、宇治拾遺物語といへるか、

と、後世の「序」の書き手は推測している。その作者は不明である。

『宇治拾遺物語』より「御堂関白殿の犬」(岳亭春信画).jpg

(「御堂関白殿の犬」(岳亭春信) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E6%8B%BE%E9%81%BA%E7%89%A9%E8%AA%9Eより)

しかし、『宇治拾遺物語』は、『今昔物語』が、

各話の書き出しを「今ハ昔」、結びを「トナム語リ伝ヘタルトヤ」、

と統一しているのに比べて、書き出しも、

今は昔、
これも今は昔、
昔、
これも昔、
この近くの事なるべし、

または、

うちつけに書き出す、

等々様々で、結びも統一性はない。

変化を与え、内容も各話が自由な連想のままに随筆風に雜纂され、丁度徒然草を見るように、次々目さきの変化を追うて一冊が読了されるように配慮されている作者の用意が伺われる、

とし(校注者解説)、

中世の説話文学中の白眉

と評している(仝上)。評価はともかくとして、芥川龍之介が、

地獄変、
鼻、
芋粥、
竜、

と、これを題材に小説化したほどには、人の機微を突いたものがあったものとは思う。たとえば、

鼻長き僧の事、

は、

昔、池の尾に善珍内供(ぜんちんないぐ)といふ僧住みける。真言などよく習ひて年久しく行ひて貴(たふと)かりければ、世の人々さまざまの祈りをせさせければ、身の徳ゆたかにて、堂も僧房も少しも荒れたる所なし。仏供、御灯(みとう)なども絶えず、折節(をりふし)の僧膳(そうぜん)、寺の講演しげく行はせければ、寺中の僧房に隙(ひま)なく僧も住み賑ひけり。湯屋(ゆや)には湯沸かさぬ日なく、浴(あ)みののしりけり。またそのあたりには小家(こいへ)なども多く出(い)で来(き)て、里も賑ひけり。さて、この内供(ないぐ)は鼻長かりけり。五六寸ばかりなりければ、頤(おとがひ)より下りてぞ見えける。色は赤紫にて、大柑子(おほかうじ)の膚(はだ)のやうに粒(つぶ)立ちてふくれたり。痒(かゆ)がる事限りなし。

とはじまり、

粥をすする程に、この童、鼻をひんとて側(そば)ざまに向きて鼻をひる程に、手震へて鼻もたげの木揺(ゆる)ぎて、鼻外(はづ)れて粥の中へふたりとうち入れつ。内供が顔にも童の顔にも粥とばしりて、一物(ひともの)かかりぬ。内供大(おほ)きに腹立ちて、頭、顔にかかりたる粥を紙にてのごひつつ、「おのれはまがまがしかりける心持ちたる者かな。心なしの乞児(かたゐ)とはおのれがやうなる者をいふぞかし、

と、鼻を粥に落とすという出来事が中心なのに、芥川の、



は、

禅智内供の鼻と云えば、池尾で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇の上から顋の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰のような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。

とはじまり、長い鼻を小さくした後、原文では、

提(ひさげ)に湯をかへらかして、折敷(をしき)を鼻さし入るばかりゑり通して、火の炎の顔に当らぬやうにして、その折敷の穴より鼻をさし出でて、提の湯にさし入れて、よくよくゆでて引き上げたれば、色は濃き紫色なり。それを側(そば)ざまに臥(ふ)せて、下に物をあてて人に踏ますれば、粒立ちたる孔(あな)ごとに煙のやうなる物出づ。それをいたく踏めば、白き虫の孔(あな)ごとにさし出るを、毛抜きにて抜けば、四分ばかりなる白き虫を孔ごとに取り出だす。その跡は孔だにあきて見ゆ。それをまた同じ湯に入れて、さらめかし沸かすに、ゆづれば鼻小さくしぼみあがりて、ただの人の鼻のやうになりぬ、

とある工程を、

内供の用を兼ねて、京へ上った弟子の僧が、知己(しるべ)の医者から長い鼻を短くする法を教わって来た、

という、

湯で鼻を茹ゆでて、その鼻を人に踏ませると云う、

そのプロセスを延々と膨らませて描き、さらに、

ただの人の鼻のやうになりぬ。また二三日になれば、先のごとくに大きになりぬ、

としかないくだりを、その短くなっている間の「二、三日」を膨らませ、鼻が短くなった後、本人は、

それから一晩寝てあくる日早く眼がさめると内供はまず、第一に、自分の鼻を撫でて見た。鼻は依然として短い。内供はそこで、幾年にもなく、法華経書写の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった、

のだが、

所が二三日たつ中に、内供は意外な事実を発見した。それは折から、用事があって、池の尾の寺を訪れた侍が、前よりも一層可笑しそうな顔をして、話も碌々せずに、じろじろ内供の鼻ばかり眺めていた事である。それのみならず、かつて、内供の鼻を粥の中へ落した事のある中童子(ちゅうどうじ)なぞは、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは、下を向いて可笑しさをこらえていたが、とうとうこらえ兼ねたと見えて、一度にふっと吹き出してしまった、

等々、却って笑いものになったことに、「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」ふさぎこんでしまうのである、

という話にふくらませ、鼻がもとへ戻ったことに、

内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜ゆうべの短い鼻ではない。上唇の上から顋の下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。
 ――こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。
 内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。

と、安堵し、

人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥おとしいれて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる、

と述懐する心理的葛藤に変えている。

申し訳ないが、単なる、

長い鼻の僧の振舞い、

という状態表現を、その鼻故の葛藤という、

価値表現、

へ変えた(データに意味と目的を加えたもの、つまり価値を加えたものを情報化という)のだが、その手腕や、作品としての評価はともかく、僧の人柄も変わってしまい、素材の笑い話を、人の心のうたてなる反応という価値観へと変えた。その是非はさておくとして、僕には、素材の僧の、食事の時鼻を持っていた、

粥をすする程に、この童、鼻をひんとて側(そば)ざまに向きて鼻をひる程に、手震へて鼻もたげの木揺(ゆる)ぎて、鼻外(はづ)れて粥の中へふたりとうち入れつ。内供が顔にも童の顔にも粥とばしりて一物(ひともの)かかりぬ、

という事態に、

内供大(おほ)きに腹立ちて、頭、顔にかかりたる粥を紙にてのごひつつ、おのれはまがまがしかりける心持ちたる者かな。心なしの乞児(かたゐ)とはおのれがやうなる者をいふぞかし。我ならぬやごとなき人の御鼻にもこそ参れ、それにはやくやはせんずる。うたてなりける心なしの痴者(しれもの)かな。おのれ、立て立て、

とて、追い立てる内供に、中大童子(ちゆうだいどうじ)が、

世の人の、かかる鼻持ちたるがおはしまさばこそ鼻もたげにも参らめ、をこの事のたまへる御坊かなといひければ、弟子どもは物の後ろに逃げ退(の)きてぞ笑ひける、

と言い返している両者の対等なやり取りの方が、よほど今風に思える。

参考文献;
中島悦次校注『宇治拾遺物語』(角川文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:02| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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